作業療法士とオンライン
作業療法という業について
真面目と不真面目の混ざった話をしてみようと思います。
なんとなく、これは通過点として今残しておかないといけない気がしたので。
作業療法士は、平たく言えば「役割の復権」に関わる業だと私は捉えている。
誰しもが、母、父、娘、息子、孫、上司、部下、同僚、友人・・・そういう役割の中で社会生活を営み、いろんな側面を持っている。
その役割が、けがで、病気で、あるいは他のなんらかの理由により閉ざされた、一時中断したとき、その回復に携わる業。
だから、作業療法士が「作業」として関わる活動はものすごくたくさんあって、単なる「何かをさせる」「趣味をさせる」のが作業ではない、というのはそこに起因する。
これは十云年ぶりに本棚から引っ張り出した学生時代の教科書から引用。
そう考えたときに、だから、私は今閉ざされた場をもう一度作りたくて活動しているのかな、と。
最近はこういう活動をしてますん。
オンラインで、「役割」を回復していく
前述のmachicoの活動自体は、もともとベースにしていたものがあって、コロナによる変遷の結果でもあるのだけど、でも、やっていることはまんま「作業療法」の一環だな、とふと思った。
これまでの私たちの役割は、概ね「場」に依存してきた。
家庭、職場、学校。
そのどれもが今は「自宅」で完結せざるを得なくて、同じ場の中で、時々親、時々上司、時々生徒、みたいな、すべての場の境目が曖昧になっていっている。
しかも、「私」を追求できるはずの娯楽の場はほぼ失われているから、「私人」の場があまりない。
だから、「あれ、自分ってなんだったっけ」に陥る。
それはある種の役割の途絶、中断だと思う。
だから、オンラインの場づくりをしていくこと、オンラインの特性を理解すること、そして、「今対峙している相手がオンラインで何を実現しようとしているのかを聞くこと」は、私の中ではきっと作業療法なのだ。
「あなたは、何がしたいの?」「わたしは、それをサポートするよ」
という問いかけから始まる私なりの作業療法を、きっと、今はオンラインでもやっているのだと思う。
だから捧げる「作業療法士のみなさん」へのおてがみ
作業療法士って、すごく独特な業だと思う。
理学療法士ほど強い自分主語のメッセージを送るには気おくれしてしまい、言語聴覚士ほど専門特化した知識を披露できるかというとそうでもなく。
いわゆる国家資格としての「療法士」の中では、いまいち薄味な存在(※個人の感想です)
でも、主語を持たないわたしたちだからこそ、できることがこんなにたくさんある。
リアルでも、オンラインでも、わたしたちは「場」に応じて、相手をどこまでもサポートしていけると思う。
相手の役割と、その役割がひもづく場に合わせたコーディネートは、恐らくほとんどの作業療法士が無意識に「できて」しまう。
だから、オンラインを知ろう。
それは、機材に詳しくなるとか、機材を揃えるとか、コードが書けるようになるとか、そういうことじゃない。
あなたは福祉用具のスペシャリストだった?福祉用具専門相談員よりも?
あなたは筋肉や関節のスペシャリストだった?理学療法士や柔道整復師よりも?
あなたは治療のスペシャリストだった?ゴッドハンドと言われる人に並ぶくらい?
恐らく、多くの作業療法士が「NO」というんじゃないだろうか。
私も「NO」だ。
世の中にどんなオンラインツールがあるのか、作業特性を知る。
そのオンラインツールはどんな場づくりに向いているのか、環境特性を知る。
どんな使い方をしたら対象者の役割の復権になるのか、作業分析する。
きっと、私たちは、ここがものすごく得意な人種だ。
スペシャリストじゃなくて、ジェネラリストに向いているのは、作業療法士という業が主語をもたないからだと思う。
専門性ではなく、汎用性にこそ特化した業だと思う。
最後にちょっと、これからのmachicoのこと
だから、そろそろ、そういう用途で前述のmachicoを活用していく時がきたのかな、と今日ふと思った。
今、machicoには、いろんな方参画し始めています。
ちょっとだけ学校。
ちょっとだけ保健室。
ちょっとだけオンラインツールで遊ぶ場所。
ちょっとだけアート。
それは、たとえば学校の先生だったり、たとえば看護師さんだったり、たとえばIT業界の方だったり、たとえば芸術界隈の方だったり。
それぞれの強みを「オンラインでやったらどうなるんだろう」「リアルにつなげていくにはどうしたらいいんだろう」という私の中の好奇心と合わさった産物で。
結果として「オンラインとリアル、両方の場づくり」の一環で、いろんな発信を、かたちに捉われずやっていける気がしてる。
なので、バリバリオンライン特化したいわけじゃないけれど、「オンラインでも何かやってみたいことがある」ひとたちと一緒にやっていけたら、それ自体が私を少し満たしてくれる気がするよ。
そんなことを思った、珍しく早起きできたとある平日の備忘録。