見出し画像

ありえないことなんてありえない

休み時間に校庭に出て子どもたちが遊んでいるのを眺めている。

鬼ごっこをしていたりドッチボールをしていたり
あちこちで、全力で走り回っている子どもたちがいて
よくぶつからないなぁ…と感心していると、
いやいや、そんなことはなかった。

ぶつかっているのである。

その日は、鬼ごっこで鬼から逃げている4年生の男の子が、
ドッチボールをしている2年生の男の子にぶつかった。
ぶつかった子は一瞬気づいたが
逃げるのに必死で、すぐに走り去ってしまった。
幸いなことにこちらに向かって走っているので
「おーいちゃんと謝れー!」って言うと、慌てて戻って声をかけていた。

別の日には、校庭の真ん中でうずくまっている子がいる。
かけよって話を聞くと、よくわからないけど5,6年生くらいの子にぶつかられたとのこと。
痛そうにしているので「大丈夫?」って言って保健室に連れて行った。

うーむ。やっぱり危険なのか?とか思うけど
そうやって、子どもたちは危険を予測したり、不条理な上下関係を学んだりするのかな?とか思ったりもする。

今日娘と話していたら、この前公園で男の子が嫌がらせをしてきた、という話をしてきた。
「それって先生に言うの」って聞いたら
「公園でなんかあってもいちいち先生いなんて言わないよー。」って言われた。

あーそうだよな。
僕らも子どものころ色々あったけど、先生に言ったり相談したりしたことなんて、一回もなかったもんなって思いだした。

今の子どもたちは、僕らのころと比べると良くも悪くも先生との距離感が近い。まぁ、それは子どもにもよるが。
だから、そんなこといちいち言ってこないでよ…ってことも相談に来たりする。
「そんなこと」なので、大体は結構適当に聞いて終わらせるが
それでも聞いてもらって満足してるようなのでいいかとも思う。(笑)

さっき「良くも悪くも」って書いたけど、その通りで
僕らの時代のように先生に相談するってこと自体が頭になかった時代と
今のように何でもかんでも相談できる時代。
どっちがいいのかは、はっきり言って分からない。

どっちがいい?っていうのは僕ら教師側からの側面もそうだし子ども側からの側面もそう。
どっちにしたって、良い面と悪い面、両方があるんだと思う。

「物事には表と裏があり、出来事自体に意味はない。」という言葉は
僕の価値観、考え方をぐるりと180度変えたものの見方だ。

もちろん、言葉としては知っていたが
それを自分の中に落としこんで、理解することができるようになったのは最近です。

だから、これは正しいとか間違っているとか自分の価値観でジャッジするのはなるべく避けたいなぁというのが、最近の僕の考え方。

だから、子どもたちには自分の感じた気持ちをなるべく伝えるようにする。

「あーそう言ってくれると先生もうれしいなぁ」
「そういうさりげなさって素敵だと思うよ。」
「なんか今の言い方ちょっと嫌なきもちになったなぁ」

ほんとは正しさとか、~らしさとかって、あんまりいらないんじゃないかなぁ…と思いつつ、まだまだ正しさを振りかざそうとする自分がいたりするのである。

「ありえない」という言葉
その感情は、あなたのどこの記憶から作られたものなのだろうか?
「ありえない」ことなんてほんとのところは一つもないのにね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?