自分を救い出す
*この記事は配信しているメールマガジン「じゆう帳」の記事を加筆修正しています。
自分の心を整えるのが苦手だった人が、自分と向き合ったり癒したりし始めている。私の周囲で、そういう人が増えています。
そもそも、
「まず心を解さないと、しんどいの続くよ。」
という状態の人が、自分でそのことになかなか気づけてなかったりしますよね。
分析も得意で、対策を幾つも出せるのに、「心」はずっと置き去り。
自分の「行動」や「考え方」に対する対策ばかりを考えて、頑張り続けてしまう。
いつしか心が悲鳴を上げて、身体にいろんな症状を出して訴える。
病は氣からと言います。
心はイノチの住まいだから、そこが澱んだままでいくら行動を変えても、氣は流れない。
「気持ちを受け止める」
「在り方が大切」
と、頭では十分過ぎるくらい分かってるんです。
私だって、筋トレが大切なのはよーく分かってる。
でも、その「分かってるつもり」が危険。
頭で気持ちを受け止めることはできないし、マットレスの上で筋トレはできない。
できないどころか、悪化します。
doing より being
それも皆、もう知ってる。
方法論もいろんな情報がいっぱいあるから、いろいろ知ってる。
でも、心のことを頭でやるから分からなくなるのだと思います。
気分は感じれてるけど、「ほんとうの気持ち」の在り処を見つけれてない。
頭の中にあるのは気持ちではなく、思考だからです。
気持ちって、辞書にはこう書いてあります。
どこにも、頭のことは、書かれてません。
なのに一生懸命、頭の中で探したり、見つけたり、転換したりし続けることで、心はずーーーっと置き去りにされ傷つけられ続けています。
自分自身から。
いろいろ頑張ってるのに、ずっとしんどい。
むしろ、悪化してる。
そんな方は、まず心の在り処に意識を向けてほしいと思います。
自分の心に再会できたら、男も女も号泣しますよね。
「今までごめんね。そしてありがとう」って。
自分自身に対して、心から謝罪と感謝の念が込みあがってきたのなら、もう大丈夫。
ずっとずっと逢いたかった人に再会できたんだから、二度と手離そうなんて思わないはず。
誰よりも大切で愛すべきは、ほんとの自分です。
嘘で塗り固めてきた、はりぼての自分の中へ潜って行って見つけた自分を、諦めずに助け出しましょうね。
自己犠牲していくらがんばっても、かっこよくないんです。
そういう人には余裕がないからだと思います。
承認欲求は強いけど、がんばってもがんばっても満たされなくて、がんばり続けて疲弊する。
どれだけがんばったことを誰かに承認されたり褒められたりしても、一時は嬉しいかもしれないけど、真には満たされない日々が続く。
その原因は、本当に認めてほしいことを自分が認めていないから。
ほんとうは自分って、カッコ悪いんです。
弱っちいし、ちっぽけだし、欠点もいろいろある。
分かってるけどできないこともいっぱいあるし、無理して描いた未来が重荷でしんどくなったりもする。
本当に自分に承認してほしいことって、そこなんです。
カッコ悪いし、弱いし、小さいし、欠点だらけで不器用な凸凹な自分。
そんな自分をさらけ出したり、認めたりできない自分。
その自分を承認できた人は、どんどんかっこよくなります。
真のかっこよさって、そういうものだと思います。
今までほんとによく耐えてがんばってきましたね。
私の周囲の人たちも、これまで自分につけてきた垢を、落としまくっています。
どんどん自分の本心を見つけて、表現しています。
この目に映したいものを映す。
この耳に聴かせたいものを聴かせる。
この手で触れたいものに触れる。
この身体に入れたいものを入れる。
この心を感動で震わせたいことがらを実現させる。
自分を大切にするって、そういうことなのだと思います。
一見、苦しい作業かもしれません。これまで築いてきたものを崩壊させるのは、怖いことでもあります。
私も散々、この崩壊のしんどさを味わって来たので、渦中にいる人のしんどさは痛いほどわかります。
でも、その先に待っているしあわせな世界を知っているから、心配なんてしません。
ただただ、その人が変容していく過程を信頼して、少し先の未来をその人自身が信じられるように祈ったり励ましたりするだけです。
のた打ち回ってでも、脱ぎ去りたいものがある。
内側から溢れてくるそのパワーこそが、その人の持つ本来のエネルギーです。
自らが、自ずからに出逢うためです。
だから大丈夫。
安心して、のたうち回ってください。
自分でも知らなかった、なんかすごい自分が、だんだん姿を現します。
これからは、その自分の望みを叶えていくために、思考を使って生きていく日々が待っています。
楽しみですね。
よろしければサポートをお願いいたします。頂いた愛を、子ども達の笑顔に繋げます!