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私と愛着障害 #172

 突然ですが、今回は、書いているほとんどの記事にハッシュタグをつけている「愛着障害」のことを書いてみたいと思います。
 (お付き合いいただけましたら幸いですm(__)m。)

 最初に。
 言葉として「愛着障害」と検索してみると、コトバンク デジタル大辞泉「愛着障害」の解説 ・・に辿り着きますが、私は、自分の生きづらさを追究していった末、当て嵌まったのが「愛着障害」でして、これまで病院等で診断を受けた訳ではありません。念のためおことわりしておきますm(__)m。その時すでに、半世紀以上の齢を生きていました。

 きっかけは以前にも書いたことがありますが、『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』岡田尊司著・光文社新書 の本でした。

  それまでも生きづらさから脱け出したくて、機会を見つけては話を聴きに行ったり、自分のアンテナに引っかかる本を読んだりしていましたが、状態は、然程変わらない期間が長く続いていました。
 その延長にあった2017年終わりのことでした。この本と出合い大きな転機となっていまに至ります。

 本『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読み終え、著者でもあり医師でもある岡田尊司氏のカウンセリングを受けたいと思いました。そこで、ネットで調べ問い合わせましたが、遠距離であったため、1回実現させるよりも、岡田医師の下で学ばれたカウンセラーさんのオンラインカウンセリングを受けた方が今後のためになるとわかりました。
 1回の遠距離にかかる交通費とオンラインカウンセリングを何回か受ける費用は同じぐらいだったのだと思います。私はカウンセリングを受けてみることにしました。

 そして、5回目を受けた時に記した私のノートにはこう書かれていました。

親は最後の最後の困った時には助けてもらえるものだと思っていた。
助けでなくとも愛を感じる行為があるものだと思っていた。

 いま見返しても、これが自分の両親に対する想いの結論だったと言えると思います。6回目も予約していたのですが、何故か「その時ではない」気がしてキャンセルして以降、こちらでのカウンセリングは受けていません。(たぶん費用の関係も含めて、「その時ではない」と思った記憶が残っています。)

 それから、キャンセルした6回目の予定日から3日後のことでした。現実が大きく変わっていく流れとなっていきました。当時は、本当に大変な状況となりましたが、振り返ると、それからのひとつひとつの出来事に、最小限の家族で向き合い(我が子2人とのくらしをしてました)乗り越え、いまに辿りつけたように思います。

 いまでも コトバンク デジタル大辞泉「愛着障害」の解説 にもあるような、、、

抑制型と脱抑制型の二つに分類されている。前者は人との関わりにおいて、適切な形で関係を開始したり、反応したりできず、過剰に警戒心を抱き、誰とも親しい関係になれない傾向がある。後者は他者との適度な距離感が理解できず、警戒心なく広範な人間関係を形成しようとして、知らない人に話しかけたり、なれなれしく対応し、その後、過剰にベタベタしたりする。両者とも他者との適切な距離感がとれず、非常に不安定なのが特徴である。

まだまだ他人との適切な距離感というものがわからずの苦労は残っています。そんな時、最初のうちはやっぱりダメじゃない…の思考に陥り、落ち込むこともありましたが、最近は気にならなくなっています。
 また、時々起こるそれらをnoteの記事として書くことで、新たな気づきを得、前に進むためのちょうどよい材料にしているのかもしれません。

 本『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』だけが私の人生を好転させていった訳ではありません。その後もやはり、その時々に、必要な本との出合いがあって、いまがあります。私にとって「愛着障害」は、ひとつの鍵であったように思っています。「愛着障害」というものがあり、知ることで、その扉に合う鍵を見つけることができて、開けることができたような感覚があります。
 まだまだ続くであろう私の人生ですが、これまでの体験を活かし、心地よく生きられるよう、これからも精進して生きたいと思っています(^^ゞ。

 最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。

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