ストレイト・アウタ・コンプトン〜“世界一危険なグループ”にされたN.W.A
『ストレイト・アウタ・コンプトン』(Straight Outta Compton/2015年)
1980年代半ば〜後半。当時の日本のロックファンには、ヒップホップ/ラップを「ロックの一部」として聴いていた人が少なくなかった。
例えば、エアロスミスをサンプリングしたランDMC、ハードコア・パンクスだったデフジャム・レーベルのビースティ・ボーイズはもちろん、極めて政治的なパブリック・エナミーやどこかオタク的なデ・ラ・ソウルなど、まだ「こちら側」の音として扱っていた。
さらには、ヒップホップ/ラップ=ニューヨーク/東海岸というイメージもまだまだ強かった。
そんな感覚に変化が起きたのは、ギャングスタ・ラップの登場。1990年代前半、ヒップホップ/ラップの“場”は完全にロサンゼルス/西海岸へと移行した。
自分たちのゲットーでの暴力沙汰や、ストリートでの警察との衝突を訴える彼らは、アメリカですぐさま社会現象となる。そして東西抗争も勃発して、1995年の2パックと96年のノートリアスB.I.G.の他殺という最悪の事件を迎えることになっていく。二人はまだ25歳と24歳という若さだった。
同時期。ロックの世界でもそれまでアンダーグラウンドだったシーンが一気にメインストリームへと浮上する。オルタナティヴ/グランジの時代が到来したのだ。
その顔役に祭り上げられたニルヴァーナのカート・コバーンは、苦悩と葛藤の結果、94年に27歳で自殺。
外向きのヒップホップと内向きのロック。それぞれのシーンを代表するアーティストたちの死に様が、それを象徴していたように思う。
80年代までのロックをいつまでも引きずっていた人、能天気なMCハマーをヒップホップ/ラップの最先端だと思ってしまった人には、このあたりの動きはもう完全に「あちら側」の出来事に映ったかもしれない。
世代によっては「まったく興味がなくなった」「分からなくなった」と言う人もいる。そう、90年代前半は大きな分岐点だったのだ。
どちらが良い悪いの問題ではない。「時代は変わる」ということ。だが、2010年代や2020年代の音楽シーンを理解するには、90年代を知らなければ面白くならないことも事実だ。
『ストレイト・アウタ・コンプトン』(Straight Outta Compton/2015年)は、ギャングスタ・ラップというジャンルを確立し、その序章をリードした伝説的グループN.W.Aの結成と解散、友情と確執をベースにした大ヒット映画。
これを観ればラッパーが、ブルーズマンと同じような存在というのも頷ける。「分からなくなった」人やTAP the POP的な「音楽の旅人」には、一つのナビゲートとなること必至。見応えのある傑作として、ぜひ先入観なしに体験してほしい。
1986年、カリフォルニア州コンプトン。青いバンダナのクリップスと赤いバンダナのブラッズというカラーギャングが対立し、ドラッグや銃の売人が蔓延る。ここはアメリカで最も犯罪比率が高いエリアだ。
イージー・Eは、売人として生きている。その夜も怪しげな連中と取引中。警察沙汰に巻き込まれる。
ドクター・ドレーは、音楽に没頭してDJをしている。弟は彼を崇拝しているが、母親からの理解は得られない。
アイス・キューブは、ノートにリリックを書きまくっている。スクールバスの中ではブラッズの連中から説教された。
やがてドレーはビジネスの才覚があるイージーに、「俺の音楽に投資してみないか」と持ち掛ける。こうしてルースレスという名のレーベルを立ち上げ、「Niggaz Wit Attitudes」(主張するニガ)、略してN.W.Aは始動した。
1988年8月にリリースしたデビュー作『Straight Outta Compton』は、放送禁止を喰らいながらもプラチナディスクを獲得。地元の緊迫した日常ネタや若い黒人に対する偏見をラップするN.W.Aは、一つのライフスタイルとなり、全米ツアーで若い世代を巻き込んでいく。
中でも警察権力に対する「Fuck tha Police」はFBIから警告を受け、世界一危険なグループのレッテルを貼られてしまう。デトロイトではこの曲を披露して逮捕もされた。それでも彼らは脅迫に負けなかった。
1989年、主力メンバーのアイス・キューブが、イージーや白人マネジャーとの金銭トラブルから離脱。ソロに転向すると、かつての仲間だったイージーらとビーフやディスり合いに発展。
1991年には、ドクター・ドレーも不正や搾取に気づいてグループを離れていき、N.W.Aはあえなく解散。
ロサンゼルスではこの頃、スピード違反で逮捕された無抵抗の黒人青年が、20人以上の白人警官によってリンチされるという事件が起こっていた。
1992年、ロス暴動。警官たちが無罪判決を受けたことから黒人が暴徒化。死者53人、負傷者2000人、逮捕者1万人(86%が黒人とヒスパニック)、放火3600件、崩壊した建物1100件、被害総額10億ドル。
ギャングスタ・ラップは時代とシンクロし、ドレーはシュグ・ナイトと設立したデス・ロウ・レーベルから『The Chronic』をリリース。Gファンクで一世を風靡する。
しかし、ブラッズの構成員だったシュグ・ナイトが次第にワンマン化。ドレーは嫌気が差し始める。一方で病魔に冒されたイージーは、ドレーやキューブの成功を見つめるしかなかった。
次第に3人は結束。昔の友情が蘇って再結成へと動きだす。そんな矢先の95年、イージーがエイズに倒れ、31歳で力尽きてしまう。ドレーはシュグ・ナイトと決別し、アフターマス(その後)というレーベルを立ち上げて心機一転を図るのだった……。
映画の最後にはこんなクレジットが刻まれて、観る者の心を熱くする。映画の製作にはドレーとキューブも加わった。
IN LOVING MEMORY OF
ERIC “EAZY-E” WRIGHT
文/中野充浩
参考/『ストレイト・アウタ・コンプトン』DVD特典映像、『文化系のためのヒップホップ入門』(長谷川町蔵/大和田俊之・アルテスパブリッシング)
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