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懺悔の鑑賞・万引き家族/誰も知らない

炎上喫煙所を過去から遡って聴いていると「怪物」という映画が凄いと去年の夏頃の回でレコメンドされていたので、サブスクどっか来てるかな〜と巡回したけどまだ未着だった。とりあえず今見たいという欲求が抑えられず各種感想やyoutubeで考察動画を観まくって概要を理解してしまうという結構最悪な鑑賞をしてしまった。もうしません。

免罪符を得るためにも是枝作品は全く実は観たことがなかったのでサブスクにある「万引き家族」と「誰も知らない」をぶっ続けで観まくって今現在である。こういう権威主義的な鑑賞チョイス態度はそろそろ辞めてみたい。しかし、この根底にある「福祉」の社会厚生力みたいなものの有り難さはやはりシビれる作品である。

万引き家族はおやおやと思いながら違和感の糸を手繰るように観ると、思ったより悪性な属性に寄っていき、かなり理解らされた。この弱者というか貧弱の合理的精神というか、そんな状況でも変に牧歌的である捻れた集団の「日常系」というのは毒性がかなり深くて抉り取られていく。ある種ウシジマくん的であったりGANTZのあの低い温度の人物描写のジンワリ感みたいのに通づるものがあった。

誰も知らないに関しては、小学校の同級生に似たような存在は居た!と自己の記憶がフラッシュバックしてきてなかなか喰らう。学校にこそ通ってたものの、親不在であったり迸る野良感みたいなのに思い当たる節があり過ぎた。俺はすぐ近所の団地の彼等彼女らを完全に他人事として過ごしてたのである。存在するかどうかの祖母と暮らす管理者不在の「準ノーバディーノーズ」ぐらいの存在は平気で居た。

彼等は小学校の途中で消えていったし、消息も一切掴めなくなるが当時の自分はそう言った因子を含む存在が居なくなる事に対して少し安堵するような小市民感覚であったことを懺悔したい。そして地元の小学校は改めてアウトサイダーな存在が沢山居たのだと今になってリアルに実感する。健全な家庭に育ち過ぎていたので、彼等のような存在は正直マジで当時そうなる意味がわかってなかったんだよなあ。

創作を通して存在を再認知するというのもやはり映像作品の醍醐味でもあり、自分自身東京で現在進行形でほぼ誰も知らない状態になっているので自己の危機感も引き締めて生きたい。

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