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日本ベーシックインカム学会での発表内容

だいぶ長いので、ざっくりまとめると、、、
民間部門内での信用創造は、金融資産と金融負債が同額なので、誰も貯蓄出来ない。でも現に貯蓄出来てる。何故か。
G>T  つまり政府の赤字支出があるから。
S≡(G−T)
民間貯蓄≡(政府支出−税)
政府部門の赤字分、民間の純金融資産ができてる。
民間の純金融資産は全部政府の支出の結果。
でも、その資産が、環境に負荷をかける仕事に向けられてる。
なら、政府が、環境に負荷をかけない所にお金を流す事も出来るのでは?
例えば介護とかのケア労働に。
ケア労働部門に大してお金が無いのは、価値がないのでなく、政府がお金出さないから。
出したらそこで、お金中心から生命中心に、価値の転換、社会の変革が起きないか?という話です。
まあ、ケア×MMT=ケアニューディール という事です。

追記版こちら https://note.com/taomorohoshi/n/n022e9aa48349

ケアニューディールの必要性

2020/9/21

諸星たお

◆ALS等、重度訪問ヘルパーの立場から、ケアニューディールを希求する。

[GND≒自然再生産の議論では、ケア労働の扱いが不十分。生命再生産労働である介護の役割の提示。翻って、新自由主義下の生命再生産の不可能性]

自然環境は、再生、再生産するが、co2の循環や植物の生育、放射能の半減には時間経過が必要。自然再生産にかかる時間的、量的負荷の低減の方法としてのグリーンニューディールGNDがある。

経済活動と混同された「利潤を獲得する為の活動」の領域を、自然資源を消費せざるを得ない領域からの移転とそれぞれの峻別が必要。そこへの財政の関わり方も問い直される。

介護・医療・保育・教育等を含むケア労働は、生活の実現に不可欠であり、人間の生命を再生産する機能がある。

新自由主義に至るまで先鋭化された、資本家的な生産様式に沿った貨幣や資源や人の使い方により、人間が生きる為の働き(仕事・生産・労働)、という状態から、働く為に生かされる状態、更に、利潤の為に消費され使い捨てられる存在者と扱われ、ロボットで置き換えられるまでの中継ぎとして消耗されるなかで、個体の生活、生存、生殖により子孫を残す事も困難となり、生命再生産の不可能性が増している。

生活には、可処分所得と、可処分時間が必要。しかし賃金は伸びず、増税等で可処分所得は減少。近年はサービス残業で可処分時間も減り、働き方改革で残業が減っても、解禁された兼業による副業の時給が本業の残業代より低い場合、傾向はむしろ悪化する。

単身者は24時間の中で就業と家政の両方を行い、同居でも、男女共働きでなければ生活所得の維持が困難であり、それぞれが労働時間を費やすため、生活時間(衣食住に費やす諸々の作業時間と、関係構築の種々の時間)の分業や確保は困難となり、家庭の可処分時間も減少した。可処分所得の減少は、外食やクリーニング等、代行での可処分時間の確保も困難とする。

生活には、個人や家族が利用する私的な可処分空間が必要だが、リモート化で、その生活空間が労働空間に置き換わりつつある。都市部においては、可処分所得の減少は賃料への支出余地の減少による可処分空間の減少につながる。

以上の様に、可処分領域の減少による生活の不可能性が、生殖の不可能性のみならず、生存の不可能性を強め、早死にせずとも健康寿命を短縮させる為、ケア労働とそれに必要な人的、財政的な余地を、より一層必要としてしまう。

◆介護等、ケア労働への政府支出と労働移動が環境負荷を減らし、持続可能かの検討

[エッセンシャルワーカーに政府からの価値付けは可能か、適正か。ブルシットジョブは実在するか。介護で消費されるものと生産されるもの]

