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音楽の記事を書こうとした #06



「くるりの『京都の大学生』を聴いて行くんだよー!」

卒業式の日に軽音楽部の友達から言われた言葉を思い出し、イヤホンを耳につける。

まだくるりは『東京』しか聴いたことがなかった。

そうだ。東京じゃなくて京都に行くんだ。


中学生くらいから漠然と『自分は上京する人間』だと思って生きてきた。

でも今、新幹線はなぜか京都へ向かっている。


いや、間違えたわけじゃない。こっちであってる。

薄暗い車輌デッキの窓の外を観ながらウォークマンの再生ボタンを押した。


くるり / 京都の大学生


ピアノのメロディがなんだか色っぽくて、大学生って大人だなぁとしみじみした。

キャリーバッグとギターケースを体に寄せて、これからの生活に想いを馳せてみる。

ソフトケースの中の、固いギターの感触。ドキドキに振り落とされようにしっかりと握る。


別に、音楽をやりに行くわけじゃないんだけどな。


このギターケースはあちこちに連れ回したからボロボロになってしまった。穴もあいた。

それに気づいた父が、夜半縫って直してくれたのが、すごく嬉しかった。

父はいつも僕の夢や挑戦を静かに応援してくれる人だった。

寡黙な人だから基本的には話したがらないのだけど、まれにスイッチが入ると話が止まらなくなる。(お酒は飲まない人で、ブラックコーヒーで語り合う。)時には夜を明かしてしまう日もあった。僕は父親によく似た。

小学校の図画工作で描いた版画や彫刻、書いていた小説、絵、バンドの曲。父は父として褒めることよりも、ちゃんと評論をしてくれる。そこがいい。

父の心にヒットした時はしばらくぼーっとしてから言葉をくれるし、あんまりなときはあんまりそうな顔をしてくれる。

僕はそんな父から刺激を与えられ、育ててもらった。とても感謝してる。


出発の朝。
父は僕が出るよりも先に、"いつも通り"な感じで仕事へ向かった。

バンドを終えてまた違うことをやり始めることも、きっと父は静かに応援してくれている。そんな背中だった。


愛しいギターケースを撫で、京都での新生活を妄想する。

妄想は大抵当てにならない。
でも、妄想以上のことだって起きる。
それは良かれ悪かれ、絶対に起きる。
18歳の僕は少しずつ解りはじめていた。

高校時代に組んでいたバンド『あきこ』は、出発の数日前にラストライブを終え、解散した。


あれ、「解散」って言い忘れたかな?


言ってないかも。どうだったっけ?

でも休止ではないし、確かにあそこで終わりだった。

終わりって意外とあっけない時がある。


新たな夢と希望に満ちた今、名残惜しさは感じなかった。


プレイリストを変えるみたいに、新生活が始まった。





京都


地元でもないのに、「京都に帰りたい」と思うことがある。
"京都の大学生だった"人間の多くがそうなるらしい。

現実的な話、もう京都に帰る家はないし知り合いもほとんど出てしまっている。
思い出のお店も、続々と歴史を終えていると噂に聞く。


だからもう"あの京都"には、どうやったって帰れないんだ。


河原町通り。鴨川。京都市バス。

商店街。ラーメン街。公園。京阪。叡電。

喫茶店。定食屋。居酒屋。友達の家。大学キャンパス。

クソ暑い夏。クソ寒い冬。何かが変わりそうな春。透き通った秋。

学生街。文化の街。ワンダーランド。


この街で、
たくさんの素敵な場所や人と出会い、
濃密な時間を過ごし、たくさんの曲が生まれた。


結局僕の人生には、音楽は切っても切り離せないものらしかった。



07につづく




久しぶりに『京都の大学生』を聴く。
歌詞や音から飛躍して、
あの頃の思い出やにおいが帰ってくる。

音楽で日帰り旅行ができそうだぜ!なんてな!


谷口








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