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D)寄稿文書-ARCHIVE-1/ 『モードは「夢」から「エクスタシー」へ。』 初稿掲載/「ぴあ Fashion Dream/上1991年7月15日発行:

文責/平川武治:
初稿/1991年5月: 
追稿-2023年10月31日:
写真/ Hanayo-san.

 はじめに/ 追稿-2023年10月31日:
 この書き下ろし原稿,『モードは「夢」から「エクスタシー」へ。』は、
1991年4月29日(月)、4月30日(火)、NHK総合テレビジョンにてそれぞれ放映された番組、「Fashion Dream」を誌面にて再構成、追加取材されて書籍化された、
「ぴあ Fashion Dream/上」からの依頼原稿を生原稿より書き起こしたものです。

 本誌が発行された時代は、戦後日本が迎えた「大衆消費社会構造の頂点期」としての、
いわゆる、“バブル経済”に湧きだっていた時であった。
 日本におけるファッションの世界も、この“バブル経済”に当然のように有頂天に身を任せ、それまでの国内の「DCブーム」に加え、「海外ブランドブーム」が到来し、このファッションの世界は百花総乱状況で、もう一つのこの世界の本来の姿である“ヴァニティ/虚飾”を日本的に開花させ、賑わい味わっていた時代であった。
 もちろん、ここから第2期の日本人デザイナーブランドブームが創生され始め、このNHKによって初めての本格的な「ファッションとは何ぞや?」番組が放映され、それによって編集
発行されたこの本誌が大いに専門学校生をも含めた若い世代にある種の“夢“と影響力を与え
その後、“東京ストリートカジュアル“と‘95年以降の“裏ハラブーム”を誕生させ、
日本人デザイナーブランドビジネスが絶好調期を生み、儲けたお金を使って、
”パリ・デザイナー”を目指す当時の若手デザイナー達へ、一つの新たな“夢“を齎らすまでの
ハンドブックテキストになったのが本誌でもあっただろう。
 21世紀も20数年後の現在、この時代に読み返しても本誌は‘90年代バブル期に発行された、
「ファッション文化人類学+考現学誌」と言う大変贅沢な、盛り沢山な、極めて日本的な
“デコトラ”思想のもとに編集された貴重な1冊である。
 例えば、現在の白人デザイナーブランドがこぞってお手本にしている、
『古着+東京ストリートカジュアル+裏ハラ=ハイブランドビジネス』のオリジナルな根幹が学べる世界も見せてくれている。
 そして、密かに僕は心地よいと思っている“ウラ読み”がある。
一つは当時、本誌を編集した人たちが、いわゆる“ファッション業界人”達でなかったこと。
もう一つは、本誌-上巻には「コム デ ギャルソン」が全く出てこないファッション誌であると言う健康的な心地よさである。無論面白いのは(上巻)である。

 『モードは「夢」から「エクスタシー」へ。』/ P-018~021:
 
「全ての饗宴の後」、モードのターゲットは「東西」から「南北」へ、
都市の表情がモードである。そして、「夢」から「エクスタシー」へ。

 プロローグ。/
 「世界は錯乱的な状況に向かっているのだから、我々も錯乱的なものの見かたに向かわなくてはならない。」
/ J・ボードリヤール/「透きとおった悪」より。

 「欲望のための浪費がモード。」/
 モードの世界も全てのブランド、クリエーター、老舗、デザイン、素材、アイディアが、
「近代」という時代の終焉間近の爆発する寸前だというトランス感覚と認識を持ったうえで
モードについて語られなければならないだろう。
 ボードリヤールが云う「全てが狂宴の後」が現在のモードのゼロ地点。
かつて、娼婦たちの、欲望を満たすための浪費としてモードが発達した時代があった。
そして、再び、欲望の表層を浪費することがモードとなる明日を目前にした今日。
 前へ、進化すること、そのための制度を作ることが「近代」である。
そして、いつも新しいものを追い求めることへの強迫観念が「近代」を案外、早く老化させてしまった事に気が付いた我々。
 昨日をいっぱい語り過ぎ、明日をいっぱい想い過ぎたために今日が見えなくなった
現在のパラドックスは、モードの世界でも同様である。

