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平川武治のノオトブログ”The Lepli”   アーカイヴー10;初稿/2004-10-27:

今回は、初稿が2004年10月に書かれたもので、
「”変わり始めたモードの新しい環境と風景”その2、ー今夏、東京で想ったこと。」

文責/平川武治:

 今日のインデックス;
1)アテネオリンピックから想うこと;
  a)どうして、4年前のシドニー大会から日本人がメダルを多く取ることが出来たのだろうか?
 b)ここで僕はこれからの[親の役割]や[教育]について想い考えてしまった。

2)再び、モードの世界へ、巴里は?;
 a) 彼らラグジュアリーファッション・ビジネスマンたちはまた目覚めた ;
 b) もう一つ新たな”モードの価値”を作り始めたのもパリを中心とする
      ”ラグジュアリィーブランド”である。;

3)そして、再び東京へ、;
 a)この東京にも[新たなる金持ち階級]が登場し始めていること。;
b) では、彼らたちはどの様な女性たちに金を使うかと考えてみよう。;

***
1)アテネオリンピックから想うこと;
 a)どうして、4年前のシドニー大会から日本人がメダルを多く取ることが出来たのだろうか?

 慌しい、落ち着きの無くなっている[ケイタイ症候群]化した人たちの住んでいるこの街、東京では今夏に行われたアテネオリンピックの話は、あれほどにTVにかじ りついて一喜一憂し、深夜まで眼を赤くして見、メダルの数を子供までもが数え覚えてしまっていたのに、2ヶ月ほどが経た今、もう誰も話さなくなってしまった。
 しかし、今年のオリンピックは戦後の日本人が一番活躍し、メダルを多くとった大会であったことは確かなる出来事であった。どうして、4年前のシドニー大会からこれほどまで日本人がメダルを取ることが出来たのだろうか?
 これも僕流に言えば、われら戦後の日本人が築き上げた[新たなる環境と風景]の現実の一つである。なぜ、これほどまでの結果を生んだのだろうかと自問してみたり、幾人かの友人たちとも話し合ってみた。
その結果が、①”ワールド・ワイド”で的確なる情報収集が高度に現実的になったこと。
②その収集した情報の分析が的確であったこと。
③その情報を基にして世界のトップクラスや日本での優れたコーチ陣が英才教育を行ったこと。例えば、あの卓球の愛ちゃんでも、中国の元ベスト上位の選手をコーチにつけていた。
④そして、海外練習を行い国内でも練習設備が整った環境で猛練習が行われた。
⑤日本人の体型が外国人のそれに引けを取らないほど発育発達したことと、その要因の食糧環境の進化。
 これらの新たな”状況と環境”を持った結果と、元来の日本人気質としての”STANDERD”な勤勉と努力、それにこの世代特有の”ポジティフさ”、そしてその背景としての‘90年代以降のわが国の”産業技術”が生んだ先端技術を生かした工業化と商品化による、所謂、情報産業の日常化による我々が持ち得た生活環境の進化と差異化のリアリティ。
 この結果の現れが、[新たなる環境と風景]を背景に、明解でわかりやすい最終目的であるスポーツ大会で得ることが出来た結果のオリンピック大会であったと読める。
 この「新たなる環境と風景」の結果としてのメダルラッシュは何もスポーツ分野のみならず、戦後、約60年を経たある意味では現在日本の現実であり、他分野でもこの状況は「現在進行形」として進化しつつある筈だ。この状況は”モードの世界”でもそうかもしれない。

