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"The LEPLI" ARCHIVE 137/『安藤忠雄と川久保玲。あるいは戦後の”横文字産業”とは、』

文責/ 平川武治:
初稿/ 2015年10月 5日:
写真/ カルロ・スカルプ作 ”ブリオン家の墓” By Taque.

「はじめに、」 
 巴里のファッションウイークが始まった。僕なりの感触は”低調”。
何か、”から騒ぎ”を感じてしまう。
本当は、”ショーどころ出はない!”と言うのが本音であろう時代の気分を感じる。

 この街へ入る前に、コムデギャルソンのプレスヘインビテのお願いをした。
まず、その時に書いたメールから紹介しよう。
『”10コルソコモ”の件、
”やっぱり、来たか!”という想いで嫌なニュースとして僕は受け取ったのです。
僕はもう巴里へ着きました、どうか、お気をつけていらっしゃってください。
楽しみにしております。』

 この”10コルソコモ”の件とは、WWD N.Y.が(9月12日)書いた一文出ある。

 『10 Corso Como Said Facing Big Tax Bill By WWD STAFF
MILAN – Concept retailer 10 Corso Como may be facing financial troubles. According to media reports, the store created by Carla Sozzani allegedly owes 4.67 million euros, or $5.27 million at current exchange rate, to Italy’s tax office Equitalia.
 While Sozzani’s lawyers contend the retailer has asked to repay this debt in installments, Equitalia deems the store is unable to do so and is requesting Milan’s courthouse to declare its bankruptcy. A first hearing in the trial is expected on Wednesday, according to the online version of magazine L’Espresso, which also states that 10 Corso Como had requested Italy’s tax commission to allow an additional extension to repay its debt. The commission has yet to decide on the issue.
Executives for the retailer could not immediately be reached for comment.』
『10 Corso Como Said Facing Big Tax Bill By WWD STAFFMILAN –
コンセプト小売店の10コルソ・コモが財政難に直面している可能性がある。
メディア報道によると、カルラ・ソッツァーニが設立した店舗は、イタリアの税務署
エクイタリアに対し467万ユーロ、または現在の為替レートで527万ドルの借金があるとされている。
 ソッツァーニの弁護士は、ソッツァーニがこの債務を分割で返済するよう求めていると
主張しているが、エクイタリアは同店がそれが不可能であるとみなし、ミラノの裁判所に破産宣告を申請している。雑誌”レスプレッソ”のオンライン版によると、この裁判の初公判は水曜に開かれる予定で、同紙はまた、”10コルソ・コモ”がイタリア税務委員会に対し、債務返済の追加延長を許可するよう要請したと述べている。委員会はこの問題についてまだ決定を下していない。”10コルソ・コモ”の幹部からのコメントは現時点で得られていない。』

「ミラノのショップ、”10コルソ・コモ”が財政難に直面し滞納処分を受けた。」 
 この街へ来て、この事実を調べるも、そのほとんどの日本人は知らない。日本からの人たちも知らない。でも、この街では当然出あるが、一般紙にも報じられ、TVにも放映された。
それなりの”不祥事”である。
 僕たち、日本人から見ても”関係”は少なからずある、コムデギャルソンとの関係である。
一時は、東京での出店時には彼らたちは共同で会社を起こしていた。
 川久保玲の夫、エイドリアンとカルアさんとは同じユダヤ人コミニティでの大の仲良し。
エイドリアンが現在のように”DSM”へ至ったのかには、彼女からの指導と教えがあっての今。
そんな彼女に、このような「脱税疑惑」に裁判所がついに動いた。

 また、時が重なり、エイドリアン自慢のあのロンドンの"DSM"も移転を迫られ、
ドーバーストリートでは無い場所へ"DSM"は移転しなくてはならない羽目にもなる。 
 なのに、日本のファッションメディアはこのスキャンダルを皆目知らない。
決して、偶然ではなく、そのタイミングは当然、”狙われた”のかもしれませんが、
長い時間を懸かてコードされていた案件。
 僕も、東京での”10コルソコモ”出店時に調べてこの状況は知っていた。
この裏には、カルアさんファミリィーがイタリーの力あるファッション・ファミリィーで
あり、その力を少しでも自分たちへ引き寄せようとの魂胆も川久保玲にはあったからです。
ここには”ユダヤ人コミュニティ”の商法の極端さがこれほどまでに膨らんで出た事件であり、
この根幹は彼らたち、ユダヤ商法における”倫理観”の問題でしかないからです。
多分、川久保さんも内心、心配なさっていたことがこのように表層化したまでのことだろう。
 自分たちは当然のように”これ見よがしな生活ぶり”。そして、行うべきことを知って居ながら怠る。払いたくないものは払わないでいる。(”ベニスの商人”現代版?ですね。)