 毎年2回のコレクションで発表されるモードはメディアの発達によってその価値を
シミュレーション化し、無価値にしてしまう迄の速度。速度はパリと我が家を最短距離で
結び、お茶の間までも土足で入り込んで来る暴力と化してしまう。
 犯されたモードはグラビアやプラウン管で消費され死に絶える。
決して、皮膚までも達しないままで、犯されたモードは成仏しないまま灰と化すか
ゴミとなる。
 モードに残された明日は、「近代」に残された明日と同じ運命を負う。
「近代のユニフォーム」を超えたところでの「超・ユニフォーム化」か、又は、極めて、
個人的なる欲望のためのセレモニーがかろうじて、モードを救うことの可能性なのだろうか。
 「全てが狂宴の後」だと云うのに。

 「ニュースがモード。」/
 ‘88年の秋から既に、90年代という新しい時代への予兆が胎動し始めていたヨオロッパ。
モードの世界では‘89年の7月14日のパリ祭 (革命二百年記念日)が特別の日であったことを
改めて想い出すことから始まった。
 それはフランス国内の経済は勿論のこと、近い将来、EC統合後のヨオロッパにおける都市のプライオリティをも握ろうとするこのお祭りにモードもその一端を担った。
 その結果がランウエーでは「トリコロールカラーの自由」をレッテルにしたクラシックで
コンサヴァティブなモードであり、それは’80年代後半の流れをも、より保守化へ進展させた。
 そんな「昨日をいっぱい語ることで今日が平和に思えた。」頃、もう一つのヨオロッパ、
東欧も在りうるべき制度としての革新への挑戦を捨て、本来の在りうるべき自由が既に、
死に絶たえ始めている西欧へ向って解凍し始めた。’89年5月から経済難民の移動が始まり、
翌年の1月にはついに、「東西の壁」が消滅し始めた。
 この原稿を書くためにテキストにしたジャン・ボードリヤールは
「世紀末のイヴェントが進行中だ。」と云う。
そして、「西欧は自由と人権の保存倉庫、あるいは最終処理施設にすぎない。(中略)
西欧では、自由、あるいは自由の観念は最近の (フランス革命をめぐる)様々な記念行事に
おいて、みごとな死をとげたので、そんな観念は姿を消してしまった。」
/ネクロスペクティブ/J・ボードリヤール/「透きとおった悪」より。
 
 イデオロギーで築かれていた「東西の壁」に代わってまだ、難民の民族大移動が
納まらぬ’’90年夏には中東地域での湾岸戦争が始まり、ヨオロッパは新たな「南北の壁」を
認織させられた。崩れた壁からの難民と築かれ始める壁から逃避する難民たちは、例えば、
パリでは従来からの北アフリカ系のアフリカ人やアラブ人マグレブたちの居住地区(市内の北東部)に、中近東、東欧、ソ連からのただ「豊かさを求めた」経済難民たちが流入し、
彼らは下層階級の層を拡大している。
 従って、EC統合目前のヨオロッパのモードの背景は、一足先に社会構造そのものが、
ブルジョアかプロレタリアかの二極化へ進展し始めている。
( 追稿/この新たな地政学的視点は2000年以後の白人たちは“グローバリズム”を構築することによって、"グローバル・ノース”と”グローバル・サウス”という何ら本質は変わらぬ、古い
二項対立構造の新たなる植民地主義を構築した。
そして、モードの世界も、“ハイ・モード”と“ファスト・ファッション”と言う新しい
“二極化ビジネス構造へ繋がって行った。)