b)ここで僕はこれからの[親の役割]や[教育]について想い考えてしまった。
 それは20代そこそこの選手たちが持ち得たスポーツ・エヂュケーションの環境である。卓球の愛ちゃん然り、水泳の北島選手然り、体操選手たちにしてもそうであるが、所謂[英才教育]が為されている事である。それも子供たちが小さな時から始めている例が多くなってきた。これには一つの事実がある。このスポーツの世界も、”芸人”や”政治家”の世界と同じ[親子2代、同じ道を歩む]が、この戦後と言う時間の中でサイクルかされてきたこと。親の経験を生かして、親が自分の子供を育児しその家庭で自分の子がどのような才能や天分を持っているか、自分の子供が何に適応しているか、何が得意かなどを早熟な時期に、親の責任として見極めた結果の行為でもある。決して、世間がいう[いい進学校]へ進学させても今の時代の[不確実]な社会に対しては、もう適応性が親の思った答えを出してくれなくなってしまった時代性と社会性。従来の学校システムとその内容に頼っていても駄目であると言う一つの答えがここにあるかもしれない。この”親と子”の関係はある種の[家元]制度的な関係でもあろうが、親が子育てを行うことの中には自分の子供がどのような天分を持ち得ているのか、いないのか位は親の責任で早期発見が今後の親の大いなる責任になる可能性があることになろうか?
 当然、親にもそれなりの”知性と教養”が必要である。それ以上に親が子供に情熱と責任を持たなければいけなくなるのである。唯、[かわいい、かわいい]だけで、後は親の自己満足と自分たちのエゴを押し付ける子供教育をする時代ではなくなり始めるだろう。ましてや、”出来ちゃった結婚”後、子供を[バービー人形症候群]的育児だけではどうかという疑問をこのオリンピックを通じて再確認した。親が早熟に子供の天分や才能、何が好きで何が不向きかを[親の絆]における責任を子も親も共有し合って、お互いが可能である[リスクとコスト]を共に分担し合い、その目標へ向かって行く。その為に、親が自分の子供をディレクションしてゆくための”感受性と知性と経験”が必要となる。それらによって、育児と幼児教育することでたとえば、12,3年間程、これを子供と親がこの時間と責任と夢を共有し、突き詰めれば、彼らの人生の残りと言うよりも人生そのものが、一生その世界か周辺マスコミ界でやって行ける結果の実例を生んだのも今回のオリンピックであろう。と言うのも、僕が今の日本の社会を見ていると、[世間]がばらばらになり始めたと感じてしまうからである。只、その世間の”ばらばら感”の裏側には[金・情報・モノ]だけに偏向求心した[拝金主義的社会構造]が出来上がってしまっている現代日本を嫌がうえにも感じてしまうのである。多分、戦後の日本人が施されてきた教育自体に、そもそも[日本人的なる新たな日本と言う国を作るためのSTANDARD]教育がされてこなかったのだろう。
例えば、今の日本の多くの二世政治家たちの解り易過ぎる[アメリカ一辺倒現象]政策はこの後遺症を未だに引きずっている政治家たちで、失礼であるがもう終わっている人たちなのである。
 「今様グローバリズム」という”新たな植民地政策主義”的な時代性とは???

2)「再び、モードの世界へ、巴里は?」;
 a)彼らラグジュアリーファッション・ビジネスマンたちはまた目覚めた。;

