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妻を愛していると思っているのは勘違いかも知れない

妻を愛していると思っている男性に質問したい。
子ども達が巣立った後・・・定年後・・・
あなたと妻は、どんなふうに2人で暮らすんでしょうか?
そのビジョンは、嬉しくて、幸せで、愛しい?

元夫は離婚の話し合いの時、「将来は嫁さん孝行をしようと思ってたのに。」と言った。

「例えばどんなこと?」

「旅行とか」

「それから?」

「・・・」

「ほんまは、思ってないやんね」

子ども達が居るから家庭を保っているけど。その先、2人になった時に共有したいことが私たちには何も出てこなかった。お互いに。それを確認し合ったら、納得するしかない感じだったと思う。

私はいつの頃からか、元夫に対して不思議に思うことがあった。

「関係性を続ける努力をしないのに、どうしてずっと続くと胡坐をかいていられるんだろう?」

その心理って、思考って、どういうの?って。不思議で仕方なかった。

離婚する時、彼は、彼の両親と、私の親と、私の前ではっきりこう言った。

「釣った魚に餌をやらなかったということやと思う。」

ひっくり返りそうになったけど、もうどうでもいいと思った。

15才から9年間交際し、みんなに祝福してもらって結婚し、2人の可愛い娘を天から預かり、約17年の結婚生活を経て40才で離婚。

たった2行で綴ってしまえるけれど、その行間に25年の歳月があり、出来事や思い出があり、気づきや学びが詰まっている。

どこにでもある夫婦の話だけれど、私なりに綴ってみようと思う。

結論から先に言うと、私たちは相手を間違えて結婚したと思うということ。
離れて暮らしてから1年以上が過ぎ、きっと元夫も、そう思っていると思う。

でも大切なことは、間違った相手だからこそ学べたことがたくさんあるということ。私にも彼にも、必要な月日だったということ。

もし間違えた相手だったとして、その相手との学びを終えられなければ離婚も起きないとも思う。もしくは、勇気が出せないか。

いつだったか、お義母さんに「彼には感謝しかないです」と伝えたことがあった。今も、やっぱり感謝しかないと感じている。

年齢や時期によって、恋心も、友情も、家族愛も確かにあった。だから今も感謝しかない。

でもお互いに、本当に尊重し合い、愛し合えるような、最高の伴侶と思えるような、男女の愛はなかった。

離婚に踏み切るきっかけとなった出来事、状況は確かにあるけれど、それも今となっては、必然的に起きてくれたようにさえ思う。そうでないと、私は決断できなかったと思うから。

男女の愛には至らないまま、お互いにとっての役割を終えて、関係性を変えた。そういうご縁の人なんだと思う。

私が、離婚する時の話し合いで彼に伝えたのは、

「関係性を変えて、お互いから自立する必要があるんだと思う。」

ということだった。少年少女の頃に出逢い、お互いの性格は手に取るように解っていて、もうそれ以上、深め合えることも高め合えることもなくなっていた。

「私たちは、相手を間違えて一緒になった。」

そう気づいてしまってから14年、私なりの努力をしながら家庭を作ってきて、もうこれ以上はどうしようもない。どうやったって、掛け違えてるボタンを合わせようがない。そこまで来てようやく、納得して、決意した。

そんな14年の私の心の内を、彼は全く知らないと思う。
私の性格は理解していても、その時々、私がどんなことを感じ、どんな話をしたかったか。彼はそこには関心がなかった。

男脳と女脳の違いだろう。

そんなふうに自分を納得させようとした時期もあった。
だけど、ほんとにそうだろうか?

相手がどんなことを大切にしたいのかにさえ関心がなくて、愛し合うことなんてできるんだろうか?愛し合ってなくて、何十年も夫婦を続けるなんてできるんだろうか?

妻を愛していると思っている男性に質問したい。
あなたは、愛する妻がどんなことを大切にしたいと思っているかに、関心はありますか?
それがどんなことか、知っていますか?
それを、守れていますか?

そんなことに関心がないという男性に質問したい。
本当に、妻を愛していますか?

続きはまた。


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