 ヨオロッパにおけるモードとはいつの時代も貴族階級と新興富裕層であるブルジョアを対象として発達をし、現在に至っている。
 1960年代も終わりに、“プレタポルテ(高級既製服)“という新しいファッションビジネスの
カテゴリーが生まれたのも、当時の社会構造が大戦後の中流階級、市民階級という
新しいクラスが社会化され、構造化されたからだ。
(追稿/この新たなパリの階級構造をいち早く感じ取り、クチュールビジネスではない
新しいビジネス構造として、“プレタポルテ(高級既製服)“を構築したのはYSLとP.ベルジェが、‘66年に左岸/リブ・ゴーシュで立ち上げたブランド“リブ・ゴーシュ”だった。)
 
 中流階級向けだったプレタポルテでも、その価格は勿論、テイストも、当然モードの効用の一つとしての「夢」がそこには存在し、モードがモードらしく様式化され存在し得た時代だった。しかし、始まった’90年代は、人々のモードに対する想い込みも、より現実的になり、「夢」がマスメディアに依って普遍化してゆくと共に、シミュレーション構造に落ち入って
ゆく。例えば、モードにおける「世紀末のイヴェント」に真先に参加したクリエーターに
ベルギー人、マルタン・マルジェラがいる。彼が新人としてデビュー・コレクションを
発表した’88年秋では,彼の「創造のための発想あるいは、パラダイム」は全く新しく、
時代のリアリスティックな欲望に的確で過激だった。彼の「ゴミまたは、捨てられたモノ」
からの発想とイメージはその後、偶然にも社会的な時代の動きとなった「難民移動」という
社会背景を引き受けた。
 「高すぎる、華美すぎる、いわゆるブルジョアすぎる」モードが、何か違った鮮かな時代の
欲望を捜し求めていた若者たち、次の時代をおぼろげに予知し始めていたクリエーターたちに
新しい時代に対する潔さを素材観を通して与えるきっかけをつくったマルタンには
ジャン・コロナやリオネル・クロスそして、ベロニック・ベロアたちの若手クリエーター達が続く。彼らに共通することは素材のチープさや都市のノイズや欲望がイメージにあることと、
服づくりが大好きなことなどが挙げられよう。
 パリの街に増える難民や失業者を含む下層階級の人たちがこの街の中で彼ら達の日常を
ある種、様式化し始めた。フリーマーケットなどがそれである。又、彼らが住む地域の週末は
ここがパリの街なのかと間違う程に自国民の姿を見かけられない。
 難民や湾岸戦争のニュースがCNNを通じて地球規模で流された時、その断面としての現実をこの街にも「生活」の中で見つける事が可能になった現実というリアリティ。
 すなわち、ニュースが、モードとなるこの‘90年代、「時代の秩序」を拘束して来たのが
モードの一端であれば、そろそろ「時代の無秩序」を拘束することのリアリティがパロディーやアイロニーを生むのも、世紀末のモードの大切な効用である。

 「都市の表情あるいは、欲望の表層がモード。」/
 確かに、ある時期にはモードにヒエラルキーが存在した。
今、モードはヒエラルキーを超越した状況にある。ヒエラルキーの象徴が衣服の大きな
ファクターであり、差異のゲームであった時代から、差異が差異として見えなくなった現在、
モードは単なる個人のエゴの欲望のための見栄となった。
(追稿/ これは現社会そのものが“液状化”ゆえの現象であり、
モードそのものの差異であり、価値である“流行”もさほどの変化が見られなくなった。)

 「誰れもが自分の見栄を求めている。(中略)
『 私は存在する。私はここにいるから』ではなくて、『私は可視的存在だ。
私はイメーシだから。さあ、見て!見て!』と言うわけだ。
ーーこれはナルシシズムでさえない。深みのない外向性、無邪気な自己宣伝。
誰れもが自分のイメージのプロデューサーになれる。」
/「透きとおった悪」/J・ボードリヤール、