介護、医療、保育や、治水治山、警察消防、国防等の、公益性の高い分野は、そもそも政府の支出が組み込まれており、その支出の増減を通じて、既に価値付けされている。

人手不足であるという事は、政府による価値付けの低さ、つまり対象となる職業の賃金が適正値を下回っている事も大きな要因である。

エッセンシャルワークが概して低賃金であるとは、政府がその様な価値づけを許容、もしくは肯定している。

一方、グレーバーによれば、ブルシットジョブは実在するし(個人的体験からもそう断言する)、概して中・高所得よりである。

ブルシットジョブは、社会的資源、環境資源、人的資源を浪費し、社会の再生産でなく、消費する。

ブルシットジョブは、お役所的仕事や、成果の読めない研究等の意味では全く無く、欺瞞や詐術的で、当人すら内心正当化しにくいと感じる仕事であり、無意味さはそれに耐える個人の苦行として、崇高な行いと肯定されさえし、生産や配慮でなく、苦しむ事に仕事の価値が見出される。

自己犠牲の崇高さに脚色され、供された犠牲で肥え太る者が生き残る構造だが、これは持続不可能である。

介護等は移動含めて人力の消費が多く、環境負荷は小さいが、省力化の為の機器導入や、排泄処理にかかる部分に環境資源の消費はある。

他の産業と比較せねばならないが、食事や運動など予防介護や、社会参加への公的な支援ができれば、そもそも介護の必要自体が遅らせられ、人手も資源も、消費を減らせる。

インフラが事後保全より予防保全の方が費用も人手も掛からないように、生体も壊れる前にメンテする方が、コストは低くなる。

介護は生命再生産事業であり、社会の再生産に関わる。

介護離職による損失と家族介護で時に見られる不幸を回避する事は、ヘルパーの雇用で埋められる以上の財政スペースの余地を広げる。

老後の悲惨さを放置する事が財政の維持に必要とされる社会は、社会そのものを瓦解させる。

軍事において、一人の隊員を救出する為に、複数の隊員の命をリスクに晒してでも作戦を行うのは、助けられるものでも見捨てられると全体に認識された時に、部隊が機能しなくなるからである。

国土強靭化や生命安全保障から日用品の供給体制まで、やるべき事が多い中で、どれだけ人手を割けるかは、ブルシットジョブやそれを支える仕事に取られているリソースは膨大である点を踏まえれば、エッセンシャルワークへの移転は、労働人口や設備投資を増やす以外に、単に賃金の水準、公定価格で変更可能な部分がある。

政府による支出で、労働の価値づけが可能であると言うことは、工員によるのであれロボットによるのであれ、自然を消費する工場生産や、人的資源をペーパーワークに浪費する事だけが生産として重要視される経済から、生命再生産にこそ価値を認める経済への転換も、財政政策で可能という事である。

◆応益であれ応能であれ、負担を税の納付で語る事への異議

[生存の為の万人による支え合いを納税で語る事の弊害。負担とは生産活動であり、基準の設定としての税に、支え合いの意味は無い]

 前提として、民間部門の純貯蓄の源泉はG>T である。

財源と誤認される税であるが、そもそも通貨は、政府の赤字支出を通じて民間に供給されたので、財源は政府の赤字支出である。

外貨も円との両替の必要から、先に円の発行が伴う。銀行の信用創造は、民間部門内部では金融負債と金融資産が同額であるので、一定0であり、純貯蓄はできない。政府の債務残高が、民間の純金融資産である。

税は赤字支出の結果として可能になるので、因果関係として財源ではあり得ず、先に赤字支出された通貨の回収である。

次に、国債も税も民間の金融資産の回収であるので、同じ事という誤解がある。

税は民間の家計と金融部門と非金融部門の企業などを合わせた民間部門全体からの金融資産の回収である。

一方国債は、殆どが準備預金で買われるが、これは民間の金融部門の資産である。家計や非金融部門の企業の金融資産で買われるのは僅かである。

したがって、税による支出と国債による支出は別物である。

銀行の準備預金は、紙幣の入金によって預金と同時に発生するので、あたかも国民の金融資産が準備預金の原資かの様に見えるが、その紙幣は準備預金を取り崩して、預金残高を減らして現出するので、発生順からすると、紙幣は結果であり、端緒は政府支出である。国債は政府支出の後に、下がった金利をプラスに調整する為に発行される。

