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C-KDI-5 /桑沢合同講義デジュメ 2015年−1;   『「閉塞感」と「自由」、「安心、安全と快適」と「傷み」というアバンギャルド。』   ーーこのような時代、これからの新たな時代のために、 もう一度、”服やモノをデザインすること”とはを考えて みませんか?

文責/平川武治;
初稿/2015年5月:

今日のインデックス;
0) はじめに;
1)「閉塞感」「安心、安全そして、快適」/マニュアルというサンプリング
2)妄想という自由なる発想から; 
3)改めて、ファッションにおける”アヴァンギャルド”とは、”創造”とは?; 
4)では、ファッションの最前線とは、;
5)では、今の時代におけるデザインすることとは;
6)ファッションをディレクションすることとは;
7)ファッション-アーカイヴとは;
8)これからの時代にデザインするということとは、;
9)ブランドビジネスにもこれは大切なこと。;

0)はじめに、;
『(大半の?)結婚と同じく、安全と自由はお互いがいないと存在できないが、その共存は容易でない。自由のない安全は束縛に繋がり、 安全のない自由は慢性的な不確実性に繋がり、神経衰弱に陥る恐れがある。万が一、パートナー(あるいは、もう一人の自分)と帳尻を合わせたり、関係の修復を図ったり、なだめたりする試みがいずれも不調に終われば、安全も自由も、熱烈に求められる価値から眠れない夜の悪夢へと変わる。安全と自由はお互いに独立していると同時に排除し合っている。それらはお互いに目盛りの異なる秤を持って引き合い反発しあっており、これらの矛盾する感情の相対的な割合は、その頻繁に起こる(日課とみなされくらい頻繁に起こる)「中庸」からの逸脱と足並みそろえて変化するため、それらの間で幾度も妥協が図られる。(長続きしないことが多いが、)<中略> 安全と自由の共生は、常に激しくて緊張をはらんだものとなる。その本来的で解決しがたいアンビヴァレンスこそ無尽蔵な創造のエネルギーと強迫的な変化の源泉である。』
 <参考文献/「リキッド化する世界の文化論」/ジグムンド バウマン著/
青土社刊>

