見出し画像

ただ生きる!

 2018年は、完全に抜け殻状態で迎えた。まるでガス欠みたいな心の状態は、度々訪れるてくるので自覚しているし、気をつけてもいる。
 
 それでも“それ”はやってくる。一種の燃え尽き症候群のようでもあり、ちょっとした鬱状態でもある。どんどん厭世的になり、長期化すると、ただひたすら社会から自己の存在を消し去りたくなるほどに拗れる。

 そんなさなか、2018年1月3日の夜、近所のスーパー銭湯に行った。

銭湯に浮かぶアヒルたち

 その銭湯では、露天風呂によくアヒルを浮かべている。その夜も何百もの、黄色い、小さなアヒルのおもちゃがプカプカと湯船に浮いていて、中学生らしき男の子が独り、アヒルたちと戯れていた。

 戯れているといっても、実際は風呂桶にアヒルを集めては湯船に流し込み、また集めては流し込むを繰り返していたに過ぎない。切れ長の吊り目をした男の子は、お稲荷さんの狐を連想させる不可思議さを醸し出しつつ、なんとも寂しげだった。
 
 そこに小学一年生くらいの男の子と高校生くらいの男子がやってきた。まるでキューピーちゃんみたいに愛らしい小学生は湯船一面のアヒルに大興奮。

「すごいねぇ。なにこれぇ!!」

 高校生は尾崎豊似のイケメンで、そのよそよそしさから察するに従兄かなにかだろう。優しくキューピーちゃんを盛り上げる。

「ホントだ。アヒルがいっぱいだね。お正月だからかな? きっとそうだよ。よかったね。ラッキーだったね」

「うわぁーーーぃ!!」

 キューピーちゃんが湯船のアヒルの中に小さくダイブする。ぼくは「別に正月だからってわけじゃないよ。しょっちゅうやってるから」と言った。もちろん心のなかで。
 
 すると独りで遊んでいたお稲荷ボーイが尾崎豊に声をかけた。

「ほら、あそこ見てみ」

 ぼくは、高校生に初対面でいきなりタメ口かぁ、と思ったが、彼に促されるように目をやると、岩風呂風に施されている露天風呂の岩々のうえにアヒルがいくつか陳列されるように乗っていた。どうやらこれもお稲荷ボーイの仕業らしい。

 しかし、お稲荷ボーイは空気が読めないようだ。あきらかに尾崎豊が戸惑っているにも関わらず、話しかけるのを止めない。
 
「ぼくさぁ、ずっと独りだったんだよ。お母さんと弟と一緒に来たんだけど、弟はお母さんと女湯に行っちゃってさ、寂しかったんだ」

 ストレートだ。こんなふうに寂しいって初対面の人にサラッと言えるお稲荷ボーイ、すげぇなと思っていたら、会話がどんどんシュールになっていく。

風呂底に沈むアヒルの死体

「ほら、アヒルが死んでる」

 体内にお湯が入ってしまい湯船の中に沈んでいるアヒルを指差してお稲荷ボーイが言う。

「だから、ずっと独りでアヒルの死体を拾ってたんだ」

 沈んだアヒルを風呂桶に拾い集める。

「じゃぁ、問題です。7+5+3÷2は?」

 脈略のない出題に戸惑う尾崎豊。

「え?! いきなりなに? えっと7.5?」

「ブッブー! はい、罰ゲームです」(いや、合ってるじゃんよ)

 お稲荷ボーイは集めたアヒルの死体をお湯ごと尾崎の頭に浴びせる。これには怒るかと思ったが、この子は性格もイケメンらしい。「うわぁ、やられたー」と言って笑っている。キューピーちゃんも大喜びだ。
 
 ぼくは思っていた。お稲荷ボーイは、あきらかにうざがられるタイプだ。もしかしたら学校でも友だちが少ないのかもしれない。でもぼくはなんだか応援したくなってしまった。
 
 アヒルは、チューチューと音が出るようになっているのだが、みんなにいじられ、音の鳴る部分が外れ、ただの穴になっているものが多い。だからそのアヒルから空気を押し出して皮膚につけるとまるで吸盤のように吸い付く。ぼくは自分の額にアヒルを一羽吸着させた。
 
