それぞれの幸せを願い、新たな道へ #154
以前にも書いたことがありますシモーヌ・ヴェイユの言葉を思い出し
もう一度取り上げようかとノートを広げていたら、、、
今回はこちらかな。
『アミ 3度目の約束 愛はすべてをこえて』
(エンリケ・バリオス著/石原彰二訳)
を書き留めたページに目が留まりました。
30年近く前、伴侶がみずから命を絶ってしまった時、彼は
精神的に弱かったから?と、私は何度も反芻していました。
そうなのかもしれないけれど、、、大切なことを大事にしている人だったと思えてならなかったから、彼の大事にしていた大切なことと強さを
我が子に伝えようと努力して、いまがあります。
強さって何だったのだろう…
何度も何度も壊れかけた私ですが、伝えようとしたこと、大人になっている我が子たちには受けとめてもらえたと、実感しています。
いまに達するまでには、長い道のりがありました。
3人家族の我が家のゴタゴタは、ついこの間までありました。
じゃあ、まだあるんじゃないの?これからも。
…と思われるかもしれませんが、お互いを理解し、尊重し合える関係へと
変化していると思っています。
それもこれも実父が逝ったこととこの2週間位の出来事で、
はっきりと見えてきたことでした。
血のつながりのある親だから、諦めきれなかった歳月があって、どうにも
ならなかった現実は悲しいことでした。我が子は、その姿をそばでずっと
見ていてくれたので、今回、理解を示してくれました。
受けとめてもらえた、と安堵しています。
昔…どれくらい前だったか記憶は定かではありませんが、我が子の放った
言葉が心に残っています。
「お母さんだから、どんなお母さんだって、大事に思っているんだよ!!」
それでも当時の私には、その言葉が信じ切れませんでした。
いつかは離れていくんでしょ?!と、何度同じようなことを言われても
投げやりに、いつもそう思っていたのです。
そんなやり取りが何度も何度も繰り返されて、我が子から
自分が大事に思われている事
いつしか実感できるようになっていました。
そうしてわかったのです。
両親のことを諦めきれずにいたのは、私がどんな親であっても親だから
大事に思う気持ちがあったからなのだと。
それでも両親と私の距離が縮まることはありませんでした。
ようやく、分かり合うことのできない関係、、、
異次元の人だったのだと思いました。
それは、悲しいことでした。
幼い頃から私は異次元の人たちの中で切磋琢磨していたのだと思いました。
そのお陰で成長できた自分があり、苦しく辛い時も、助けてもらう
ことができなかった中で、私は懸命に生きてきたのだから、、、
だからもういいのだと、自分の中の答えを出すことが出来ました。
この記事を読んでくださった方には、
どう思われることでしょう?
理解しがたいことかもしれません。
実の親に対して???と思われても仕方ないことと思います。
それでも私は私なりに精一杯やったことなので、次のステップへと
進もうと思うのです。
我が子と私、それぞれの幸せを願い、新たな道へと進もうと思うのです。
前回の記事 ↓↓↓
書き足りなかったことがあるような気がして、書いてみました。
最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。
この記事を読んでくださったあなた様の幸せも、心よりお祈りしています。