この”倫理観”はかつての戦後を生き抜いてきた日本にもありましたね。」    
 この手法で大きく成長した戦後の”横文字産業”のデザイナー企業はたくさんありましたし、
その多くが、”元在日系”のオーナーで在ったことは僕は知っています。

 今、戦後の日本の根幹が面白いほど”暴露”され始めています。               
"東京オリンピック'20"に於いての安藤忠雄の一件やそのマークデザインの佐野氏の問題など、いろいろ考えもつかなかった”横文字産業”がこの現実を一手に”世間の眼”を浴び始めました。
 この世界では案外と”当たり前”のように黙認されてきた現実レベルの”倫理観なき仁義なき”
戦後のドサクサがまた一つ表層化されたのでしょう。
この時代を手のひらを返したように生き延びてきた人たちのカオスの象徴です。

「”パクってなんぼ?”の世界から始まった、」
 戦後の”横文字産業”はそのほとんどの根幹が”パクってなんぼ”という商法でしたね。
外国雑誌を手元に、読めない英語に囲まれて、ネタ探しをする、"教養"よりも"感覚"の世界でで誤魔化してきた。
 これが、”カッコイイ!!”と言われた”横文字産業”の全て!
ファッションは全てが”パクリ”から始まった当時の新業種でしたね。
グラフィックもフォトグラフィーも雑誌もメディアの世界も広告代理店に押し出され
”消費社会とその文化”を司るまでに、突っ走ったのが’70年代後半からでした。
 この70年代のコムデギャルソンの黎明期のデザインの殆どがブランド名が示すように
当時の、巴里で受けていた”ソニア リキエル”日本版からの出発でしたね。
 そして、川久保玲は山本耀司と出逢うことによって、全く新しいモードを「二人三脚」で
目指すようになったのです、「僕たちも巴里へ行こう!」が始まったのです。

 この夏、墓参で大阪へ行き、神戸、京都の40年来の友人を訪ねるという旅をしこの時、
神戸の北野町を訪れ、あの”ローズガーデン”を見に行きました。
建屋は残っていましたが悲惨な状態です。”メッキ”が剥げ落ちてしまったというまでのもの。
 川久保玲とこの”ローズガーデン”の経緯を知ない世代の時代になり始めたがここでも
いろいろありましたね。まだ、彼女も若かったから激しさを持っていらっしゃった。
僕の友人が大阪のCdG・スタッフとして働き、大阪はパルコ、京都はBall、そして、神戸は
このローズガーデンを拠点にすべく、彼は猛烈に働かされていたのを思い出しました。
このブランドのみんなが”勢い”に乗っていた時だったのでしょう。
 しかし、その友人はその後、死へ急ぎ、間も無く亡くなったのです。

「二人の出会い?」 
 この”ローズガーデン”は’77年完成だったので、’76年にはすでに、川久保玲は安藤忠雄と出会ってる。否、その数年前に、あの南青山のいまも、健在な、”フロム1st.”で既に、
彼らは出会っている。

 この”フロム1st.”ビルも本当は安藤忠雄が基本設計までを手がけていて、彼はやる気満々
でしたが、その後急遽、ロンドンから帰国した、山下和正さんが手掛けられたという建築。
 ここでも、川久保玲はこの”フロム1st.”にはこだわった。
白という色にこだわり、タイル張りの内装になり、ここではその後、スタイリストとして
活躍なさっている堀越絹衣さんがここで働いていらっしゃった。懐かしいいい、時代でした。

 「安藤忠雄は彼の建築事務所を”ブランド化”し始める。」
 安藤忠雄はこの山下さんのレンガの使い方の上手だった、”フロム1st.”からその後の
”ローズガーデン”のエスキースを頂戴してしまっています。
 しかしその後、安藤忠雄は彼の建築事務所を”ブランド化”し始めました。
その後、多くのファッション系の商業施設を”浜野商品研究所”を営業窓口に手掛けました。
そして、今の立ち居場所の第1期を構築しました。
 この発想は建築家自身が設計しなくても、その名の事務所がすればいいという方式です。
ファッションにおけるデザイナーブランド・ビジネスと同じ発想です。
これは当時の建築界では考えられないクレバーな発想でしたが、これが見事その後、彼が
”安藤忠雄”へ進化して現在へ至ったのですから凄いですね!!