1)「閉塞感」「安心、安全そして、快適」マニュアルというサンプリング;
 よく「今の時代は「閉塞感」を強く感じる。」と言われる時代のようですが、それはなぜなんでしょうか? こんなにモノも食べ物もそれに、情報もなんでもある時代なのに、なぜ、「閉塞感」が忍び込むのでしょうか? 時代が悪い、社会が悪い、政治が悪い、企業家たちが悪い、いろいろその原因はあるでしょうが、その本当の原因はどこに? この現代社会の一つの普遍性とでも言える「閉塞感」は人間本来の、人間しか持っていない「自由」という権利を脅かし、それは知らぬ間に「飼いならされてしまった集団」化へ追い込まれ、当然ですが、「創造」する世界へも大きな障害を与え始めています。
僕はその大きな要因の一つに、ヴァーチャル社会が進化し、複雑に高度に広がり始めることで、「あるべき筈である ”距離の消滅”の完了」が社会化されてしまっていること。すなわち、ウ”ァーチュアルリアリティが現実の社会に溶け込み始めたこと。これは”ケイタイ”と”PC”を現実社会に進化させたサテライトIT産業が根幹でしょう。当然ですが、もう一つには、 「人間性」の根幹があるでしょう。言い換えれば、ヒューマンマインドとヴァーチュアルマインドの差異とそれぞれのテクノロジーのその強制的なる調和がノイズを生み出した結果の精神不安と社会現象の一つでしょう。モノにも人にも社会にも国にもすべて、”あるべき距離”があります。この距離を”自由に楽しめる”ようになることが次なる時代の人間に課された”豊かさ”、あるいは”プライド”ではないのでしょうか? そして、”価値観”なのでしょう。 むしろ、短縮したり、ショートカットすることだけでは、既に終わっている”20世紀の価値観”です。
僕は田舎に住んでいます。時折、利用する電車での光景、プラットホームへ入ってきた電車に急いで我先へと乗り込む人たちとは、どのような世代の人が多いのか? 観察してみると、オヤジ世代もいるのですが案外、若い世代が多いのです。彼らたちは自然に目は”空席”を探し、身体はもう座ることへ動き始めています。たとえ、周りにご婦人やご老人たちがいても、周りのことにはほとんど神経を使わずこゝろ配らずただ、自分が座ることのために行為する。そして、座ってしまうと決まったようにケイタイを取り出して安心し、次なる行為を行う。これがほとんどの停車駅で乗ってくる人たちの、今では当然になってしまった、当たり前の行為と仕草の風景です。 ここで、僕の現代社会の読み方は、彼らたちは車内でも自分が安心できる場所の確保がもう、自然な行為として為されている。まず、安心と安全を確保する。そして、ケイタイで”繋 がり”を探す。あるいは、ゲームをする。”安心と安全そして、快適”なる時間を少しの時間の合間でも確保したいという願望が日常化されてしまっているのが、現実社会とそこで生きる人たちのリアリティでしょう。
そして、これも日本の戦後70年が持ち得た”豊かさ”という現実の一断面でしょう。多分、その「安心、安全そして、快適」のために、築かれた”社会システム”即ち、「マニュアル」をお利口に読み込み行為することが長けてあたりまえになってしまった世代と、現代の日本社会の構造はこの「安心、安全そして、快適」のために築かれた”社会システム”すなわち、各々のそのための「マニュアル」が非常に高度なシステムで消費社会に組み込まれた構造の「マニュアル社会」になってしまった、 世界に類を見ない「安心、安全そして、快適」な国なのです。しかしこの裏は「戦後の国民を巧く、おとなしく平均的に集団的に飼い慣らす」という戦後のアメリカによる政府が与えた”シビリアンコントロール”のための社会システムのとても優秀な実践結果の現実でもあります。 多分、皆さんのほとんどはこの”社会システム”を自分自身の教養で”点検”しないで、与えられたシステムを疑いもせず社会に巧く順応してしまっている世代でしょう。だから、ほとんど本能的にこのシステムを使って「安心、安全そして、快適」に社会で生きている。このシステムに順応することが、もしかしたら 「自由」な行為であると考えているのかもしれません。 
このように立派におとなしく飼いならされた日本国民を最近やっと一部のメディアは「B層」と呼び、まだほんの一部ですが、この集団を危惧し始めました。僕は「大衆とは思想なき群集」であると言い切っていますが多分、今の自民党へ投票する人たちは世代関係なく、この「B層」の人たちが中枢でしょう。 例えば、みなさんが、3日間”ケイタイなし生活”をある種の自分探しのゲームとしてやってみるとわかるでしょう。 ”ケイタイなし生活”で遭遇することとは、”不安””不信””不便”が殆どでしょう。そして、それぞれを行為するためには”時間”が必要であることも体感し、理解できるでしょう。
 特に、体験 した「不便そして、遅い。」はこれからの時代の生活には大切なるもう一つのキーワードでもあります。そして、”不安””不信”は勘と覚悟と勇気とコミュニュケーションによってそのほとんどは修復されてしまうものです。あとはどれだけのこゝろある教養を持ち得ているか?でしょう。 このゲームによって、もしかしたら皆さん世代が「安心、安全そして、快適」を”モノの豊かさ”の次に求め始めたことによって、失われ始めている大事なことがあることに気が付くかもしれません。それが改めて、「自由」です。 「自由」とは最も人間的なる、創造の根幹です。自由なこゝろの有り様が在って、初めて自分らしい創造が可能であるという根幹です。そして、「閉塞感」を打ち破ることができるのもこの「自由」です。またこの自由の「軽さ」や「行き過ぎ」が閉塞感を生み出す要因でもあります。 
今の日本は「保守の進展」という時代性。グローバリズムを機に大衆消費社会を軸にして進化しているのが、ここ15年来の現実です。「保守化」=「中庸」でしかありません。自分たちだけの「安心、安全そして、快適」のためにマニュアル化人間になって終えば、当然このリスクとしての「閉塞感」は感じてしまう。従って、今みなさんが感じている「閉塞感」の原因と根幹は個人にも存在しているということです。個人が、より、オープンスタンスで堂々と生きてゆけば、社会も国にも現在のような「閉塞感」はより、少なくなるでしょう。ヴァーチャルコミュニケーションも必要でしょうが、やはり、 リアルコミュニケーションが人間の「五感」へコミュニケートする最短の方法でしょう。ですから、「窓は開けておくほうがいい。」ですね。そして、「デザイン」の根幹は「コミュニケーション」ですから、 「閉塞感」を持ってしまった日常は”デザインの豊かさ”へ関わってくる問題です。