 東京という都市をこの言葉の中に入れてみると良く解るだろう。
この街やこの国は戦後というツケを背負いながら「大衆消費社会」という構造を築き、
経済成長を現実化させ、「国民、皆中流」と云わしめたのが’86年位だったろうか、
以後、大半の国民は「上昇指向」のみへの一方向へ流れた。当然、消費行動そのものが
まず“上昇指向“のベクトルへと大きく流れ、ファッションは国内の「DCプーム」から、
海外のブランドによる「インポート・ブランドブーム」を起した。
 この状況は、前述のヨオロッパの’90年代のはじまりとは社会構造が異なりすぎる。
ヨオロッパが上と下のみの構造、即ち「ドーナツ化」であれば、我が国は「金太郎飴化」、
上も下も無くあるのはまん中のみ。それが肥大化し、一応に「上昇指向」に至っているのが
東京のリアリズム。
 その器としての都市「東京」は、今、1991年5月だと云うのに‘87年以後、新しい表情を
未だ持ち得ていない。基本的な社会構造に変化がないため根幹の「近代」のほころびのための
マイナ―チェンジは無邪気な自己宣伝よろしく「見栄の都市構造」だ。
 今年になって「バブル経済」とやらの崩壊が社会化し始め、やっと背負い込んだツケの
重みを感じ始める善良な企業たちが果して、どんな’90年代の都市の表情をつくるのだろうか。

 今世紀初めからモードにおける大切な“イメージ“は基本的に「屋外」や「路上」が
舞台であり「都市」や「街」が背景である。
 今春、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された
「ファッション写真の戦後・45年展」を観てもすばらしいファッション写真の大半は
屋外、街中で撮影されたものだ。都市の表情として表れる路上の風俗はモードにいつの時代も
強烈なファクターを与える共感関係である。
 特に、‘80年代。その前の‘70年代が構築的なシンメトリーの造形的なデザイン・フォルムがC・モンタナや T・ミュグレー、三宅一生たちクリエーターで代表され、モードの中心と
なったことも手伝って、この‘80年代は J・P・ゴルチェや山本耀司、川久保玲、
V・ウェストウッドたちがストリートファッションや古着を注意深く診断し、
自分たちのオリジナリティーを創造する過程を見つけ出し、モードをより、リアリティある
ものへ近づけた時代の先峰となった。
 東京でも歩行者天国が出現する迄はストリートファッションで代表される風俗が全国を風靡した時代もあった。六本木族、原宿族、みゆき族などと名付けられた風俗がそれである。
しかし、仕組まれた「歩行者天国」以後はストリートファッションも既に、シミュレーションの域を出ず全国的な流行にはなり得ず、‘86年の「渋力ジ族」の登場を待たなくてはならなかった。これは物質的に恵まれた環境と情報誌の洗礼を受けて育った「マニュアル世代」の風俗化
である。そして、背景の渋谷というターミナル繁華街が学生たちの「365日・学園祭」という
“ハレの日常化“には最適な生きたモードになり得た近年の傑作と云えよう。

 他方で、今、音の世界はモードを抜き、時代の最表層に在る。
音の直接的な感性はMTVの登場で聞くだけの音から見る音、行為する音へとトランス化してきた事も大きな要因。実際、コレクションなどでも古いメソンが音楽構成の不味さによっては
服までもダサく見えてしまうから恐しい。例えばラップミュージックとそのミュージシャン
たちの出で立ちはプラック・カジュアルで代表され、どんなクリエーターがデザインした
トレンドよりも全てがカッコ良く見えてしまう。これも‘90年代型の「都市表情」の切り口の
一つであろう。
 音楽やミュージシャンたちがモードの流行の媒体になるのは‘30年代のジャズからの事で
ある。続いて、‘50〜‘60年代のモダン・ジャズ、‘70年代のフォーク・ロックと‘70年代後半からのパンクそして、‘80年代後半のレゲエに代表されるエスニックミュージックやラップ、それにハウスミュージックで‘90年代に突入した。
(追稿/ 音がヴィジュアル化されたMTVの進化によってその後のファッションはより、音楽との共存性が強くなり、‘90年代も半ばには既に、デザイナーがDJ.を楽しみ以後、彼らたちは音楽における”リ・ミックス”や”ザッピング”という手法をファッションデザインの世界へ持ち込み新しいデザイナーシーンの誕生をもたらした。以後、僕は彼らたちを”ファッションD.J.”と
カテゴリーライズした。)