 「ル・コルビジュェ+カルロ・スカルパ」=”住吉の長屋”を始めとする
彼の”外装”+”内部空間”のミニマルなマニエリズム的な混成、或いはブリコラージュ発想は
コムデギャルソンのその後のクリエーションの根幹にも通じるところがありますね。
 そして、安藤忠雄の海外事務所は確か、外資ユダヤ系が資本投資しています。
 参考/ カルロ・スカルパ
https://www.tjapan.jp/design_and_interiors/17201280?page=3

 僕も神戸大学建築科の知人だった、貴志雅樹氏が彼の事務所へ入りその後は、安藤忠雄の
デビュー作を始め多くの”ゴーストライター”をしていたのは早い時期から知っていました。
貴志さんは神大から”手土産”として、毛綱モン太のコンセプトを携えて、安藤事務所へ行ったという話は当時、関西建築界では格好のスキャンダルでしたね。
 その彼、貴志氏が”東京オリンピック競技場”のスキャンダルの渦中、今年の1月に亡くなられました。

「ここでも、真の評論の不在、」
 しかし、僕はこの問題の根幹には”評論の不在”があると考えています。
戦後、’80年代以降からから現在に至っては全く”評論”は存在していません。
ちょうど、時代が”大衆消費化社会”を歓迎し、全てを”消費”の中へ納めることで経済が上手く
回って行くという論法とその後ろで活躍した広告産業と代理店という構造がありました。
その後の日本流文化即ち、”広告文化あるいは消費文化”がこの構造で構築されたのです。
 従って、戦後の”横文字産業”はこの時流に如何に要領よく外来イメージをパクって、
巧く、広告業界と連係プレーをカッコよく都合よくやって行けば、サーフすれば成功という
シナリオが戦後の日本のデザイン界の本性であり、正体でしょう。
 ここには”評論”の正論は必要なく、”評論”の不在が都合よく良かったのです。

「彼も、二人三脚で、!!」
 安藤忠雄は当時、大阪に在住し、建築評論をしていた二川幸夫氏を頼って、”世界へ!”を
意識した彼らの「二人三脚」の旅立ちが始まりました。
 二川氏が東京で、出版社を立ち上げ、”GA”ギャラリィーと建築グラビア誌「GA」(英文)を
発刊する。彼らはこれをメディアとして「世界の建築誌」と「世界の建築家」へ、
ブランド”安藤忠雄”を素材に共に、外国を意識し発信した現実がありました。
 当時の安藤建築は「フォトジェニックに!」が彼が最も気遣う視点でした。 
これらの思惑は見事に、その後の「安藤忠雄伝説」へと、現在の彼を誕生させましたね。
 しかし、少し、知的に注意深く読み込むと、安藤忠雄についての的確な”評論”も当初は、
殆ど無く、その”表層論”としての「ル・コルビジュェ」との相関性や彼の存在そのものの
”特殊性”についての短文等が多く出回るが、ロジックな建築論的な根幹は少なかったのです。
 余談ですが、この辺りは何か、川久保玲と亡くなられた故小指敦子さんを思い出します。

「ここで、彼らの共通するキーワードは、”凄い!!”。」
 「安藤建築は凄い!!」あるいは、「コムデは凄い!!」ですね。
今の日本の評論の世界はすべてが、浅はかな”感情と情緒”を拠り所とした、”良い、悪い”の
価値判断でしかなく、”メディア ウケ”と、”メディア向け”なるデモストレーションだけです。
 ここには、「デザイナーたちとお友達になりたい」という感情表現としてのレベルでしかない所詮、未だ、変わらない戦後からの”横文字ごっこ”へのあこがれの世界です。
従って、彼ら、メディアの人間も学んでいない、勉強をしていないただ”知っている”のレベルと世界で、ほとんどが僕に言わせれば、”御用インタビュー”と”御用記事”であり、
提供者としてのデザイナーからの”一方通行記事”ばかりでしょう。
 従って、今回の”10コルソコモ”のスキャンダルも日本メディアは何も知らないで、
いつものように”フロントロー”に座っている輩ばかり。

 そして、’90年代半ばからの"カワイイ!”の次のレベルが、
”凄い!!”と発せられる”感情と情緒”だけでの価値判断。
 この言葉はCDGのショー後の世界で尋常のように聞かれる言葉ですね。
この言葉にすべてを”委ね”てのメディアコントロール、これが今、現在のコムデギャルソンの
”メディアコントロールの手法”あるいは、川久保玲の世界? 
 この手のプロパガンダにはもう、僕にはしんどくなりました。
"EVERYTHING TOO MUCH!! TOO HEAVY!! TOO PAINFUL!!
THAT'S YOUR LIFE、THAT’S TRUE YOU ???"

 僕も、そろそろ、本音で日本のファッションの”根幹”を語ってゆこうと今、猛学習中です。
この続きは次回。
 巴里MARAIS街にて;

文責/ 平川武治。
初稿/ 2015年10月 5日。

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