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なぜ長女は学校に行きたくないと言ったのか

長女は小学校に入学して1週間ほどで、
「学校はいや。行きたくない。」
と言い出しました。

私は正直、「また始まった」と思ったんです。

彼女の性格は、自分をしっかり持っていて、自己主張が強い。
自分の好き嫌いの感覚もしっかりしているから、ストライクゾーンが狭い。
ピンポイントで「これがいい!」というものしか選ばない。

というところがあるから、学校も、イヤだと感じるところは多々あるのは仕方ないことだ。そう思ったんです。

理由を尋ねると、

「先生は、みんなを操り人形みたいにする!だからいや!先生、こわい!」

私には、彼女のこの感覚、言葉をしっかり受け止める力がなかったんです。

「操り人形のようにされる」という表現を、わずか7才の子がしている。

ということの恐ろしさを、見逃してしまったんです。

私は、
・1年生のうちから休み癖をつけてはいけない
・イヤなことも受け入れられるようにしないと、我がままに育ってしまう
・今いる場所で学べないことは、場所を変えたって学べない。
 どこにいても自分次第なんだって、学んでほしい。

そんなことを思いました。
そして、できるだけ学校へ行くように対応しました。
時々休むことがあっても、仮病を見抜いた時は怒ったし、あの手この手で、どうにかこうにか、通わせ続けたのです。

お恥ずかしい失敗談です。
私が思ったことの中に、長女の気持ちは1つも入っていません。
私の、自分の気持ちや考えばかり。
それも、心配や恐れから来るものばかり。

当時のことは、思い出す度に胸が痛みます。
今なら、あの頃の娘の辛さが想像できるからです。

本当に、怖かったんです。
本当に、しんどかったんです。
本当に、ここにいては自分がなくなってしまうと感じていたんです。

長女は小2の夏休みに、身体のあちこちに二次障害を起こすようになり、不登校になりました。数カ月後に復帰し、小5の2学期まで通い、再び学校に行かない選択をしました。中学は1回もクラスには入らずに卒業しました。

小6になって、素晴らしい精神保健福祉士の方と出逢え、月1回のカウンセリングを10回ほど受けました。

そのカウンセリングを通して、彼女の感覚器官や脳機能の特性を知ったんです。

日常生活に支障を来すほどではない。
でも、大人数、大きな会場、大きな音、ざわざわが多い場所など、幾つか条件が重なる場所ではとてもしんどい思いをしていたこと。

見え方、記憶の仕方も、まるで写真のようだということも分かりました。

不安が大きくなる状況、環境は、人それぞれ違うこと。
不安やしんどさが大きくなると、日常的なストレス度が高くなり、余計に感覚は敏感になり、悪循環を起こして心身共に蝕まれていくこと。

7才の時に、感覚を言葉にした彼女の訴えは、
「おかあさん、たすけて」という、心からの叫びだったこと。

いろんなことが分かって、無知で自己中心的だった自分を猛反省しました。
戻れるならあの頃に戻って、ぎゅーって抱きしめて、救い出したい。

「しんどいんだね。休もう。学校に行かなくても大丈夫!」

今の私なら、すぐにそう言って安心させてあげられるのに。

安心を与えることは、今すぐにでもできます。
原因はどこにあるか?休んだ先、どんな過ごし方や学び方をするか?
は、その後でいくらでも見つけていけます。

私は、長女が強く訴える力を持ってくれていたことに感謝しています。
いやだ。おかしい。しんどい。きらい。
そんな思いも、出してくれる人で良かった。
そうでないと、私は気づけなかった。無知なままだった。

「ごめんね」と「ありがとう」でいっぱいです。


この記事は、
デモクラティックスクールASOVIVA!で発行しているステップメール、【ASOVIVA!メンバー七変化記録】
~不登校への向き合い方10のステップとASOVIVA!の物語~

のステップ1「子どもが学校に行きたくないと言った時の対応」
の補足として書きました。
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