2)妄想という自由なる発想から; 
 「さまざまなものが遠くに逃げていくという感覚に包まれて、現代の私たちは生きている。家族もそのひとつだろう。家族と縁が切れたわけでもないし、関係が悪化したわけでもない。モノにも恵まれている。それなのに、少しずつ少しずつ遠い存在になっていく。 それは自分自身にたいしても起きていて、日々活動をしているこの自分が自分自身であるはずなのに、それは頭でわかっていても、 感覚の世界では、自分自身もまたどこか遠くにいるつかめない存在なのである。」
<引用文献/ 「新・幸福論」近現代のつぎにくるもの / 内山 節著/ 新潮選書:新潮社刊>
 この哲学者はこのような現象を「遠逃現象」と呼んでいますが、僕はこのような世界観から生まれる「妄想力」は現代の日本人が誇れる想像力のブリコラージュだと感じています。日本が誇れるコンテンツビジネスの根幹であるアニメや漫画世界はその殆どがこの「妄想力」がイメージの根幹です。ここには想像力以上のパワーを感じます。「妄想力」が次にはヴァーチャルイメージを喚起させ、持ち得たIT技術によって他国に誇れる新たなるパワーであり、これが現代日本の産業のリアリティの一つにもなり、この世界は漫画、アニメから始まり、ゲームアプリとパチンコの世界を征服してしまっています。
では、ファッションの世界ではどうでしょうか?そして、I.D.の世界はどうだろうか? 僕の専門のファッションの世界を見る限りではもう、”自由の産物”であったファッションにおける創造性は全く変質してしまっています。 結論を言ってしまえば、現在の”マーケットありき”のファッションの世界でのクリエーションとは、「Variation of the Archives」の世界でしかありません。ここでは”新しさ”が変質してしまったのが最大の原因でしょう。 ”生活に豊かさ”とともにファッションの情報量とスピードの速さが「安心、安全そして、快適」のためのシステムを構築し、持ち得た豊かな生活によって、その時代の”価値観”が変化し、リアリティとしてのファッションの楽しみ方も”新しい革新的なモノから古い懐かしいモノ"のバリエーションで楽しむ。とここでもその普遍性が生まれた事によって、ファッションの世界の新しさは「Variation of the Archives」から編集する世界になり、妄想という自由な発想でのファッションの世界は、辛うじて、”ユニフォーム”、”コスプレ”の世界や”リメイク”の世界がその市民権を得て面白い”妄想”からの創造性が楽しめるまでの可能性が時代性の先端/アヴァンギャルドでしょう。

