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不退転の覚悟で決めればなんとかなる


子どもの頃、両親がケンカをしたり、否定し合ったりする姿を嫌というほど見ていた私が、一番心を痛めていたのは、

「自分にとって大切な人同士が、いがみ合っている」ということだった。

父も大切。母も大切。
ただ純粋に、子どもらしくいたかった。
子どもらしく親を慕ったり、頼ったり、甘えたり、信じたりしていたかった。
何も気にせず、背伸びせず、顔色を窺わず、安心していたかった。

ケンカしてほしくなくて嘘をついた日。
その嘘のせいで、母が父をビンタしたあの日。

隠れて泣いた、8才の日。
悲しくて、悔しくて、自分を責めて憎んだ。

子どもが嘘をつくときは、何かを守りたい時だ。
嘘をつかせているのは、大人だ。

子どもが嘘をつくことが平気になるほど、嘘をつかせてはいけないと思う。

両親が離婚した後、母は違う人と一緒になった。
でもまた、否定し合う、暴力的で共依存的で、しんどい関係性が何年も続いた。

相手や環境を変えただけでは、問題は何も解消されないのだと、その姿から教わった。
自分を内観して、本当に内側を変えていかないと、どんどんしんどさが増すばかり。

親を通して学んでいた私は、結婚したら離婚しないと自分に言い聞かせていた。
子どもができたら、夫婦喧嘩を見せたくないと強く思っていた。

離婚したいと思っても、いつも、「10年後に離婚しよう。それまでに自分を成長させられたら、離婚したい気持ちもなくなっているかも知れない。」と思っていた。

私なりに自分を拡大させたり、変化させながら、離婚回避の選択肢を残していた。
どうやって彼への信頼を築き直せばいいか悩んだ末、「もう一度、先に私から全幅の信頼を示そう。」と決意して、家計の全てを彼に委ねてみたのが、最後の試みだった。

娘たちに喧嘩を見せたことは、1回くらいしかないと思う。
喧嘩というほどでもないくらいの短い言い合いではあったけど、大きく感情が出たから不安にさせてしまった。
隠れてした喧嘩も、ない。
夫婦で対話ができていた時期も長くあったし、感情のぶつけ合いをした記憶は本当に少ない。
お互いに子ども達に不安を与えたくないという思いは共通だったから、話し合う時には落ち着いて話せていたと思う。

それでも離婚の話をのらりくらりとかわされていた数カ月は、心理的にしんどくて適応障害を起こしていた。顔にも出てしまっていたし、同じ空間に相手がいなくても、相手を連想させる物があるだけで発作が起きそうだった。

その時期は、相手が不在の時に祈りまくった。
洗い物をしながら、洗濯物を干しながら。

「彼が幸せでありますように。健やかでありますように。笑顔でありますように。」

とにかく祈りまくって、できるだけ少ない摩擦で離婚を成立させることに集中した。

娘たちは14才と16才だった。
次女が18才になるまでは・・・と思っていたけど、そこまで持たせられなかった。
感受性が強い彼女たちの、思春期真っただ中。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、早く自分を救い出さないと精神がおかしくなる。これ以上バランスを崩してしまったら、守りたいものも守れなくなる。

そのくらい、自分を追い込んでいた。

子どもの立場では体験できなかったものを、親の立場で体験したい。
子どもが子どもらしく居られる、家庭を作りたい。
だから、離婚はしないと心に決めて結婚した。

15才の時、最も尊敬する職業を受験の面接で聞かれ、「母親」だと答えた。
「お母さんになりたい」というのが、私の一番大きな夢だった。

それを叶えてくれたのは、元夫であり、娘たち。
望んでいることと、望んでいないことが同じだったら、どうすればいいの。

人は時々、こうやって二極に自分が切り裂かれて、生まれ直す。
二元性を越えていかないと、見えない世界がある。

やっとの思いで自分に離婚を許し、その選択を貫くために大切な人たちを傷つけ、理解を求め、行動した。

娘たちは泣きながら、素直に思いを伝えてくれた。そして、受け入れてくれた。
籍を抜いてから5カ月後に3人で引っ越しをすることになった。
そもそも離婚の最終的な引き金はお金のことだったので、置いていたパート代は全て補填に回ったし、その頃はパートも辞めて、新しく立ち上げたフリースクールの基盤作りをほぼ無報酬でしていた。
所持金は、ほとんどなかった。

でも、受け入れてくれた娘たちが、少しでも心地よく暮らせるように、必要なものは揃えると決めた。そのために借金が100万円になっても構わない。絶対に踏ん張って立て直す。
本当は吐きそうなくらい不安だったし、何の根拠も持ってなかったけど、一点の曇りもない覚悟だけ決めて引っ越した。2019年の8月のこと。

実際は周囲から助けてもらえたこともあって、その後の半年間の生活費の補填も含め、50万までの借り入れで済んだ。ありがとうございます。

今年の3月頃までは、毎月どうやって切り抜けたのか分からないくらい。
3月最後の週は、何回財布を開けても5円玉1枚しか入ってなかった。

「財布を叩いたら増えへんかな?」とか言いながら3人で笑い合っていた。
何度やっても増えなかったけど(笑)

でも先にめいいっぱい不安と向き合って、その不安に向かってダイブしたのは自分だから。
その底が見えて、内心では確信していた。
この底を蹴って上がればいいだけだ。
だから身近にいた人達も、切羽詰まったようには見えてなかったと思う。
実際、大丈夫だった。

さすがに、銀行口座の残金が2000円で所持金5円というのは、我ながら過去一の新記録。
それでもまだ大丈夫だと信じていられたのは、天は人を試したりしないと分かっていたし、私も天を試すようなことを、やめていたから。

「決める」ということにはすごいパワーがある。その純度が高ければ高いほど、良いカタチで具現化していく。損得勘定や感情などのエゴで決めると、その時に見えてなかったものが後から表面化したり、具現化してもすぐに崩れたり、思うように進まなかったりする。強引に進めて、周囲への摩擦や影響が大きくて溝を残すこともある。

1度目の大きな離婚のタイミングは2009年だった。その10年後の2019年、2度目のタイミングで離婚した。
この10年があって、私はとても良かったと思っている。
学べたことも大きいし、離婚後の家族の関係性にも繋がっているから。


離婚後の関係性について書くつもりだったけど、そこまでたどり着きませんでした(笑)
このシリーズはあと2話続く予定です。

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