機序は次の通りである。

① 政府が支出を決定 

② 政府は国庫短期証券を日銀の資産に置き、日銀は国庫に政府預金を発行し、日銀の負債に計上

③ 政府は給付や事業費を、国民や企業の口座に振り込む様、銀行に指示 

④ 銀行は各口座に銀行の負債である銀行預金を発行し、民間純金融資産が発生 

⑤ 政府は資産の政府預金を銀行に振替えて決済し、銀行の資産に準備預金が発生 

⑥ 銀行は準備預金で国債を購入 

以上から分かるように、国債購入の原資は、政府支出に伴い発行される政府預金それ自体で有り、銀行預金はその結果であって、原資ではない。

政府の支出先となる様々な事業が実施され、社会や生活の必要が満たされている以上、支えているのは労働であり、納税自体に社会保障を支える機能は無い。

税は、国定通貨の定着、格差の縮小、望ましからざる事業の抑制、物価変動要因 として機能する。税が支えているのは、社会保障制度ではなく、通貨制度である。

MMTの租税貨幣論が示す通り、政府が必ず受け取る、徴収するモノとして、自国通貨が設定されている限り、自国通貨に対する自国民からの需要は保たれる。

貨幣の名目価値は、100円の課税を100円硬貨一枚で、1万円の課税を一万円札一枚で弁済出来る限り確実に保たれる。

その為の租税は支出を賄う額でなくともよく、逆進的である必要もない。

貨幣の実質価値としての物価や為替は、税率や課税方式だけでは決まらない。

納税を支え合い、それも消費税を痛みの分かち合いとして肯定する論があるが、労働分配率を下げた結果として生じた配当や報酬で消費された時に支払われる消費税は、痛みの分かち合いではなく、労働者、低所得者への二重の痛みの押しつけである。

消費税等の逆進性の強い、ビルトインスタビライザーを欠いた課税方式とセットで行われるBIやBSもまた、所得を貯蓄や投資に回して運用益を持てる層との格差を助長する。

更に債券価格が、年金や日銀による買い支えにより、維持、上昇している眼下では、所得を消費せざるを得ない低所得者と、貯蓄・運用に回せる高所得者の格差は一層広がる。

◆財政制約と供給制約による命の線引きの不真面目さ

[MMT視点からの、財政制約・財政再建論の否定。供給制約の上限を上げる為の支出の在り方として、JGP、BI、BS、負の所得税等の制度との比較と、現状の最適解]

MMTによれば、政府は通貨の発行者であり、自国内での決済手段に不足することがない。

決済手段である通貨(政府資産としての硬貨と、政府債務を資産として見合いに発行される中央銀行負債)を国内に受領させるのは、政府に対する民間の債務(租税)を措定し、弁済する手段に自国通貨を措定し認めさせる、権威(法)と権力(執行力)による。

租税支払いの目的により、通貨に対する最低限の需要が確立すれば、通貨の名目価値は保たれる。

実質価値は、通貨で購入出来る財・サービス(商品)の供給に左右されるが、商品の供給は、決済手段が不足すれば滞る。

財政の累積赤字は、通貨の実質価値、特に物価変動が亢進しない限り、問題とならない。為替は変動相場制なら貿易で調整される。インフレは自国通貨で買うことのできる商品が生産されていれば、亢進しない。

