見出し画像

20歳の夏休み全部使って日本一周してみた(39:富士八合目〜東京)

第39日目(最終日)

前日19時には寝袋に入ったのに結局あまり寝れず、時計の針は既に22時を回っています。前回、富士山に登った時は2泊3日で行って、2日目の夜は台風で騒がしくて寝れなかった覚えがあります。22時の時計を最後に、次に時間を確認した時は0時47分でした。周りの登山客も、もぞもぞ準備をし始める頃だったため目が覚めました。山頂まで約3時間と予想されたため、日の出に間に合うためには深夜の2時までには八合目を出発しなければなりません。友達を起こして(起きないけど)、昨日の夕食時にもらった既に冷え切っている五目ご飯をかじり、パンも食べたら、防寒などの登山準備を始めます。

画像1

寒いだけでなく強風が吹き荒れる八合目以降は体感温度がマイナスにいくような感覚です。八合目ではそこまで感じなかった風も標高が高くなるにつれて強まり、踏ん張ってないと下手したら飛ばされてしまうような風も時折吹いてきます。しかし、登山道には数え切れないほどの登山客が山頂での日の出を見るために朝早くから登山を開始しています。ライトの光で登山道が照らされ、光の道のように浮き彫りになっています。

画像2

信じられないですよね。こんな真夜中からこれだけの人が列をなして、山頂を目指しているなんて。まだ深夜の2時台ですよ。しかも極寒。暗闇と寒さの中、軽くぷるぷると痙攣を起こしている全身を動かして、ただひたすらに無我夢中に上に登り上がっていきます。九合目に到着です。

画像3

山岳地域や高原の天気予報サイトとして最もハズレが少ない「てんきとくらす」というサイトによると山頂の天気は良好です。しかし、九合目からは再び雲の中に入ったのか一気に視界が悪くなりました。先の見えない中ひたすらに登り続けるのは苦痛ではありましたが、確実に上に行っているという感覚はあるので、楽しさ・ワクワクの方が勝っていた気がします。本当にただひたすらに登り続けて頂上についたのは、予想よりも遥かに早い4時半ごろだったと思います。ちなみに日の出は5時11分です。

画像4

山頂には既に大量の登山客が風の当たらない建物の影やベンチの脇に縮こまっています。僕たちも建物の影に座り込んでいたのですが、次の瞬間、東の空が微かに明るむと一斉に歓声が沸き上がります。そうなのです、山頂なので通常の日の出の時間よりも何分か早く太陽が顔を出し始めるのです。まだ太陽自体は見えてきませんが、霧の向こうには確実に明るい光源の存在が確認できます。その時の写真がこちらです。

画像5

みんなカメラを太陽の方に向けて撮影しています。みんなこのために深夜から登山を開始してきたのであります。僕は八合目で見るのと山頂で見るのは大して変わらないだろうと思って、もともと八合目で日の出を見るつもりで来ていたのですが、やはりこれは山頂で見て良かったと思います。時間が経つと太陽がその全貌を現し始めます。物凄い速さで流れては去っていく雲の間からたまに見える太陽に照らされた雲海と真ん丸の太陽は、うっかり成仏しそうになってしまいそうな美しい光景です。

画像6

画像7

画像8

ここからは富士山山頂の火口を一周する「お鉢巡り」をしていきます。中3の頃、「おはちめぐり」と聞いて最初は何のことかわかりませんでしたが、漢字にすると言いたいことは伝わってくるのがわかりますね。このお鉢巡りをすることで、最も標高の高い剣ヶ峰に辿り着くことができます。剣ヶ峰にたどり着く手前に「馬の背」と呼ばれている、登山道で最も勾配のある急な道があります。おそらく傾斜は30°以上あると思います。四つん這いになって、踏ん張っていないと、ずるずると転げ落ちてしまうような傾斜です。僕も何度か滑りそうになりましたが、どうにか踏ん張って地面にしがみつく感じで耐えました。本当に異常な環境にいることだけは間違いないです。この旅を通して、最も過酷だったのは九合目から山頂・剣ヶ峰にかけての登山道でしょう。強風、暗闇、寒さと危険な傾斜などデンジャラスな条件が全て重なり合った状況を潜り抜けた先の3776mは、この旅の最後の観光地にとても相応しいのではないでしょうか。

画像9

残念ながら剣ヶ峰に辿り着いた時にちょうど雲が掛かり、火口が一望できることはできませんでした。しかし、何よりここがこの旅の最後に行きたかったところです。ここを最後に、あとは東京の自宅に向かって帰るだけです。達成感というよりも、まずは「帰れる!」ということにある意味で非日常感を感じてしまうほどに長い旅であったことを実感してしまいました。あとは家に帰るだけなのです。剣ヶ峰でお鉢巡りもちょうど折り返しです。残り半周を歩いて、元来たところまで戻ります。