 「都市の表情」もモードであるがもう一つに、「時代の欲望」がモードになるのもこの‘90年代であろう。以前は、「時代のニーズ」が必ずマーケティング用語として重宝がられたが、もう
“時代の欲求“がトレンドになる時代は終った。今は「時代の欲望」が何であるかを握む事が
モードであり得る時代性。今、東京で流行っている風俗を考えてみると「欲望のマーチャンダイジング」が大切なキーワードであり、そのファッションは「御利益ファッション」。
 ‘80年代はDCプランドで代表されるマニュアルファッションが全盛。ならば ‘90年代は
「心の在り様」が大切なコンセプト。ポジティブ・エゴイストたちの心の在り様は、基本に
安心が在っての全て。外的環境問題を含めての安心と内的精神的な心の安らぎ、そして、
”欲望とエクスタシー”までが”安心のトランス”に入る。

 「超・様式化(トランスス・タイリング)がトレンド」/
 衣服を構成する根幹に「拘束」と「隠ぺい」という二大要因が存在し、それぞれの時代性や社会、社会構造によって「拘束」や「隠ぺい」の対象やその両義性が変化する。
この変化そのものがその”時代のモード”であろう。

 かつて、モードは「夢」だった時代が存在した。
服を着ることが「夢」を実現化し得た、そんな時代があった。豪華さ、美しさ、上品さ、
女らしさ等から始まって、上流階級らしさや処女らしさに至るまで、男が念う女への「夢」の記号がモードをモードとして輝やかせていた時代だ。
 例えば「拘束」。秩序化するために拘束をファクターとして持つ衣服は躾けや身だしなみ、社会地位、職業、制度などを象徴する。時代が保守性の強い時に主流となるモードであり、
時代の秩序に対しての機能性が前面に出る。例えば、ユニフォーム、礼服などのモード。
(追稿/ 現在の2023年も、これからの数年はこのカテゴリーのモードが、いわゆる
“トレンド”の時代性であろう。“持ち得た、物質的豊かさと与えられた安心“に「拘束」されていたい。あるいは、それなりの集団へ繋がっていたいと言うまでの「柔らかい拘束」。
特に、現代のZ世代以降はこの「柔らかい拘束」に委ね始めた。)
 
 ここには、時代が持っている「夢」や「あこがれ」も願望として記号化されている。
そして、これらは様式化へと向う。例えば、今春、流行の「キレ・カジ」と呼ばれる紺地金
ボタンのブレザー・ジャケットの流行はこの「秩序化に対する拘束」という発想からの若者版ブームであり、時代性の保守/コンサヴァティブの進展化から生まれる流行だという事が読める。この「秩序化に対する拘束」が強くなればなる程に「拘束」が持つ両義性の他方である、「拘束」が無秩序に対するベクトルへと向う時代性がすぐ準備されているのがモードの螺旋形であろう。
 時代に革新が欲せられる時代性の元に、機能性よりむしろ、感覚的なるものが前へ強く
出る。これらは、‘90年秋のパリコレクションからもこの傾向が若手クリエーターたちから
発せられた。前述のM・マルジェラ、J・コロナ、H・ラング、M・シットボンなどが、
「都市のノイズ」をコンセプトにケミカル合織やエラスティック素材、ゴム・ビニールと
いった工業用までも含めてのチープな日常的な素材を日常的に使った。モーターサイクル、
コミック、セックスなきセックス、パロディやキッチュそして、アイロニーも忘れずに味付けし、コンピューターグラフィックやハイビジョン感覚のプリント地なども新しさのノイズ。
 背景としての社会構造の二極化がこのトレンドをより説得力あるものにしているパリモードであるが、東京ではこれらが所詮、「ごっこ」化しているだけの、情報の産物の域を出ない
“リアリティ”でしかない。