利払いの問題は、あえて国債の市中消化を通貨発行手続きとする為に発生するが、これは制約を自身で課したに過ぎない。

その場合も、利払い分の通貨は全体では不足せず、不足するかに見えるのは、貯蓄された分の通貨である(民間の信用創造も、政府の通貨供給も無くとも、ある経済圏で発生する利子は、利子の受領者である銀行が、自行の資産に貯蓄しない限り支出されて借り手に還流する。利子は元本返済後でなく、前に支払われるので、銀行が支出すれば、借り手の元本返済資金になり、利子分の通貨は不足しない)。

したがって、政府の債務残高は、民間の純金融資産の発生源であり、政府の債務残高を縮小するとは、民間の純金融資産の縮小である。

マクロ恒等式、ストック・フロー一貫モデルから、政府部門の黒字化は、民間部門内の企業か家計のいずれか、又は両方の債務超過と、海外部門の赤字を作り出し、不安定化させる。

経常収支は、日本程度の経済規模で、長期に渡る不均衡を期待することはできず、早晩外交課題となる。

輸入超過による為替安は輸出の拡大で均衡し得るが、日本の場合は米国債の金利による外貨収入などもあり、外貨不足による外貨建て債務の懸念はない。

以上から、債務が自国通貨建て且つ、変動相場制で、国内の供給能力が不足していない日本には、政府の支払い能力に制約はなく、インフレ懸念も小さい。

財政再建は好況に伴う民間の投資拡大等による債務超過や大幅な海外赤字が続いた際に、達成される。

これは予防的に売りオペや利上げ、税率や給与水準の引き上げで起こる場合は不安定化を幾分抑えられるかも知れないが、そうした調整無く民間の過剰投資と債務の膨張により達成されると、続いて金融崩壊のリスクが高まる。

こうした事から、財政再建が達成される事は、リスクが付きまとう。

不況期の財政再建は、国民の健康を損ない、倒産を招く為、確実に有害無益である。

したがって、政府は赤字が通常である。しかし呼び水効果で過剰投資を引き起こすと不安定化させる。

徒らに経済成長を求めて政府の赤字支出を増やすだけでは、過剰投資と民間債務膨張による不安定化と、環境負荷の拡大で、環境と経済の持続可能性を損いかねない。

財政政策の制約は、財源では無く、供給能力であるので、国民の生命と財産を守り、供給能力の維持向上に資する分野への非裁量的、恒常的な支出は、支出の余地そのものを引き上げ、財政を持続可能とする。

国民の健康寿命や住環境の保全は、自然環境と生命の再生産の持続可能性を両立させ得る。

国民の生命と財産を守り、供給能力の維持拡大に資する支出のあり方として、インフラなどの国土安全保障、エネルギー安全保障、防衛などの国防安全保障、医療福祉などの生命安全保障など多岐にわたるが、安全に自死や餓死する事があってはならない為、安全保障とは生活保障でもある。

生活保障とは家計への支出である。

家計への支出、生活保障の制度案として、4つ挙げる。

JGP雇用保障プログラム

BIベーシックインカム

BSベーシックサービス

NIT負の所得税(給付付き税額控除)

前提として、MMTによりこれらの政策の財源は政府の赤字支出により賄われ、税だけを財源とする必要はない。

●JGPでは、好況期は市場の賃金水準が上がり、JGの利用が減り、政府支出も減る。

不況期は失業者のJGの利用が増え、政府支出も増える。

ビルトインスタビライザーの機能と共に、労働者の技能の維持拡張が可能ゆえ、供給能力をも維持する。

ただし、仕事の内容を定めるのが困難。

サーファーをライフセーバーと認める例に見られるように、家庭のシャドウワークやケアリング労働への再評価や、自治体の公益が優先される点で、生産の意味の拡張の効果があるが、実装に至る過程で様々な認定作業とペーパーワークが発生し、ブルシット化する可能性はある。

また、民間の就業者が、他のJG利用者と同等の活動をしていた場合、例えば、失業者による家庭内介護をJGPと認められた場合と、民間就業者が勤務後に家族介護をしていた場合など、副業としてJGPに認めるかなど議論が足りない。

