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愛が育たないのは始まり方がアレだったからかも知れない
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「妻を愛していると思っているのは勘違いかも知れない」
夫に愛されていないと嘆いている女性に質問したい。
あなたは愛されているとはどんな感じか、本当に感じてみたことがありますか?
高校に入学して間もなく、私と元夫は交際を始めた。
生い立ちシリーズで書いた通り、当時の私は自分という存在の軸が線香花火のように頼りなくて、どうにかこうにか火を灯してはいるけど、その軸は細いコヨリのように細く不安定でゆらゆらしていた。
そんな私には、あまり何も考えてなくて(ごめん)、面白いこと言えてないのに自分は楽しそうで(ごめんね)、運動と明るさだけが取り柄(ほんとごめん)の彼が、ずかずかとすごい鈍感力で私への距離を縮めて来てくれた時、太陽のような人だと思って、心から嬉しかったのだ。
後からそう思ったのでなくて、15才の私がそう認識し、その要素を好きになった。
私の中にあった陰の要素が、彼の陽の要素を必要としていた。ということ。
彼と過ごして寂しかった自分を自覚したし、暗いところにいる私を明るい場所へ連れ出してくれたと感じていた。
この世界には、二元性の法則がある。
陰陽のエネルギーは常に等しく、見えていなくてもそこに在る。
私は、自分の中のネガティブさにばかり注目していて、しんどかった。
だから、そのエネルギーを反転させたものを外側の世界に求め、彼にそれを見つけて、頼った。
それ以外にもたくさんの要素を彼は持っているにも関わらず、私が見た彼の人物像は、自分にとって都合の良い限定されたものだったのだ。
これを鏡で反転させるとどうなるか?
私の中には、彼が見せてくれた陽のエネルギーがしっかり存在していたし、彼の中にも、私が見せていた陰のエネルギーが存在していたということ。
こうやって、多くの男女は引き合う。
でもそこには、真のパートナーとしての愛の種はなかったり、あっても育てられなかったりする。
なぜなら、愛は二元性を越えたところ、二元性を包括したところにあるものだから。
自分の中に潜んでいるものを投影した相手と引き合う時、お互いに補い合えるのだと感じる。でも、人は成長し変化していく性質があるから、外側に求めるものも変化していく。
やがて感じる愛の終わりとは、自分が外側に求めるものが変化しただけに過ぎない。
それは相手への不満、不足、失望、怒りなどの感情を引き起こし、相手を責め、自分を責め、苦しみとなる。
二元性の世界に囚われて生きている間は、絶対に見えないものがある。
そこを越えていくためには、相手の中に自分を見て、内側を整えていくしかない。
そしてある時、愕然とする。
愛されたいと願っていた私が、愛そうとも愛されようともしていなかったことに。
夫に愛されていないと嘆いている女性に質問したい。
あなたは愛されているとはどんな感じか、本当に感じてみたことがありますか?
愛し愛されるということを、頭で捉えようとしていませんか?
自分は愛されているのだと実感できたとき、それまで冷え切っていた夫婦関係が、エゴ視点から愛の視点に切り替わって、新たな関係性に変わっていきます。始まり方が私のようにアレだったとしても。
そのまま夫婦を続けて愛を育てていくのかも知れないし、互いの学びを終えて婚姻関係を解消し、それぞれの道を歩き出すかも知れない。
関係性がどうであっても、互いに認め合い応援し合える、良い関係にシフトさせていくことができる。
私の場合は、自分のエゴ視点がボロボロと剥がれ落ちた先に、
「もうすでにお互いに違う船に乗る準備できてるよね。」
という感覚が強かったし、そんな話を元夫にもしました。
価値観が違い過ぎるのに同じ船に乗ったままだと、お互いにどこへも向かえない。もう、それぞれの航路へ向けて出航しましょう。そんな感じだった。
長い間、私のニーズを満たしてくれたことには今も感謝しかないし、私のエゴ視点が好き勝手したこと、ほんとごめんなさいと思う。
でも娘たちと4人で過ごせた家族の期間は、ほんとにありがとうがいっぱい。
次回は、うちの場合の離婚後の関係性について。
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