 現在の「モードの世界」をこの眼差しで見ると少しその状況が違って見える。親がデザイナーであるから子供もデザイナーになると言う実例は、世界規模でも少ないし、その殆どが成功していない。実家が縫製工場であると言うデザイナーは少なくない。これはイタリーに多いが、無理やりか政治的に為らされてしまったという例は巷でよくあるのだが、これとて早熟な英才教育を施されずに促成栽培的が多い。”天分と感覚と美意識”がモノをいう世界であるからか、または性的に同性愛者が多い世界であるからでもあろう。それにこの「モードの世界」の現実はデザイナー一人の世界ではなく、所謂[共同体]化した”アトリエ”をどのように構築してゆくか、どのように継続して行くかが必須の実業の世界だからでもあろう。ここが”アーティスト”と違う根幹の一つでもあろうが?この結果があらゆる意味での[異種混合]を好む世界になったことは確かであろう。現代のパリにおけるオートクチュールの世界の内側を見てみれば一目瞭然である。パリのモード界の人たちはここへ来て、モードの世界も情報化とグローバリズムによって[ファッションビジネスはショービジネス]と言う状況をもたらし始めた。それによって、より”ラグジュアリー”なブランドビジネスはモードを唯単に自分たちのブランドのイメージつくりとそのイメージによって、よりラグジュアリー度をアップさすための実態へと移行し始めた。その現れが、彼らたちは[”モード”でイメージを生み、”コスメと香水”それに”バッグやアクセサリー”などで実の売り上げを取り、その儲けで自分たちの屋台骨である老舗ブランド・マークのクオリティを”金モノ”と言われる”時計”と石モノといわれる”ジュエリィー”をより充実させ、継続、維持させてゆく]と言う方法に去年後半以降、そのほとんどの”ラグジュアリーブランド”メーカーは彼ら自身で自分たちの価値を移行させ始めた。その結果がモード誌のイメージ広告合戦へとなり、広告を貰うためにメディア関係者達は”パリコレ詣で”をしなければいけなくなり、ここでもファッションジャーナリストたちを大いに勘違いさせ始めている。「広告が貰えれば良し」と言う短絡的な見方と、それをプッシュする関係の癒着が、紙面にもより多く反映し始めてきている。従って、彼ら”ラグジュアリービジネスマン”たちは「ブランド•マーク」を自分たちが発信するイメージングとメディアが作り出すイメージングのWバインドによって、より高感度でラッピング可能かと言うまでの「イメージ ラッピング ビジネス」へと進化させた。これも「今様グローバリズム」という”新たな植民地政策主義”的な時代性の表れであり、「ビジネス的には日本を制して、今後は中国を制したい」と言う彼らたちの具体的な”定番世界戦略”である。
b) もう一つ新たな”モードの価値”を作り始めたのもパリを中心とする”ラグジュアリィーブランド”である。;
 その新たなコンセプトは[誰しもがアーカイヴを持ちえ始めた]という視点である。そのために自分たちのアーカイヴをより価値あるものにして、その価値によって新たな差別&ステータス化を考え始めたのである。彼ら達のコレクションのショー・ビジネス化が始まったことによって、これ見よがしのショー映えする衣装造形服をこれ見よがしに見せ、後は
”デッドストック”と言う縮図から、これらを同じストックしておくならば、自社のストック置き場で保管していても”仕掛かり在庫”として課税対象になってしまうだけである。そこで、違った場所へ置くことによって、違った、”新たな価値”が生まれると言う構図を考え出したのである。その場所とは[美術館]である。ここへ寄贈すれば、税金対象にもならず、唯、時間が経てゆけば、それだけ”新たな価値”が生まれると言う骨董的価値も含め、このモードの世界もより”アートの世界”へ近づく手法を持ち込み始めたのである。総てのブランドがアーカイヴを持ちえても、これをやれるのは、やはり選ばれたブランド、デザイナーの質ある個性豊かな仕事のみに限られるのは当然である。今後この影響は多々出てくるであろうし、それによって[ファッション・エキビジション]が増えてくることも明らかに読める[新たな環境と風景]の一つである。去年からでもG・アルマーニ、S・フェラガモ、スキャパレリ、V・ウエストウッド、V & L、etc.の展覧会が開催されたことでも読めるであろう。この”新たな価値”についてゆけないのが現在の「東コレデザイナーたち。」だろう。現在と言う時代性からとその「ブランド名」によって、辛うじて[ファイナルホーム]は海外の関係者達には人気があるブランドだ。他の大半は[時代の悪趣味化]路線でTV芸能人頼りのビジネスへ走ってしまうから、より遠のくであろう。もちろん「我が御三家ブランド」はいずれこの手法を自分たちのメゾンの”格付け”の一つとして手中にしたいであろう。
 もう一つ、ここに来てパリのモードの人々は「オートクチュールのための人材」としてのデザイナー、若き才能ある"新人デザイナー"を発掘し始た。そして、彼らたちにより、多くのチャンスを与えるられる方向へとシフトし始めたのである。たとえば、この11月20日にパリから8人のデザイナーたちが選ばれてサンディカ主催のショウを北京で開催する。この8人のうち4人が、僕も審査をしその後毎年呼んでもらって参加している[フェスティヴァル・イエール]の受賞デザイナーであり、また重なるがフランス文化庁が毎年有望な新人デザイナーたちへ与える[ANDAM]賞をうち4人が受賞している現実。(実はこのイエールも、ANDAMもY・S・L、LVMH、ロレアルグループが実際の賞金をバックアップしている。)彼ら、有望な新人デザイナーを選りすぐって中国へ連れてゆくということは、将来彼らたちのビジネスをこの国のビジネスと生産環境に委ねたい為でもあり、当面ではやはり、彼らたちの生産国として[中国/新たな環境]を新人達へ可能性としてマッチングさせる為でもある。 結局、この国の”モードの世界”は[オートクチュールが大黒柱]と言う論理が今も歴然としてこの国のモードを牽引し世界に於ける、[モードのショーケース]化を担っているのである。そして現在のように経済のインフレ状態が長く続き、新たな階級(ヌーボーリッシュ)が誕生し始め貧富の差が大きくなろうとしている時代には、この[保守性]は[新たなる革新の為の保守]としてその役割を果たすという視点だ。

3)「そして、再び東京」へ、;
a)この東京にも[新たなる金持ち階級]が登場し始めていること。;

