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"TheLEPLI"ARCHIVES-43/ COMME des GARCONのローブが 巴里のオークションハウスで 8,500ユーロで落札された。

文責/平川武治:
初稿/2010年10月29日:

パリ- コレの始った幾日目かのこと。
この街のオークションハウスで有名な"DROUOT"で
“MODE NIPPONE"という名のオークションが行なわれた。
 
 巴里のジャーナリストの友人の事前の説明で、
コルシカに住んでいらしたご夫人のものが今回のメインアイテムであり、
その殆どがYOHJIとCDGのものだと言う情報を愉しみに
このオークションへパリコレ期間中のコレクションを飛ばして参加した。
それなりの雰囲気で始った今回も、
顔見知りの友人たちが席の前に陣取っている。
参加合計点数、481点。
そのうち、YOHJIとその関係ブランドで114点を占めていた。
CdGは91点。イッセイが5点と少ない。under cover も1点出ていたし
後は、懐かしいところでは、トキオクマガイや菱沼良樹、島田順子、
ジャングルjap時代のケンゾも。
外国人ブランドでは、Alaia,Balenciaga,J-P Gaultier,M.M.Margiela,
YSL,Prada,C.Louboutin,M.Jacobs,Kenzo,R.Owenなど新旧取り混ぜたもの。

このオークションハウス、"DROUOT"は巴里では歴史のある有名なところ。
毎日、何かしらの、絵画、ジュエリー、家具、玩具等の
オークションが行なわれているので有名である。
この街は当然、回によってはヨーロッパ中からの確りした店を持っている
アンティーク業者や店を持っていないブローカー(今では勝手にディーラーと言っている連中)たちと
彼らたちに混じっての個人の収集家たちが参加している信用と歴史ある
オークションハウスの一つである。

最近のファッションの世界で新たな動きがある。
このビジネスでは”在庫量”がその成果の左右を決定する。
いくらメディアで騒がれても、良いコレクションをしても
ビジネスにおける最終結末の決定は、
それぞれのシーズン末における”在庫量”が
今後のビジネスの継続を決定する。
”在庫量”には2種類ある。「製品在庫と原反他在庫」である。
これらの消化率そのものが実際のビジネスを左右する。
この在庫を巧くコントロールする為に、
”トレンド”が考えられ生まれそしてその後に、
”マーケティング”というビジネススキルが出来た。
当然であるが,モノを作ったならば売らなければいけない。
巧く売り切れば儲けが出る。
残せばその分に掛った総コストと税金がマイナスを呼ぶ。
自分の世界観の中でこの作業を潤滑に回転させて行くことは
かなりの至難な勘と技が必要であるのがデザイナーブランドという産業だ。
これが難しいから、出来ないからその大半のデザイナーたちは
売れ線を狙う。
即ち、MDを行いもう一方で、他のブランドで売れているものを
いわゆる、パクる。
それを誤魔化す為にやらなくても良いショーをやったり、
メディアにゴマをすったり、嘘をついて迄して何とか体裁を繕い乍ら
デザイナーぶって、デザイナーをやっている。
こんな世界が30年以上も変わらず続いている日本のこの世界のレベルは
すべて、この最後の”在庫量”に由縁する。
即ち、ファッションの世界、デザイナーブランドは
実業の世界であるからである。

最近では、この在庫品を堂々とセコンダリーマーケットとして確立させた。
一つは、アウトレット市場とサイト上でビジネスの新たな活路を設けた。
確か、90年代はじめ迄は、
ショー後、若しくは展示受注会をして受注を確認してからその実生産量を
決めて後は商品のデリバリー管理だけをしていれば良いビジネスであった。
しかし、売れたモノはその実売数に更なる量を上乗せして
より、儲けたいと同じ時期に追加生産を仕掛ける。