お鉢巡りとは簡単そうに聞こえますが、火口一周の道はまともに整備されているところが少なく、吹き荒れる強風の中、左右が断崖絶壁となるような細い道(?)もあるほど、一歩間違えれば命を失うようなアクティビティなのです。たまに雲の合間から見える、火口の規模には圧倒されます。阿蘇山の火口も見てきましたが、富士山の規模には敵いません。火口の底が確認できない上、阿蘇山にはない万年雪があちらこちらに見られます。

画像10

前回登った時、山頂で雪解け水により作られたラーメンが死ぬほど美味かった記憶があるのですが、今回は時期的に店が閉鎖していまして食べれませんでしたね。下山道は御殿場ルートを選びました。御殿場駅へのアクセスがよいことが決め手ですが、御殿場ルートは砂走りと言われる他のルートにはない特徴を持っています。八合目までは普通に登山道と下山道が併用されているのですが、八合目から下は「大砂走り」と言われる、砂の超ウルトラスーパーデラックス滑り台のような道が五合目まで一直線に続いているのです。

画像11

画像12

画像13

途中、宝永山に分岐する道もありましたが、写真の通り、砂走りの周りには、目印となるロープが沿っているだけで、悪天候で視界が悪いと遭難してしまいそうな頼りない道となっています。砂もふかふかで、靴の中に砂利が入ることは当たり前。砂利を捨てることを諦めて歩いていると、靴の中の約半分の容積を砂利が占めてしまうこともあります。たまに大きな岩が埋まっているところもありますが、注意して避けながらひたすらに標高を下げていきます。まるでアフリカとかにいそうなスキップで移動する猿みたいな酔狂な動きで下山することになります。スピードが出過ぎて止まらなくなったら、非常ブレーキとして自らの尻と背中からダイブする。これが一番安全です。2時間近くこの大砂走りを歩き続けて、やっと五合目に来た時、自動販売機でペットボトル1本100円台で販売されているのを見ると、下界に帰ってきたのだと、安心します。友達はポケットにモバイルバッテリーを入れていたのですが、どこかで転んだタイミングでポケットの中がモバイルバッテリーと同じ重さだけの砂に入れ替わるという大道芸を披露してくれましたが、それ以外は大した怪我もなく無事下山できました。

画像14

ここからはバスに乗って、御殿場駅へ行き、前日に食べれなかったさわやかのげんこつハンバーグを予約して、スーパー銭湯に行きます。河口湖や御殿場など富士山周辺には登山終わりの登山客に向けて、銭湯施設が豊富です。砂と汗を流し、2日ぶりにシャワーを浴びた後は待ちに待ったげんこつハンバーグです。2時間待ちが普通なので、店の回転率が悪いのかと思いましたが、注文してから運ばれてくるまでは意外と早く、手際良く真っ二つにされるハンバーグから弾ける肉汁に心が躍ります。

画像15

これを食べたら、御殿場駅から鉄道を使って帰ります。御殿場からバスタ新宿へバスも出ているのですが、一応日本一周鉄道を使って回ってきた旅行なので、最後は鉄道を使って帰ることにします。おそらく鉄道の方が安いでしょう。途中、松田で小田急に乗り換えるとJRで東海道線経由で帰るより500円ほど安くなります。最後は代々木上原、国会議事堂前で乗り換えて、遂に東京駅に到着です。

画像16

代々木や赤坂などの地名の響きから林立する高層ビルのシルエットなど何から何まで懐かしく感じました。気分は田舎者です。駅のホームにある乗り換え案内の情報量の多さに圧倒されて、異世界に入り込んでしまったかのように感じました。東京駅丸の内中央口の改札には見たことのないほどの乗り換え路線がまるで暗号のように羅列されており、首都の煌びやかさを前に驚きを隠せません。

画像17

画像18

帰ってきてからは高校の友達のお迎えが来ていました(呼んだ)ので、合流して、1ヶ月近く我慢していた大好物の油そばを銀座に食べに行きました。本当にずっと地方の光景を目にしていたからか、銀座という街の明かりが異常に眩しく感じる一方、やはり見慣れた光景に映る自分の目を信じられないというか、故郷が東京であることを少し後悔するような気分にもなりました。異常な空間で育ってきたんだなと、東京育ちにそんな感想を抱かせる旅行であったことは間違いありません。これ以降のことは、次回「20歳の夏休み全部使って日本一周してみて」というタイトルで書きたいと思います。

画像19

ひとまず、旅のスタート地点、東京駅丸の内駅舎に無事帰って来れたことで、この旅を締めくくります。最後、総括を書いてnoteの方も締め括りたいと思いますので、長くなるかも分かりませんが、日本一周してきたからこそ考えられたことやこの旅のことについて考えたことをじっくり文字に起こして記録したいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?