 今回、東京へ戻ってきて一番驚いたことはこの東京にも[新たなる金持ち階級]が登場し始めていること。しかも彼らたちの年齢が若い。30代前半から45歳ぐらいの年代層に、この新たなる成金層が形成され始めている。彼らたちはIT関連産業での成功者であり、ゲーム産業、音楽産業、それに飲食産業であり今年の高額所得納税者リストを賑わせている。結果、彼らたちは”新しい階級”を形成し始めたといえる。なぜならば、戦後の日本社会における金持ち層は大体に高年代層から順序的になっていたものが、ここに来て所謂[飛び年代の金持ち]が彼らたちによって構成され始めたからである。
 これに気が付いたのは、ある日新聞を読んでいたら、あの焼肉屋で若い人たちに人気のあるチェーン店[牛角]の社長が35歳ほど、その彼が社長を辞めて会長になり新たな社長が31歳。会長になった彼はその後、コンビニのチェーン店[AM/PM]を買収してこの社長を兼任すると言う記事であった。これは凄いぞ!!新たな日本の階級社会を形成する原動力になる。という視点と興味を僕が持ったことからである。彼らたちの多くは10年ほど前までは単なる[オタク]。しかも、ゲームやIT関係の大半はネクラなオタクであったはずだ。そんな彼らたちが”学生起業家”として登場し、そのまま時代を猛烈なスピードで走り始め、この10年ほどで”時代の寵児”になり資産をも持ってしまった。そんな彼らたちがどのようなお金の使い方をするかと考えれば、面白くなってきた。先ず、住空間、オフィス空間は自分たちのビジネスにも大いに役立つゆえ、ウオーターフロントの高層マンションの最上階。勿論、これ見よがしのインテリア空間。次が車。これも彼らなりのこれ見よがしの外車を。そうなると彼らたちのファッションは?そう、彼らが学生で[オタク]だった頃はポロシャツにチノパン。続いてT-シャツにジーンズ。先ず、ファッション感覚はないに等しいオタク世代の彼らたちは、エンターテイメントの世界をそれぞれのテイストで目指した世代であるがために、基本的なお金の使い方は派手になりそれも周りからどのように見てもらいたいかと言うある種の[見せびらかしの消費]行動が主になってしまっている。そこで海外有名ブランドモノを買い漁る。その情報ソースとしてのファッション雑誌が売れる、それがイタリア男の成金モードを扱った[LEONE]で代表される。そこで従来であればこの手の客はデパートでは西武へと流れたのであるが、今は伊勢丹が一人勝ち的存在として、タイミング良きリ・ニュアルで余計に成功しているのが現在の東京メンズ・マーケットであろう。伊勢丹のバイヤー、高田氏に聞いたところやはりこれらの新・成金層がしっかりと伊勢丹の顧客であり高価なシューズが難なくしっかりと売れてゆくと言う。セレクトであれば、U.A. であり、ブランドでいえば、芸能人に人気の”ディオール・オム”であり、”グッチ”であり”ドル・ガバ”であり”LV” となる。なんと”水っぽい”ことか?総てが[見せびらかしの消費]的発想がファッション?
 彼ら達はもう、”ウラ原”ではなく、”ストリート”でもない、今やこれらの新しい成金層をどの様に手なずけるかが勝負どころ。従って、スーツも美味しいアイテムになってきているのもこの新たな社会環境の変化によるものであろう。今は女物よりも男物の方がそれ相当の高額物スーツやシャツなどと靴、ブルーミングや化粧品類までもがセットで売れているメンズマーケットの現実である。
 b) では、彼らたちはどの様な女性たちに金を使うかと考えてみよう。;
 ここでも[見せびらかし]というキーワードは生きる。見た目の派手でセクシーなセレブな女性、芸能人的な女性、自分がよく行くクラブやキャバクラのホステス的な女性へ。ここでの女性モノはどの様なものが売れるかも想像が付く。やっぱり、海外有名ラグジュアリーモノ。「派手」「セクシー」そして「高モノ」。これではあのひと時代前の[バブル期]と変わりは無いのでは?と言うことになろう。が、彼らたちの消費行動を考えればやはりそのような[見せびらかしの消費]になってしまうであろう。これが日本における”ファッションビジネスの根幹”の一つとして不変であるからだ。従って、この層は[ネオ・バブル期]を迎えているのが現在であろうし、[保守化]へと向かうことも明らかである。
 ここで話を伊勢丹のメンズフロアーに戻してみたい。この3階フロアーの”ヨウジ”、”一生”そして”CdG/コーナー”を見てみると、如何に前者の2ブランドが古く感じてしまっても仕方がない状況を見せている。こんなにスペースを貰っているのにこれでは新たに商売をする気があるのですか?と言いたくなる。それほどに”CdG/コーナー”が新しく、すばらしいのである。
その気でもって商売を楽しんでがんばって、大いに売り上げを取っているからだ。それにしても、彼らたちの「見せびらかしの消費」は日本社会の「悪趣味化」とシンクロして彼らたちを頂点にしてそれ以下の東コレ・ブランドの多くはその趣味の悪さをウリにし始めていることもこの機の東京の現実である。バービー化現象や芸能人ご用達現象でだけがファッションでもない。ここにはセンスや知性が感じられない。むしろ、表層的であり、一時的な刹那的なモードしかファッションでないような状況をも作り出しているのがスタイリストやファッションライターと称する周辺連中であろう。メディアもウケさえすればいいとこれらを歓迎する。ますます、増長した悪趣味風景を「セレブ」とメディアで騒ぎ、”東京化”してゆく。ここには何ら知性や教養が感じられない。「躾」と「恥じらい」を喪失させる。「ボン・グゥ」を知らないことをもってデザイナーぶっている当人たちの”確実性”とは???
 やはり、東京のデザイナー達は「STREET MUSUC CASUAL」+「古着+リメイク」の”こだわりファッション”に特化するしかないのだろう。
合掌。

文責/平川武治:
初稿/2004-10-27 :

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