 ‘90年代の新たなる欲望は「拘束」「隠べい」という「衣服」が持つ根幹が無秩序やノン・
モラルに対するベクトルへと向う方向性を持って、現在までの「様式」―秩序や制度に対する近代そのもの―に対して、「超・様式」を生む。この場合、「拘束」されることでエクスタシーが求められ、「隠ぺい」することで可視的なエクスタシーへと拡がる。多分、このエクスタシーが‘90年代のトレンド・マインドであろう。従ってかって、モードが「夢」で在り得た時代から、モードが「快楽」である時代へ、例えば、フェティシズム。
(追稿/ 現在の“ラグジュアリー・ブランドブーム”もブランドマークを身に纏うことで得られる「快楽」を味わっている物質的な豊かさの風俗と読めるであろう。)

 「人間の働きを機械 (もっとも知的な機械でさえも) のそれから区別するものは、
働くことの陶酔、快楽である。快楽を感じるような機械を発明することは、幸いにも、
今なお人間の能力を超えている。」
/ゼロックスと無限 / J・ボードリヤール「透きとおった悪」より。

 「豊かなる難民」も含めたポジティブ・エゴイストたちの今後の欲望の表層の一つに
身体行為に於ける「儀式」があげられる。
(追稿/この先端に、“刺青/タトゥー”がある。’90年代も終わり頃から、白人社会で突然のように“流行”りだし、瞬く間に、“世界ビジネス”へ発展したこと思い出そう。)

 「着ること」と「脱ぐこと」その行為そのものが,
「儀式」化されてゆくところにモードのエクスタシーが感じられるという発想。
着にくい窮屈な服、脱ぎにくい服を脱ぐ時の身体で感じるエクスタシー或いは、着ていて非常な不快感を自らに与える服など。
 極めて個人的な体験のみが今後のモードにおける欲望であり、新たなトレンドであろうか。例えば、フォルムやディーテールや使われる素材が「下着化」している最近の傾向。
下着という衣類が持っている潜在的要因が露出化し始め着る行為、脱ぐ行為そのものに心を
消費することがモードの先端となろう。
(追稿/ 僕が今後のモードにおける新しさを求めるならば、人間の身体の構造からその根幹を
「肉と骨と皮」と分類する。すると、既に、”肉で着るものと骨で着るもの”は、
"西洋洋服ときもの"が存在している。なので残された、「皮で着るものが考えられるべき、
時代性がやってきた。」という視点です。
 この世界を僕は、「3re.Skin」という新しいウエアーの世界を提言している。
この動きの最新の好事例は、あのカーダシアンが始めた下着ブランド、”Skims"である。
このブランドは最近では、スワロフスキーとコラボレーションを行って、”着る人のボディに
輝き”を与え始めた。そのカーダシアン曰く、「ルームウエアーがイヴィニングになるとき、
スーパー・ファンタシー!!」とコメントまで出し始めた。)
参考 / The New York Times/ ”Today,Shapewear. Tomorrow, the World. Kim Kardashian's Skims hooks up with Swarovski to bedazzle the body." / By Shaniqwa Jarvis / Nov.02,'23

  「自由の中の不自由さ」「美の中の醜さ」
そして、「不快を超えた快楽」をポジティブなエゴで享楽するまでの欲望や情欲。
それは「超・様式/トランス・スタイリング」を生むところへ辿り着く世紀末思想の
「エクスタシー」化をたどるだろう。(完)

参考/
「透きとおった悪」/
J・ボードリヤール著/塚原 史 訳/紀伊國屋書店発行/1991年2月刊。
「ぴあ Fashion Dream」/
上-下全2巻/ 発行 ぴあ株式会社/1991年7月15日刊。
" The New York Times "/ ”Today,Shapewear. Tomorrow, the World. Kim Kardashian's Skims hooks up with Swarovski to bedazzle the body." / By Shaniqwa Jarvis / Nov.02,'23

文責/平川武治。
初稿/1988年10月~1991年5月。
追稿/2023年10月31日。
掲載誌/「ぴあ Fashion Dream」上」/ぴあ株式会社発行。


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