妻に素直になれないのを何とかしたい

はい、私のことです。。

もう何年もムスッとしているので、今さら付き合いたてのようにキラキラ接しようとするのは、すごく勇気がいるし、何より恥ずかしいんです。

ムスッとするようになってしまった経緯はいろいろありましたが、大体は日頃の小さな出来事の積み重ねです。

たぶん、私が気持ちの切り替えが下手なのが原因のひとつでしょうね。


そんな私ですが、いま別居生活をしながら在宅で仕事をしています。激安の民泊で在宅ワーク。

娘2歳がかわいいのですが、雄叫びが気になって平常心で仕事ができなくって。。仕事で気持ちに余裕がなくなっている私も雄叫びを上げる。ムスッとレベルの上がった私に、妻も耐えられません。


こう離れてみると、普段ムスッとしてたのが仇になって、怖くなるんです。「このまま離婚切り出されるんじゃないか?」とか。

じゃあムスッとするなよ、ってなりますよね。笑 はい、私はいま絶賛反省中です。


なんで怖くなったのか考えてみたんです。

ムスッてするなら、極論別れてもいいですよね。実際、別れちゃおうかと思ったこと自体はあります。

けど、それはあくまで、「私から」別れを言い出すイメージでした。

それが、「妻から」別れを言い出すのを想像した途端、「怖い」と感じたんです。


自分が用済みと思われること、精神的な拠り所がなくなることが、何よりも怖い。

ズルいですよね。

あと、自分から別れを切り出したとしても、元妻は都合よく好いてくれたままで、引き続き拠り所にできると思ってるの?って話ですよね。んな訳あるか。


どうも、拠り所が欲しいみたいなんですよね。

ワーカホリックになってしまうのも、評価されたり、居場所が欲しいからなんでしょうね。


仕事は上手くいくときと、いかないときがあります。

上手くいかないときに心が折れて、別居の途中ではありますが、妻に「帰ってもいい?」って思わず聞いてみたんです。

当然「いいよ」を期待していた私に対して、妻は「まだもう少し外にいて」と。

はじめてに近い、妻からの拒否。

突如、仕事も家庭も、居場所がなくなってしまったように感じました。これが、まあキツい。


帰ったときに当たり前のようにいる家族のありがたさ。

一緒に遊んでくれる娘、その場を、居場所を作ってくれている妻に、もっと感謝しなくてはいけません。


そこに家族がいるのは当たり前のように見えているかもしれないけど、決して「当たり前」な訳ではなくて、これは今までの積み重ねがあったからこその、賜物。

だからこそ、普段をムスッと過ごすんじゃなく、普段の「当たり前のような」日常には感謝すること。妻には感謝すること。

そして、これからも居場所を守るために、日々積み重ねていくこと。


結局、どこにでも書いてるような話に行き着いちゃいましたね。でも、毎度こういうのって、実感して初めて「その通りだな~」ってなりますよね。笑

いま実感をもって気付けて、本当によかった。

なんとかこれから、妻とは少しづつ、上手くやっていけそうな気がしています。

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