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「××で文字数」

何かを感じた時、それを言葉にしないで終わらせることはとても虚しい。
”自分が感じたものが何なのか”を確認しないまま忘れてしまうことで、人生は色も味も無くなる気がする。

せめて、感覚を形容詞にする所まではしたい。

楽しい、嬉しい、悲しい、つらい、おいしい、さみしい
自分の感じてるものが何処に属してるのかを探ることで、何かが分かることは多い。

ポジティブであれ、ネガティブであれ、感情が暴れた時は自分を俯瞰で見て「こいつは今、何をしてるんだろう」と観察すると「あ、こいつ寂しいんだ。だからか」とか「なんだ、嬉しかったのか」とか、根本の何かが見えてくる。
それが見えることで、自分に何をしてやったら良いかがわかる。
そういう自分との付き合い方は、心の安寧のためにはとても大切だと思う。


ものすごく大きなことを感じた時は、形容詞で終わらせないこともだいじ。
「楽しい」「面白い」「嫌い」って、それはどうして?
どんな風に?
過去にどんなことがあったから?
それは何に似てる?
そうやって思考を広げたり深めたりするとこで、起きたことに対する理解が深まる。
表現力が身につく。
人に伝えられるようになる。
何かを作ることが出来たり、何かと繋げることが出来たり、可能性が広がることもある。

言葉は大事だよ。
ちゃんと自分の考えたこと、感じたことを人に伝える言葉を持つことは、すごく大きな武器であり、宝物になる。
伝えてもないのに「わかって欲しい」なんて無理だ。
「語彙力」とか「文字数」とかそんな3文字で済ませるのは、なんか怖い。

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