居場所はここだと思うことより、強いものはない――水谷竹秀著『だから、居場所が欲しかった。』

 以前、知り合いの女性が、タイにインターンで行くかもと言っていたのを耳にしたことがある。あれもコールセンターの仕事関係だったのかもしれない。コールセンターは沖縄などにもあり、いかにも東京や大阪の本社にかかっているように思えて、その実、遠い地方に電話がつながっているとも聞いたことがある。それがタイにも広がっているのだろう。アメリカの企業のコールセンターはインドにあるとも聞く。

 『だから、居場所が欲しかった。』は、そんなタイのバンコクのコールセンターで働く日本人の姿を描いたルポルタージュだ。

 読みながらまず思ったのは、コールセンターの仕事とはそれほど悪いものなのか? ということ。お客さんのさまざまな要望に的確に対応するのは、かなりのコミュニケーションスキルがいる。少なくとも自分には無理そうな気がする。だから、コールセンターの仕事をこなしている人は純粋にすごいと思う。

 しかし、この本で描かれているバンコクの日本人社会では、コールセンターで働くオペレーターは最底辺だとみなされている。日本語が話せれば、つまり日本人であれば誰でもできる仕事だと思われて蔑まれている。実際そこで働く人にも、ここは別の目標を叶えるためのステップであると割り切っている人もいる。その後、起業を果たした若者も本の中に出てくる。

 コールセンターがそのような見方をされる理由のひとつは、そこに集まる人の特異さだ。特殊な生い立ちや性的な問題などを抱えて、日本社会では生きづらかった人たちが集まってくる場所、「人種のるつぼ」のようだと著者は表現する。多様性がすごいという意味だ。

 興味を持った著者は取材を始める。もともとは「アジアで働く若者」といった漠然としたテーマだったが、取材していくうちにコールセンターが気になるようになる。それは著者自身の過去、日本を離れてフィリピンに移り住んだ自身の経歴と重ね合わせることができたからだ。

 取材されているのは主に20代から40代の男女で、ゴーゴーボーイにはまった女性など、衝撃的な話も出てくる。でも読んでいて、それらはどこか遠い国の出来事とは思えず、同じ世界の延長線上にあると感じる。それは自分もバックパッカーでアジアを旅行したり、海外で働いてみたい、住んでみたいと思ったりしたことがあるからかもしれない。現に今、会社をやめてフリーランスとして先のことはわからない生活をしているからかもしれない。何か少し流れが違ったら、そこにいたかもしれないし、これからそこに行く可能性もある。

 そんなふうに感じるのは、著者の水谷さんの目線も、やはり同じ高さにあるからだろう。ジャーナリストとして距離を保ちながらも、単なる取材対象、話のネタというだけではないアプローチをしていると想像できる。

 読みながら初めのほうでは、身につまされるというか、本の中に出てくるホームレス状態寸前の困窮邦人のようにならないよう仕事をしなければ、スキルも磨かないといけないかも、などと思った。にっちもさっちもいかなくなって、周りから見放されるような状況に恐怖を感じた。

でも読み進めていくうちに、でもいったい何が悪いのか、という気持ちになってくる。誰にも頼れず一文無しになってしまうのはまずいが、仕事の内容が他人から軽んじられていても(本当に軽んじられるべきものかは別として)、生きるための選択肢として蔑まれることではないと思う。

 日本では風当たりが強くて生きづらかった性的マイノリティの人が、タイで居場所を見つけて伸び伸びと暮らす姿は、適応的というか、うまい生き方だ。その行動力や身のこなしを尊敬するし、自然なことだとも思う。

 いったい何と比べて蔑まれているのだろうか? それは社会的地位が高く、公私とも充実した人生という架空の物語かもしれない。人類の進化も発展も、人が生きやすい道を選ぶことで作られてきたはずだ。この本のタイトルにもなっているように、どこかで自分なりの居場所を見つけたなら、周りがどう言おうと、それはひとつの答えだ。「自分の居場所はここだ」と思うことより、強いものはないのである。

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