それら、追加生産分を売る為の広告宣伝とイメージ作りが必要になり、
90年代からより、ファッションメディアの役割が解り易くなる。

しかし未だ、この時期まではプライマリーマーケットだけで充分であった。
残った商品は、
それぞれのショップでのマークダウン-セール(30〜50%OFF)
それでも残った商品は新シーズンの商品と入れ替え、メーカーへ集められて
メーカーでの社員セールとファミルーセールと
銘打った最終セールに掛ける。(50~70%OFF)
それでも残ったモノはブローカーへ流すかまたは、ゴミの島行きとなる。
これが以前のファッションビジネスの商売の実態であった。

大量消費による金権資本主義の惨めさで売れるのなら、
売れる可能性があるのならが高じて過剰生産に陥る。
欲をセーブ出来難いのが商売人の性である。

現在では、この流通構造に
先程のセコンダリィー-マーケット構造がプラスされたので
より、売る側は欲を張る。
しかし、消費者たちも学習を怠らない。
結果、売れないものはセコンダリィーでも売れない。
これを価格問題にしているだけの現状を読むが、
所詮は、その人間性の問題である。

僕たちの國の昔話を忘れてはいけない。
欲張りお爺さんは二つのコブを貰ってしまうのである。

さて、この様な”表玄関”でのファッションビジネスが
大変になって来ているのは、
一つはもう、全く革新的なフレッシュな作品が生まれ出難い状況を
迎えてしまった時代性と、
お洒落も新たな消費者たち、セコンダリィーな消費者まで浸透し始め
変わらぬ解り易いトレンドで彼らたちを容易に
そして、低価格でウエルカムし始めた事であろう。

この閉塞感を感じるようになり始めたこの世界に、
新しい風穴を開け始めたのもこの世界のそれ也の連中であり、
彼らたちのブランドマークの利権を守る新たな政治的手段の一つだ。

これは、これらの”在庫品”を自分たちの倉庫に置いておくと
これらはそれが在る以上毎年、”仕掛かり在庫品”としての税金が掛る。
この在庫品の置き場所を新たに設け、
置き変える事でこれらの在庫品の代表に”新たな価値”が産まれる。
この新たな価値によって、今後のブランド-マークのイメージも継続し、
いつまでも輝くことが出来るという迄の発想の戦術である。
 
彼らたちファッションジュ-イッシュたちが考えた事は、
『選ばれたものは美術館に置くべきである。』という戦略である。
”ベンヤミン アンソロジー”を思い出そう。
「今日では、展示価値におかれた絶対的な重心によって、
作品は全く新しい機能を持った造形物となっている。」*

そして、彼らたちのキーワード、
「『選ばれたるもの』と『置かれる場所』には価値がある。」という常識を
ここに来て、このモードの世界でも実践し始めた事だ。
“選ばれないと”自由がない。
これも彼らたちのキーワードである。
誰が”選ぶ”か?
選ぶのは、”新しい場所”としての美術館のキュレターたち。
それをプロパガンダするのがジャーナリストたち。
このパラダイムの装置が”オークションハウス”になる。

このもう一つの価値観による新たな”入り口”は
美術館、ファンデーション、インシュティティド
そして、コレクターという文化的、パトローネ的なる
新たな教養ある顧客を迎える”入り口”である。
そのために彼らたちは『ファウンデーション』を構築する。

『より、芸術に近く!!
着れなくてもいい。
売れなくてもいい。
でも、コレクションし続ければいい。』

感な現実があった、嘗て、80年代終わりから90年代の初めに掛けて
時代のバブリィーさも影響したのであろうか?
あのCdGが”ノアール”というブランドを発表していた時期があった。
(ブランド名は忘れたが、YOHJIも負けずとそれなりのブランドを
後から出していた。)
当時のCdGにしては珍しい、豪華な、社交界モードに近い
”ハレ”ブランドであった。
このデザイナー特有のバランス観がはっきりと出たジャポネズムありの、
堂々としたものが多かったと記憶している。
が、売り上げをつく迄には行かなかった。
いつの間にか無くなり、
そして、十年程後に、
憶い出したようにこのブランドの作品が大量に
CdGから京都服飾財団(KCI)へ寄贈された。
このCdGの行為も
今回の僕の眼差しと同じ価値観の下での行為であったであろう。
見事な,先見ある戦略だったと感じた事を思い出した。

