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大人だからチョコレート・ドリームを見る


自分には出来ないということを信じているのはなぜか。
どうしてかたくなに、自分には無理、自分には出来ないと信じ続けるのか。
やりたい、なりたい、こうしたい、理想、希望、願いを待ち続けながら、苦しいのに、アクセルとブレーキを同時に踏みながら、進めない!どうして!?どうしたらいいの!?と言っている。
「いや進めますからブレーキ外してください」と言われても「いやいや無理ですよ怖い怖い」と言って外さない。かといって往生際悪くアクセルも外せない。
そして「私には出来ない、無理ですよ、あなたがブレーキ外せたのはあなただったからだし、運が良かったんですよ、才能があるからですよ、それにそんなふうに言うこと聞いてブレーキ外して壊れたり暴走しちゃったらどうしてくれるんですか、もう取り返しつかないんですよ!」と言いながらまたブレーキとアクセルを目一杯踏んでエンジンをブンブン空ぶかせて疲れていく。
もしくは「いや、そもそも私はアクセルとブレーキ半々くらいでいいんです、穏やかで。止まりもしないけどそんなに進みもしない、こんな感じでちょうどいいんです。とくにすごく楽しいこともないがすごく楽しくないこともない、幸せってこんなものじゃないですか?ええ、わたしはこれでいいんです、もう若くもないし、ええ、これでいいんです。」といいながらもなんだか自分でもよく分からない焦りやイライラや虚無感が募っていき、嫌いが薄れる代わりに好きも分からなくなって、好きに自由に生きている(ように見える)人を勝手だとかわがままだと批判し始める。
そんなかっこ悪い大人になんてなりたくなかったのに。
私が「自分には出来ない」という信念を持ち続けているのはなぜか、考えた。
答えは「その方が楽だから」。
苦しくても、楽だから。

小学生のとき、テレビで「みんなのうた」を見ていてこの歌が流れてきたとき、ものすごくムカムカと腹が立って怒りで泣きそうになりながら母に「なにこの歌!おかしいよ!」と訴えた。(反応は無し。)

『チョコレートは大嫌い
だって食べたら無くなっちゃうだもん
トロトロくちのなか 
あまいゆめの舟にのる
あと3秒
あと1秒
とけないでチョコレートドリーム

チョコレートの海で
サーフィンしたのさ
トロトロ波の上 
ミルクとナッツがうかんでる
あと3秒あと1秒
さめないでチョコレートドリーム』

甘い声で歌われるこの『チョコレートドリーム』という歌。
食べたら無くなっちゃうと歌うくらいチョコートが大好きなのに、それを大嫌いだなんて一体何を言っているの!?
好きなものは好きに決まってるじゃん!
みたいな感じで、とにかく腹が立ってなぜか悔しくて仕方なかった。
それなのに、いつの間に私は「食べたら無くなっちゃうからチョコレートが大嫌い」と言う大人になっていたんだろう。「叶わなかったら辛すぎるから夢なんか持たない」大人になっていたんだろう。
だって本当に叶えたい願いが叶わなかったらと思うと、辛すぎるじゃないか。
惨めすぎるじゃないか。
虚しすぎるじゃないか。
と私が言う。
そしてもう一人の私が言う。
「本当に?」
本当だ。
本気の願いが叶わなかったら、辛すぎるし、惨めだし、虚しい。
じゃあそれならば願わないことを、行動しないことをやめられるのか?
やめられない。
だったら答えは一つ。
「やるしかない。」
だって自分を信じたくて認めたいのは自分であって、他の誰でもないと、深いところでは分かっているから。
と言ってもやっぱり人に認められたい。共感したい。分かち合いたい。
で、もし死ぬまでやってみてやっぱりその願いが叶わなかったら?誰にも認められず、辛すぎて惨めで虚しかったら?
私の人生何も成し得なかった、意味がなかったと打ちのめされたら?
分からない。
その時はもうそれを受け入れて大人しく野垂れ死ぬしかない。(「フランダースの犬」の最後みたいにねぎらいの天使とかは迎えに来て欲しい。)
でも、成功しようが成功しまいが満たされようが満たされまいが二人で生きようが一人で生きようがいずれにしても人は死ぬ。
多分答えなんかない。正解もない。
生きているうちにそれは見つけられないだろう。
だったら何を恐れることがあるだろうか。
それなら私が恐れていることは何だろうか。
誰にも認められないこと?何かを失うこと?存在を無視されること?
ちやほやされること、人に広く認知されていること、あの人はすごいと言われること、羨望の眼差し、居場所、ちから、パワー、お金、人が集まってくること。
私が欲しいものは何だろう。私が思うことは。

小学校低学年のとき、なんの授業だったかみんなの嫌いなものをひとつ紙に書いて、それが壁に貼られた。みんながオバケとか犬とかピーマンとかおこるお母さんとかを書いている中で私は当たり前のように「人に負けること」と書いた。先生が、負けず嫌いなんだね!と言って笑った。私は負けず嫌いなことはすごく恥ずかしいことなのだと思って、壁から紙を引き剥がして走ってその場から逃げたかった。
封印していた気持ち、私は本当は負けたくないと思っている、負けてたまるかと思っているのだ。そしてそんな自分をどうしようもなく大人げなくてダサいと思っているから、勝ち負けじゃないと平和なフリをしている。でもそれがフリだけかというとそうでもなくて、同時にそんな自分を彼方の永遠の海みたいな場所から静かに見守ってもいる。そして何だか広い眼差しで「遊べよかし」と思っている。

で、色々言っても結局何が残るかというと、
「やるだけ。」
本当に、ただそれだけなんだと思う。
何がどうなろうが、ならなかろうが、やることしか出来ないんだと思う。
まるで二十歳ハタチぐらいの時に読んだ『アイデン&ティティ』のボブ・ディランの台詞せりふ『やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ。』なのだけど、本当にそれしかないんだと思う。
でも、どっちかというと『やらなきゃならないことをやってうまくいかなくても、やらなきゃならないことをやるだけさ。』であり、『だからうまくいくんだよ!』と力技で自分に言うのだ。
だって私はもう大人だから



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