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それは死に至る病

昨日ちょっとむしゃくしゃしてたので夜ご飯はとつぜんの焼肉きんぐをキメた。
焼肉はいい。ミートイズパワー。いつまでも食べ放題、という言葉にときめくことのできる肉体でありたい。

ただ、最後になぜかたこ焼きが食べたくなってシメ注文した結果、めちゃくちゃ胃もたれして今日は水分以外何も受け付けない哀れな胃袋を得てしまった。あゝ無情。


支援、支援のあり方、みたいなものについて時々考える。
自分の中の壁打ちに近い。
誰かに押しつけるものではなく、支援のあり方、かかわり方について自問自答することが時々ある。

その時々で、私が思い描く『あり方』は変化していっていると思う。
新人の頃にうすらぼんやりと描いていた『こうなんだろうな』と、今の自分が『こうありたい』『こうだったらいい』と思うあり方は多分まるで違う。
多分、というのは、私の思い描く支援のあり方が、あくまでイメージで、うまく言語化するのが難しい領域だから。
だから、はっきりと口にして出せるほどのものはいまだに掴めていなくて、そしてこれからもきっとちょっとずつ変わるんだろうなあと思う。

最近思うのが、きっと、『こうだったらいい』を考えるのをやめた瞬間、終わるんだろうな、ということ。
人間は難しい生き物で、言葉は信用ならなくて、そしていつだって予想外と可能性に満ちてるなあと思う。何が、何のこと、と言われるとこれもまた言葉にしにくいのだけど、なんとなくそんな気がしている。

ただ、思考停止した瞬間、試行錯誤をやめた瞬間、私にとっての『支援のその先』みたいなものは失われるんだろうな、と思う。
『私の役割は、⚪︎⚪︎である』
その定義づけや線引きは、確かに必要なのだけど、『だから私の仕事は××です』と言い切ったその瞬間に、何かが終わってその先はなくなってしまう気がしている。

『私の役割は、⚪︎⚪︎です』
『だけど』『だからこそ』
そのあとに続くものを、ずっとずっと考えていて、これもアリだよね、あれもアリだよね、じゃあコレは?あっちは?の繰り返しが今につながっている感覚。

誰かにおしつけたいわけではなく、ただ、そう感じる、というだけの話です、これは。

だいたいそんなかんじ。

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