瞼の裏のセンチメンタル

かわいいお写真。ほっこりしました。

今朝、出勤途中の電車の中で受け取った一通の連絡である。
胸が暖かくなって、少し視界が滲んだ。

___さんは、元私の上司である。
第一印象は、冴えないおじさん。背も私と変わらず、眼鏡で白髪交じりの、猫背で早足な方だなあという印象だった。あとから体育会系な過去を知って驚いたものだ。
___さんは、私のような若手にも敬語を使って、丁寧に接してくれる。 何かをするときは
必ずこちらの都合をきいて、私から話しかけに行くと、必ず手を止めて、 目を合わせて話してくれる。
私は人の目が嫌いだが、___さんの目は好きだ。

___さんが上司になった時、すなわち私が転課したとき、私は限界だった。
そもそも前の部署での限界を感じ退職の意を告げたところ、「環境を変えてみよう」という別の元上司の提案で決まった転課だったので、健全な状態なはずがなかった。
新しい部署でも 私はどう過ごせばいいのか全くわからなくなっていた。 だから、とにかく規則に従おうと思った。言われた仕事を迅速にこなせばいいと思った。 黙々と事務をこなし、必要最低限の会話をして過ごす日々。皆が談笑していても、自分の名前を呼ばれない限りは会話に入ることはなかった。
自分の在り方がわからないなら、空気になればいいんだ、いなくなればいいんだ、と思ったから。

ある日、 お昼頃に噴火か何かのニュースが流れて、それを確認するために___さんがテレビをつけた。皆はテレビに集まっていった。私は行かなかった。業務上必要がなかったからだ。
その時、___さんが声をかけてくれた。
「すいどうさんも一緒に観ましょう。」
きちんと目をみて、優しく、私の傍まで来て声をかけてくれた。
私は返事をして、そろっと後ろをついていき、___さんの横でテレビを観た。
あの時テレビを観て、何が変わったわけでもない。私は相変わらずのままだった。テレビを観ることくらいで、何かがかわるはずもない。
それでも、声をかけてくれたのだった。
転課の経緯も知っていて、ずっと密かに、気にかけてくれていたのだろう。
それからも、何かあればさりげなく声をかけてくれたし、新しい仕事を見学させてくれたりもした。___さんの横は、安心できた。

結局私は転課した後、課の仕事を覚えきる前に休職することになった。
転課したからといって、今までの蓄積した不安がなくなったわけではなかった。
この頃にはほとんど眠れないまま仕事に行くことが常になり、いくら説明されてもすべてのことがすり抜け、あっという間に抜け落ちて、それを繰り返して自己嫌悪に陥っていた。周りからはさほど違和感のない仕事の出来高だったらしいが、私自身はあまりに自分が無能に思え、毎日「何故今日も生きているのか」と思いながら過ごしていたものだ。鬱病の診断が出たので休職というかたちをとることになったが、そうでなくても近いうちに会社に行くことはできなくなっていただろう。

申し訳ない気持ちを抱えたまま11月から休職の挨拶をした最終日、___さんは椅子に置いてある自分の鞄を床に置き、私にそこに座るよう促した。
そして、自身も八年前に鬱病を発症したこと、今も服薬していることを、静かに教えてくれた。
「ゆっくり休んで、また会いましょう」
___さんはそう言った。

結局一か月のところを延長し三か月休んだのち、時短勤務スタートで復帰した。
私が戻る頃にちょうど研修に来た後輩が休んでおり、少ししてからお高いケーキが___さんから課員にふるまわれた。「すいどうさんと後輩君の復活祝い」だった。

復帰してから、業務量も徐々に増やしていった。そのたび、___さんは「多すぎないか」「久しぶりだから不安でないか」「これはこの人を頼ればいい」と、本当に丁寧にサポートしてくれた。頼る相手に〇〇さんをお願いしますね、と声掛けまでしてくれた。私にかまっている時間を他の人に任せて、自分は職位者なのだから自分のために時間を使うというやり方もあったと思う。
でも、そうしなかった。

私がフルタイム勤務に戻り、落ち着いてきたころに、___さんの異動が決まった。
ラインを交換したのは、___さんが□□に異動する前の、最終出勤日だ。
___さんに御礼のメッセージを入れた小さなイラストをプレゼントしたのだが、 デジタル媒体の物も入用か念のため尋ねると、「是非欲しい」といってくださったのでラインにて送付したのだ。
本当に、そのためだけの交換だった。

___さんが異動して何日か経った後、___さんから一通のラインが来た。
「すいどうさん、こんばんは。今朝、舎宅を出る前にすいどうさんのくださった絵をみて、『よしっ』と勢いをつけ初出勤してきました。」

___さんを知っている人は皆、口をそろえて「良い人」という。「優しい」という。
それはきっと、間違いではない。
けれど。
いつも細かいところまで見ていて、
押しつけがましくなく、気配りをかかさない。
マメで、説教臭くなく、穏やかに諭してくれる。
謙虚で、誰とも丁寧に接する。
全体を俯瞰しているようで個人にも寄り添うことができる。
そして、思ったことを飾らずに、かっこうつけずに伝えてくれる。

それは、「良い人」で伝えられるのだろうか。
「優しい」で伝わりきるのだろうか。

私は___さんに見合う言葉を未だみつけられないでいる。

___さんが異動してからしばらく経った今でも、お互い時折近況報告をする。
___さんの愛車(自転車)の紹介。私の川下りの旅行。___さんの美術館の感想。私のデッサン教室の話。
私がアイコンを変えると、よく連絡してくれる。デッサン教室にいったというと、「差し支えなければ作品をみせてほしい」と。そしてとても素敵な感想をくれる。ちょっと恥ずかしくなるくらいに褒めちぎって、最後に必ず、「これからも楽しみにしています」といってくれる。「みせてくれてありがとうございます」、とも。

彼は原田マハさんのファンらしく、「マハさんは優しい文章を書く」といっていた。
私は、そんなあなたの、___さんの言葉が優しいと思う。

___さんは読書家で、本を読んでいく中で美術史に興味を持ち、美術そのものにも興味をもつようになったらしい。美術館に開館から閉館の八時間滞在する程の熱心さだ(それでも観足りなかったらしい)。
以前、どういう気持ちで絵画をみるのか、尋ねてみたことがある。
答えはこうだった。

「美しいってどういうことか知りたい、昔から人々がどういうものを美しいと感じてきたのか知りたい、と思っているだけなんです。」

そんな___さんは、自分がどんなに美しいか知っているのだろうか。
あなたの好きな美術のように、あなたの紡ぐ言葉が、寄り添う姿が、人のよりどころになっていることを知っているのだろうか。どんなにあなたに救われているか、あなたは気づいているのだろうか。

やっぱり私はまだ、___さんを表す言葉をみつけられない。


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