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「木野」の猫がやってきた。

───人間よりも先に「木野」の居心地の良さを発見したのは灰色の野良猫だった。若い雌猫で、長くて美しい尻尾を持っていた。
[村上春樹『女のいない男たち』収録「木野」より(文藝春秋 2014)]

 村上春樹の短編集『女のいない男たち』の一編「木野」では、木野という男がつらい出来事から逃れるように、すべてを捨ててバー「木野」を開く。そこに一匹の猫が訪れるようになる。

 この短篇、当時のぼくには、とても身につまされる話だったのだが、そんな思いに輪をかけるように、ぼくのところにもやってきたのである。長い尻尾を持つが、お世辞にも美しいとは言えない灰色の雌猫が。

 2015年10月20日。

 肺癌の定期診察で母を県立病院に連れて行った帰り道。ぼくは風邪気味で朦朧としていた。曲がるべきところを曲がり損ね、見知らぬ道に入り込む。舗装された田舎道が左へとゆるくカーブを描く。何かがうずくまっている。センターラインもないのに“それ”は道路の真ん中にいた。

 ぼくは最初なにかの死体だと思った。“それ”の周りにはカラスが遠巻きに佇んでいたからだ。明らかに死の影が忍び寄っていたが、“それ”は生きていた。高速で通り過ぎる車に怯えるようすもなく、轢かれるのを待っているようすは、生に絶望し、線路に横たわる自殺志願者のようだった。

 ぼくはゆっくりと車を止めた。“それ”は猫だった。歩み寄りながら声をかける。異様に痩せ細っていて左目が開いていない。目から何かが流れ出している。カラスにつつかれたのだろうか。獣は息絶えると体毛が萎えて身体がひとまわり小さくなるが、この仔は生きながらにしてそんな様子だった。体毛は艶が失せ、目の周りは窪み、背骨が骸骨標本のように浮き出ている。お世辞にもかわいいとはいえない死神のような猫だった。

 しゃがみこんで手を出すと、その仔は歩み寄ってきた。抱き上げてしっかり見てあげようとさらに手を伸ばすと器用に腕をつたって肩まで駆け上がり、ぼくの背中にしがみついた。

「おいおい、これはだめだろう。これでおまえのことを置いていけるやつなんかこの世にいないって……」

 車内で待つ母への言い訳も兼ね、ぼくは困惑に嬉しさを入り混じらせて独り言を呟いた。背中にしがみついている仔を引き剥がそうと、ひとり道端で格闘すること数分間。なんとかその仔を手に抱え車に戻る。もう動物は要らないと言っていた母は当然のように言った。

「そんなの拾わねぇでよ。もうやだかんね。まめんときみたいな思いはしたくないもの」

「でもこのままじゃ餓死するか車に轢かれるかカラスの餌食になっちゃう。こいつ、道の真ん中に座り込んで自殺しようとしているみたいだったもの。とりあえず病院にだけは連れて行くから。そのあとのことはまた後で」

「まったく、なんでそう優しすぎんだかねぇ」

 溜息混じりに母はつぶやいた。決して褒め口調ではない言い方で。

******

 うちには、まめ太郎という雄猫がいた。

 東日本大震災の翌年の夏。新興開発商業地の幹線道路を走っていたとき、信号も何もないところで車が急停止した。車間距離は十分にあったので、ぼくは不思議に思いつつ、その車の後ろに停まり、走り出すのを待っていた。すぐにそろそろと走り出したので後に続こうとブレーキから足を離した瞬間、前の車の下からキジシロの仔猫が現れた。それがまめ太郎との出会いだった。

 最初里親を探した。猫を飼ったこともなかったし、旅好きの自分には無理だと思ったからだ。二週間程で里親候補が見つかった。ところが、いざこの仔を手放すと思ったら、いつのまにかぼくは泣いていた。ぼくを猫の虜にするのに二週間は十分すぎたようだ。

 うちの母は動物が苦手だ。そんな母も半年程でまめ太郎のことを「かわいいねぇ」と言い出し、膝の上に乗せて撫でるようになった。

 そんなふうに母子と一緒にまめ太郎が暮らし始めて一年が過ぎた。耳も遠く、気配を感じられない母は、度々まめ太郎を家の外に出してしまう。その度に庭を駆け回るまめ太郎を捕まえては、母を叱責していた。

 その年のお盆。姉夫婦たちが帰省していた。姉も母同様、動物が苦手で、スリスリっと甘えてくる猫から悲鳴をあげて逃げ出すほどだ。

 仕事で明け方に眠りに就いたぼくは『あまちゃん』が始まってもまだ寝ていた。その間、母がまたまめ太郎を外に出してしまい、姉夫婦が追いかけるも捕まえられないとぼくを起こした。ぼくの車の下に隠れて出てこないと。

 庭をぐるりと回り、幹線道路沿いに停めてある車の下に潜り込んだまめ太郎は怯えているように見えた。猫じゃらしで気を引きつけながら、ぼくは車の下に潜り込み、慎重にまめ太郎を掴もうとした。

「出てこないならば、反対から追い出せばいいんじゃない」

 あと少しで手が届くという時、姉がそう言いながら、デッキブラシを車の下に突っ込んだ。驚いたまめ太郎は通りに飛び出した。自分も轢かれる勢いで追いかける。お盆の朝で車が少ないというのに、別な隠れ場所に逃げ込むようにまめ太郎は通りかかった車に向かっていった。