なお、JGPには貨幣の実質価値のアンカーとしての機能がある。

貨幣の名目価値100円が100円である事は、税により保たれるが、100円で何が買えるかは、商品の価格の根にある、人件費が大きく影響する。

人件費が失業を創り出す事によってゼロに設定してしまえるなら、物価はゼロに近づけたり、額を維持して利潤を優先させる事が出来てしまう。

失業者の最低賃金は無、ゼロであるので、政府が失業者を雇用して、労働所得の床をゼロではなく、一定水準に設定する事は、物価に占める人件費を過剰に圧縮(一人当たりの労働強度を無理矢理あげる)させる事への抑止となる。

労働の価値を搾取する事が避けられ、物価の、つまり貨幣の実質価値の安定化に寄与する。

●BIはブルシットジョブを減らす可能性があるが、BIが無い現状において存在する格差の再生産構造は、BI後も存在する為、支給金額や、労働分配率、ビルトインスタビライザーを欠いた税制によっては、格差が拡大する。

労働所得とBIを合わせても貯蓄不可能な低所得層は、BI分の金額も支出するので、売上は増えるが、これが労働者の所得に反映するかは定かでなく、配当や役員報酬に消える可能性もあり、この場合資産格差はBIの金額分拡大する。

資産が投資に回る場合は、更に運用益の分拡大するが、その運用益が年金や日銀の買い支えによる、事実上の資金供給で成されているなら、政府と中央銀行による格差拡大となる。

その資金供給でインフレした場合、低所得者への恩恵は帳消しになる。

貯蓄が可能な程の支給額の場合は、それが支出された場合の物価変動の予想が難しい。

BIだけで格差構造をキャンセルしようとすると、貨幣の実質価値の大幅な毀損を伴いかねない。

BIが既存の社会保障と引き換えに行われる場合は、事実上、政府から国民への手切れ金となる。雇用についての責任はもとより、安全保障も人権も、BIで完結させる自己責任社会となる。

BIにより家計の可処分所得が増えても、供給能力が減衰していては、インフレで購買力は落ちてしまう為、BIの実施に先んじて供給能力の増強と、公共部門の従業者の確保が必要。

船後靖彦参議院の想定の下での参議院調査情報担当室の試算や、日本経済復活の会小野盛司博士らによる日経NEEDSの試算からは、毎月10万円程度であれば、数年間はインフレの懸念は薄い。

既に行われた特別給付金の継続なので、実施のハードルは低く、恒久化の影響は不明だが、2〜3年の時限的な措置ならば、直ぐにも可能であろう。

ただし、インフレ率は目安の一つに過ぎず、たとえスーパーでの買い物の値段が安定していても、ケア労働の従業者不足で、必要な介護や保育が受けられず、高額な私費利用を余儀なくされるなら、かえって家計の負担が増えかねない。

●NITはビルトインスタビライザーを内包しており、格差の是正と低所得者への生活保障を両立する。労働所得と逆相関に連動するので、供給能力の毀損にはなり難いが、BI程には、脱ブルシットの作用は働きにくい。

また、実施には正確な所得の把握の為のシステムの刷新が必要。失業対策や既存の社会保障も並行して必要とされる。

なお4種いずれの場合も運用益の元となる買い支えによる不公平は免れず、分離課税などの見直しが必要。

●BSは、基本的には給付をサービスで行う。

公共交通機関や光熱費や通信費まで無料化に含めるかは議論が足りない。

医療、介護、障害福祉、育児、教育の無料化と、住宅補助があげられている。子ども食堂や大人食堂も範囲に含まれるかは、自治体の実情に応じるところがあり、JGPと類似性がある。