これが今後の新たなモードの世界の、もう一つの入り口であり、
モードのブランド-マークの確実な『エピソード』作りの為の入り口である。

薄っぺらなイメージによるブランド-マークの継続は
既に、安物のクラックと一緒で長時間継続しない。
イメージの氾濫はそのイメージの寿命をより、短くし殺す。
今後は、語り継がれる迄の『エピソード』がイメージに代わり
ブランド-マーク維持には大切で必要な時代性が現在である。
しかし、『エピソード』は、
マニュアルからは生まれ無い事に留意しておこう。

ある現代アーチストはこんな発言をしている。
" Whereas the highly rational societies of the renaissance felt the need to create utopias,
we of our times must create fables".
By Francis Alys:

ここで、もう一つの時代性を言っておこう。
なぜ、イメージが早く衰え、”エピソード”が必要になったかという背景には
すべての”エピソード”はアーカイブとして後世へ残る。
受け継がれる。
このすべての“アーカイヴが残る”という時代性は
ハイパー文化に於ける、バーチャルに対峙したコンセプトである。
今後の多くの発想に革新的であるが
保守的なる手法を残すはずである。

当然、ここには次なる『知的所有権』問題が待ち受けて
いることを忘れてはいけない。
最近のフランスに於ける『コルベールシンジケート』の動き、www.kantei.go.jp/sing.titeki/dai8/8siryou9.pdf
『サンディカ』の動き,サイトビジネスへの警告等を見ていると
その変化に応じた『ブランド-マーク』ビジネス即ち、
利権ビジネスの高度で更なる進化の兆しが伺える。www.meti.go.jp/press/20100630005/20100630005-3.pdf
『模造品、海賊版拡散防止条約/ACTM』である。
このACTMによる知的著作権の確立を主張し、
その裏では専横的な貿易体制の世界的な確立と強化という読みも可能。
この動きがここに来て激しさを持ち始めたのは、
サイトビジネスの日常化と
やはり、服が売れない状態が当たり前になり出した時代性である。

もう一つは、『フアスト-ファッション』の登場と
そのビジネスの勢いによる影響である。
フランス人が本気で考えている
奢侈産業としてのファッションビジネスの価値は
『創造性+品質+文化性+革新性+伝統』であり、
フアスト-ファッションに抵抗出来る自分たちの手の内のカードは
これらの変わらぬパラダイムの核心からの価値行為である。

オークションハウスを通った美術館や新しい顧客は
このパラダイムを守ってくれる唯一の仕組みと構造である。

10月4日に行なわれた「Mode-Nippon」のこの日、
YOHJIは高くて1000ユーロ止まり。
それも1、2点でしかなかった。
その大半が、200〜800ユーロで落札される。
が、やはり、オークションウケするブランドがある。
それが、CdGである。
このブランドは大半が800〜1000ユーロで落札されたが、
2007年のS/S,のコレクションピースの1点が
最終落札価格、8500ユーロ。
もう1点も8000ユーロだった。(1着が120万〜100万円相当)
これを落札したのは会場に設備されている電話入札制度による
クライアント、数件が競いあった結果の落札価格であった。
 
 この世界へ入れるブランドはそれなりのエピソードを持ち得た
選ばれたブランドしか入れない狭き門である事には変わりない。

後日、調べてみるとこの落札者はN.Y.の有名美術館であった。

日本ではサイトによるオークションが日常化した現在、
自分たちが着たい服をオークションによって落とす。
そして、1,2回着ると又、オークションへ出す。
この高度な消費文化構造における装置としてのオークションであり、
このレベルの価値観の現実である。
この世界も価値の違いによって全く違った現実がある事が
理解出来、学ぶ事が多く愉しい4時間を廻る体験であった。

一緒に行った友人は85年のKENZOのケンゾウさんらしいジュペを4着、
20ユーロで落札して満足していた。
ありがとう。
文責/平川武治:
初稿/2010年10月29日:


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