 その車の前輪に跳ね飛ばされたまめ太郎を拾い上げ、抱きかかえる。まめ太郎が腕の中でもがく。叫ぶように名前を呼ぶぼくの腕や顔を引っ掻きまわす。抑えようと額に触れる。グシャッとした感触が名前を叫ぶ声をさらに大きくしていく。眼がみるみる充血し、血を吐き、もがくのをやめる。もう駄目なのかと絶望が襲う。しばらくして大きく伸びをした。ありったけの声で叫んだ。

「まめっ! 死ぬなっ!」

 でもそれが最期の“のびのびぃ~”だった。

 姉はもちろん、母も痛く責任を感じていた。だから「もうあんな思いをしたくない」と言ったのだ。でも彼女たちを責めても仕方ない。ペットロスでずっと苦しんだが、そこから少しずつ脱し始めた頃、「木野」の猫はやってきた。

******

「体重1.25kg。ひどい栄養失調状態です。この体格ならば3kgはあっていい。きっとあと数日で死んでいたでしょう。まさに九死に一生を得たというところです。口内炎が酷く、歯茎の一部が壊死しているからたぶん口からは食べないでしょうねぇ……点滴が必要でしょうから何日か入院してもらわないと。あ、それと血液検査の結果は、残念ながら猫エイズも白血病も陽性でした。この口内炎がエイズの発症じゃないといいんですが……」

 獣医が続ける。

「あとは保護されたあなたがどうされたいかです」

 困った。でも覚悟を決める瞬間だ。ぼくは答えた。

「どちらも陽性ならば里親は難しいですよね。ならばぼくが保護します」

「早くて数ヶ月、長くても二、三年かもしれないですよ」

「わかりました。終生ぼくが面倒みます」

 まだまめ太郎のことで泣きくれる日もあるというのに、最初から命短いかもしれない仔など無理な気もしたが、選択肢はないように思えた。
 
 推定年齢二歳。ちょうどまめ太郎が亡くなって二年とちょっと。生まれ変わりだとしたら、どうしてそんな身体の仔に入ってしまったのか。

 カラスにつつかれたと思っていたのは、目やにだった。拭き取ってもすぐに溜まってしまうので点眼・点鼻を1日5回。a/d缶という術後回復や栄養失調のための療養食を食べさせてくださいという。一缶約400円。そうしてまずは体力を回復させる。エイズと白血病はまた別の話だ。

 検査・入院費込みで約85,000円。

 やろう(買おう)としていた、いろんなプランが吹っ飛んだ。

 とにかく、迎え入れる準備に奔走する。a/d缶は、猫好き仲間が分けてくれた。こういうときの猫好き仲間というのは不思議だ。「助けてくれてありがとう」という。「これカンパね」と言って数万円が集まってくる。猫好き万歳だ。

 獣医からの帰りにトイレ砂などを購入。家に戻り、まめ太郎が使っていたトイレやらなにやらを引っ張りだし、なんとかぼくの部屋で過ごせるようにした。

 名前は、花乃子(かのこ)と名付けた。

 チャナという名前も候補にあがった。チャナとは、ひよこ豆のインド名。まめ太郎の妹ということで、a/d缶やカンパをしてくれた、いきつけのインド料理屋のナカちゃんが付けてくれた。でもどうしても、まめ太郎と同じ和名にしたかった。だからミドルネームとして残した。普段は和名で呼んでいる。

 保護して二週間。毛艶も良くなり、食欲も旺盛。体重は2kgほどになった。点眼時、抵抗する力もなくおとなしくしていたのに、今ではイヤイヤして逃げるので難しい。

 でも基本食べて寝るしかしないので、おとなしい仔なのかと思っていたが、ぼくが横になっていると胸の上に飛び乗ってくるようになった。そうしてゴロゴロと鼻先や顔を擦りつけてくる。鼻水と目やにと食べかすをぼくの頬や顎で掃除しているといったほうがいいかもしれない。

 初日、部屋の床にウンチをされてしまったが、その後はトイレを覚えた。a/d缶がペースト状のご飯というわけではないだろうが、便もしばらくペースト状だった。でもやがて立派なウンチになった。壊死していた下顎と歯茎部分も盛り上がってきたし、目やにも少なくなってきた。着実に回復している。でもこんな状態がいつまで続くのかは分からない。

 短編「木野」の猫はやがていなくなる。

───秋がやってきて、まず猫がいなくなり、それから蛇たちが姿を見せ始めた。
[村上春樹『女のいない男たち』収録「木野」より(文藝春秋 2014)]

 それと同時に木野の心に闇が侵食してくる。その心境がぼくには痛いほどよくわかる。あの夏にまめ太郎を失って以来、ぼくもずっと蛇に睨まれている気がしていた。そこに花乃子が来てくれた。でもあまり長くは居てくれないかもしれない。そうなればやがてまた蛇が姿を見せ始める。蛇は潜んでいるだけで決していなくなりはしない。

 2020年。コロナ禍の春。

 花乃子は、まだぼくのそばにいる。元気に走り回り、ぼくの膝や胸の上で毛づくろいをし、布団の中で一緒に寝ている。

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