該当するサービス分野で利用者が増える為、その需要に応じられるよう、追加的な雇用や公共投資が見込まれるが、直接的にはBSのサービス分野に限定される。

該当分野への民間の支出が浮く為、波及は見込まれる。

BIなどの現金給付ではないので、個人の月単位の資産管理能力は必要でない。

残念ながら、日本における主な提唱者は、財源を消費増税とセットで論じている。

税は痛みの分かち合いとの事だが、労働分配率を抑えられた結果の低賃金労働者の上に成り立つ、配当や高額報酬による高所得者の、それぞれが消費に対して支払う消費税率が、対等な分かち合いとは言えない。

消費税とセットの場合、ビルトインスタビライザーが弱まる為、低所得者と高所得者、不労所得者との、運用益の差が発生し、痛みの分かち合いではなく、労働者への痛みの押し付けに終わる。

以上を比較すると、財源論を別とすれば、社会への影響や制度変更の見通しと、供給能力を損なわない点のバランスから、NITとBSのセットが安定していると考える。

しかし、上記以外でも、直ぐに始められることはある。既存の制度の報酬や支給額の拡大。適用条件の緩和や期間の延長である。

生活保護や年金、失業手当の需給要件の緩和や期間の延長は、広義のBI化と捉えられる。

介護や保育の報酬の増額は、従業者を増やし、労働移転を促し、賃金の水準を高め、労働、生産の意味を、物の生産の為の機械的労働力の拠出から、生命体への配慮へと転換させる。

その為に必要な制度変更は無く、単に報酬の数値の改定だけである。

介護給付費は現在10兆円ほどであるが、例えば倍の20兆円にしたところで、今回の10万円給付の13兆円にも満たない。

事業所の人件費率が凡そ7割なので、7兆円あればヘルパーの所得を倍にできる。

平均月額30万円であるので、倍で額面60万円とすれば、ブルシットジョブと感じる職場に残り続ける意味は薄くなる。

既存制度の枠内で、運用と予算の規模を変えるだけで、新たな制度の創設の必要はなく、価値の転換は可能なのです。

様々な理論はあるが、最適な理論の実装の前に、既存の枠組みで出来ることは多い。

政府支出の余地があるならば、今足りてないものを足らせる。壊れているものを直す。困っている人を助ける。こういう事に政府が直接支出する事になんの支障もなく、それに必要な理論は、財政余地の有無を測るもの以外に必要ない。

以上で示してきたのは、供給制約を引き上げられる限り、財政制約を人命の線引きの理由には出来ないし、供給制約は財政政策によって引き上げられるので、供給制約を理由に線引きをする理由もない、という事である。

線引きされている現状はあるが、固定化すべきものでは無く、財政政策によって改善出来る事である。財政制約で財政を考える必要は無く、何を改善すべき課題と措定するかにより、財政の振り向け方が変わる。

現在、SDGsが提唱され、グリーンニューディール等の地球環境の持続可能性を目指す政策への、財政の役割が語られ始めています。

生命の再生産、人々の持続可能性への財政の役割として、ケアニューディールはすぐにも可能であり、実現が求められます。(了)

参考文献

L・ランダル・レイ:MMT現代貨幣理論入門

デヴィッド・グレーバー:ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

井出英策:幸福の増税論:財政はだれのために

サンジェイ・バス/デヴィッド・スタックラー:経済政策で人は死ぬか?公衆衛生学から見た不況対策

後藤澄江:ケア労働の配分と協同 高齢者介護と育児の福祉社会学

ミルトン・フリードマン:資本主義と自由

他、参考HP
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2018/01/watch_1801.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jps/7/0/7_KJ00009384184/_pdf/-char/ja

https://youtu.be/xiM6JLBlk5I

http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-ad2ee1.html

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/kokufuku/k_2/pdf/ref1.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/reeps/13/1/13_27/_article/-char/ja/

http://gendainoriron.jp/vol.23/feature/kanbayashi.php

https://www.agrinews.co.jp/p51825.html

http://www.ibunsha.co.jp/contents/graeber02/

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