3)改めて、ファッションにおける”アヴァンギャルド”とは、”創造”とは?; 
 ファッションとは、何時の時代もその時代を生き生きと生きる、先端の女たちを”アイコン”とし、彼女たちの生き方とリンクしてその時代時代の女性たちへ”アヴァンギャルド”というイメージングによって、ファッションの創造が生まれた。20世紀という産業革命以降の機械工業化社会=量産化と新たな女性たちの自由な愛の生き方に始まり、戦後、’60年後半からは、戦後の新しさとして、教養ある女性たちの生き方と社会化=知性とともに強さと自由さを”象徴”化するための イメージイング作業が゙”プレタポルテ”の世界を生み、この世界は時代の先端を生きる女性たちへ”ミューズ性”を与え、讃えることがそれぞれの時代における ”新しさ=アヴァンギャルド”を生み出してきました。 そして、時代の進化という、20世紀の”豊かさ”(=消費社会化=物質的なる)の急激な進展と、メディアの社会化により「あり得るべきイメージ」から「あり得るべきリアリテ」のための消費社会構造のための”フアストファッション”が誕生した。
21世紀に入っての時代がもたらした新しさとは、情報という”バーチャルリアリテ”によるライフスタイリングのサンプリング化すなわち、”リアリテ”のバリエーション化であり、これはITモバイル社会による情報量の普遍化なのです。 これらによって、イメージとリアリテが逆転し、新たにバーチャルリアリテが加わった世界、例えば、最近のディズニー映画の世界はリアリテ+ヴァーチャル+3D+アニメーションが現代の新しさであり、醍醐味でもあるでしょう。 そして、「あり得るべきリアリテ」としてのイメージング即ち、望むべき手本であるQoLのライフスタイリングの現実化を目標にファッションは物量と情報量によって、”速度”を減速し、イメージング作業の一つとして時代の流れにのキーワードである「安心、安全そして、快適」のための”ユニフォームのアヴァンギャルド”化が始まった。その手法はファッションサイクルの中で”模倣=バーチャル”という手法を使って”時代の習慣”=リアリテを生み出すことである。ここ数シーズンでは、かつてのアヴァンギャルドを、例えば、PUNKをコード化し始めたというような、新たな新しさではなく、かつて在ったものからの選択と編集作業がクリエーションになる、「Variation of the Archives」という世界が登場したのである。従って、情報も創造のための情報から”選択と編集”という”ブリコラージュ”のための情報量に変位した。

4)では、ファッションの最前線とは、;
 今、モードの新しさとは? について、はっきり言えることは、「モード産業は広告産業である。」 (広告を産業化する時代のヴァリエーションの一つ。このカテゴリィーにはスポーツも入る。) 時代性はより、『家で、みんなで安心、安全そして、快適に!』なる時代。従って、モードの世界もこの現代という時代性の王道を行く、”工業製品のプライド”の復権の時代。 クチュール/手工芸の世界と、ラグジュアリィーファッションをトップとした”既製服”の世界そして、ファストファッションの棲み分けが、あるいは、”ミュージアムショップ”と”スーベニール ショップ”というクオリティの差異化がこの21世紀前半の”スタンダード”であろう。(ノームファッションの登場もこの世界のヴァリエーションでしかない。)そして、モード産業とは、クチュール+ラグジュアリィ+プレタポルテ+アパレル+ファストファッションから、新たな産業化として、”スローファッション”のカテゴリィーが生まれ、サスティナブル、ヴィンテージの世界とリ-プロ/リ-メイク/リ-サイクルという手工芸化が加わる。そして、ラグジュアリーレベルでは個人デザイナーからアトリエチーム主体型へそして、彼らたちをディレク ションできる”ファッション-アースティックディレクター”志向へ時代は流れ始めた。 アパレルやファストファッションでは、”生産企画&管理”職が重要な構造になり、ファッションの世界も”リアリティ+ ヴァーチュアルリアリティ+イメージング”の三位一体化構造へ進化した。もう一つ、ファッションのクリアティビティとしての『新しさ』の規範が変化した。
 JUST NEWからSOMETHING NEW + OLD NEWへ、そして、”FRESH NEW”へ、あるいは、今シーズンのコレクションに多く現れた”EPISODE NEW ”へ。従って、基本的なクリアティビティの根幹は、”VARIATIONS OF THE ARCHIVES”であり、過去の集積から今の時代の空気感を感覚でセレクトし、そこへ新しさとしての”素材+色+プリント”それに、 ”一味”を加える、ニュアンスのデザインが重要な仕事となる。ビジネスを考えると、大事な作業としてはプルミエールヴィジョン(1年先の素材を売り込むための素材見本市)が発信する ”トレンド情報”のフレームからセレクトし、当て嵌め込んで行く作業であり従って、”デザイナー”よりも、”ファッション-アーステイックディレクター”が必要な時代性である。 DIORのRAFやY.S.L.のHEDIEなどがその代表選手となった。(例えば、日本では”instagram”からパクっているブランドもある。) 基本的な、”技術開発”が無ければこのファッションの世界のクリアティヴィティは”モノのヴァリエーションの時代”が 蔓延るだけである。そのモノのヴァリエーションの世界に意味性と嗜好性と時代性を味付けするには”エモーション”や”ノスタルジィ”と”妄想力”がキーワードとなる。 もう一つの確実な新しさは、”スローファッション”の進展であろう。「使える物は使う」をコンテンツにした感覚と技によって、全くの違った世界を、妄想力でクリエーションする世界はこれからである。