 最初に気づいたのは、お稲荷ボーイだった。尾崎豊とキューピーちゃんに目配せをする。不思議な顔をする尾崎とキューピー。

「あそこ、アヒルがくっついてる」

 お稲荷ボーイと尾崎とキューピーちゃんの目線がぼくに注がれる。

「なんだよ。なにかついてる?」

 ぼくは惚けた。

オヤジと、お稲荷ボーイと、尾崎豊と、キューピーちゃん

「ついてるよぉ。アヒルがついてるー」

 ケタケタと笑うキューピーちゃんが可愛い。尾崎もお稲荷ボーイも笑っている。ぼくは彼らの輪の中に入っていき、アヒルを吸着させるコツを伝授する。おしりや胸につけてみんながはしゃぐ。

 岩の上に乗っているアヒルにアヒルを投げつける。弾き飛ばされるアヒルのようすが可笑しくてたまらないキューピーちゃん。たまにアヒルの上にアヒルが重なったりすると目をキラキラさせて、ぼくのほうに驚きと敬愛の眼差しを送ってくる。悪い気はしない。
 
 五十過ぎのオヤジと、お稲荷ボーイと、尾崎豊と、キューピーちゃんの四人は、後から湯船に入って来て、遠巻きに見ていたほかの子どもたちを巻き込んでいく。
 
 途中から参加したマルコメくん似の小学生男子が、岩めがけて投げていたアヒルをぼくに向かって投げつける。すると子どもたちが一斉にアヒルをぼくめがけて投げつけてきた。こういうときの子どもは手加減を知らない。

 正月から銭湯で見知らぬ小学生たちとアヒルで遊ぶ“五十過ぎの子ども”はさておき、“本当の子ども”というのは実に無邪気でいいものだ。でもそこに別なオトナが入ってきたところで、オヤジ子どもはオトナに戻った。
 
「はい。ほかのおじさんたちが来たから、もうこの遊びは終わりね」

風呂上がりにアガル気持ち

 そこからぼくはサウナに入ったりして、彼らとは別行動をとり、風呂場をあとにした。脱衣場に行くと、お稲荷ボーイとキューピーちゃんとマルコメくんが楽しそうに話し込んでいた。そこでぼくも「よっ!」と手を上げて挨拶をしてみた。でももうそこにオヤジの入り込む余地はなかった。
 
 そしてぼくは気づいた。いつのまにかスカスカになっていた心の状態から抜け出そうとしていることに。だからぼくは、どうしてもこの出来事を書き留めたくなった。

ただ生きることの難しさよ

 そんな気持ちで迎えた4日の朝。
 
 なんとなく浮上し始めていたとはいえ、まだ本調子ではなく、具体的にどんな第一歩を踏み出せばよいものか、ぼくは分からないでいた。でも気持ちが動き出すとなにかを引き寄せるのだろう。ぼくは、ある言葉に出会った。
 
「ただ生きる」

 カーナビに流れていたテレビで『じゅん散歩』の高田純次が語った彼の抱負だった。
 
 あぁ、これだと思った。
 
 高田純次はチャラいけどスゴい。

 実は「ただ生きる」ってのは難しい。よく「ただ生きてるだけじゃん」という具合に悪い文脈で使われるが、いまのぼくには、ただ生きる以外、なにも期待したくないし期待もされたくない。そんなのは御免被りたい。だから今年は「ただ生きる」で勘弁してもらおう。それでいいんじゃないか。いいよね……そう思った。

 だって、子どもたちは、まさしく、いま、ここに、ただ生きていたのだ。
 
 ありがとう、お稲荷ボーイ!
 ありがとう、キューピーちゃん!
 ありがとう、尾崎豊!
 ありがとう、マルコメくん!
 ありがとう、高田純次!

ほんのひとときでも、楽しめたり有意義な時間になったならば、投げ銭気分でサポートお願いします😉