5)では、今の時代におけるデザインすることとは;
 ファッションの世界で普遍的になった諸コードをレイアウトすることである。そして、”時代の空気感”をデザインし、 ライフスタイリングの”ニュアンス”をデザインする。それらをデザインするための時代の感覚的新しさとは、”リアリテをイメージング”することであり、”イメージのリアリティ”化ではない。従って、時代の感覚的新しさとしては”素材+色+プリント=質感=3D感”が形骸的なデザイン性よりも、プライオリティを持つ。そして、ビジネスを考える場合は”トレンド”を自分たちのマーク&ブランドの世界観と顧客感によるイメージでデザインすることである。

6)ファッションをディレクションすることとは;
 自分たちのマーク&ブランドの世界観でモノとイメージをマーケティングディレクションができること。 そのための”手法”とは、ファッション-アーカイヴからのバリエーションをブリコラージュすること。 その根幹は、”時代の空気感”をイメージングし”ニュアンス”をモノと広告の世界でディレクションすることである。 そして、デザイナーよりも”知性とスキルと創造性と感受性と美意識と好奇心”の特化と持ち得た"文化度"が必要とされる。

7)ファッション-アーカイヴとは;
 ファッション世界における”基本コード”の集積化である。イメージングされたそれぞれの時代における女性の生き方の”コード”の堆積化である。ファッション-アーカイヴには、 ”スタイル+パターン+素材+色+ディテールとバランスそして、イメージと概念の諸コード”があり、それらが堆積されている巨大な世界になっている。即ち、1860年以降、ワースがパリで初めてクチュリエのブティックを創業し,約200年余の”ファッションリアリテ”の集大成である。 ここに、それぞれの時代の出来事や生活情景をヒストリカルにラインアップさせ、”ビッグーデーター”化し、マドリックス化すればあとはこのファッションの世界も”確率”のでクリエー ションがなされる時代が来るだろう。

8)これからの時代にデザインするということとは、; 
 もう一つ、普遍的なることでは、人間が何かを「産み出す」ためには、他の動物が持っていない、人間しか持ち得られない、”文化”を糧にして、違うことを組み合わせて時代に立ち向かえるだけの"差異”を産み出すことを、継続させるためのエネルギィイにすると言うミッションを忘れてはならない。

9)ブランドビジネスにもこれは大切なことです。;
 個人が持っている或いは、ブランドが持っている 『知性+感受性+創造性+美意識+好奇心の五角形のバランス」を知ることと、高めることです。すなわち、それぞれの民族が培ってきた「文化」の豊穣さをどれだけ理解しているか?このためには「学ぶ」という構造とプロセスがそして、経験が必要です。ある意味でこれは”妄想”から生まれたプロジェクト案である。『大衆が求める”イメージ”とは、いつの時代も、あり得るべきこれからの生活とそのスタイルを”夢”としたものである。ファッション産業とはそのあり得るべき生活とそのスタイリングへ”ときめき”を与えるものに変わりはない。』
 そして、今後考えられる世界の新しさは、「大衆が求める”イメージ”」がヴァーチュアルへと移行することで生まれ得る新たなイメージ「妄想」という”メタ”の世界観がこのモードの世界へも到来するいうことだろう。

文責/平川武治:
初稿/2015年5月

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