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人生の置き土産

「今、どんな気持ちでいてるん?」

親族のお骨上げをするのは、これで5人目だ。
今回は、祖父母の時とも、父の時とも違う。

何とも言葉にし難い感覚でその時を迎えた。

叔父が急逝したという知らせを受けた時、私は妙に冷静な自分を感じていた。

「弟が亡くなった!」

電話の向こうの母が気が動転している様子だったので、冷静でいようという意識が働いたのもあった。

でも正直言って、「あー、やっぱり、、、。」と納得している自分もいた。

年末年始は会えなかったけど、数ヶ月前に祖父母の法事で久しぶりに会った叔父は、生気を失っているように見えた。

生気。

生きる、氣力。
いきいきとした、活力。

57才って、とても若い年齢だと思う。
私の周囲でも、60代以上でとても生き生きと活動せれてる方は何人もいる。

でも叔父からは、何かを楽しもうというような氣力が感じられなかった。

「気の若さだけはずっと持ってたいなぁ」

十数年前は、そう言ってたのにな。

もの寂しさや切なさを感じた法事での再会から、わずか2ヶ月半後、彼はこの世を去った。

自宅で倒れ、そのまま。
心不全からの発作だったらしい。

・・・

「片付ける」ということ

人が1人亡くなると、後に残った者には「片付ける」という仕事が渡される。

片付けるとは、ただ物を整理することだけではない。辞書の表現を借りれば、

⚫︎物事にきまりをつける。片をつける。
⚫︎解決すべき物事に結末をつける。

という仕事だ。

叔父には私の母を含め、2人の姉がいる。
それぞれに、配偶者もいる。

本来なら、この姉達が片付ける人である。

でも、高齢や持病などでとても無理であろうと、私たち姪甥が請け負うようなカタチになった。

それは構わない。仕方のないことだし、小さい頃から遊んでもらって、子どもの頃は憧れもした大好きな叔父だ。

母や伯母の心労や、体力的なしんどさを思うと、それもまた当然のこととして、手伝えることは手伝おうと思う。

に、しても。

1人の人の人生の後片付けをするというのは、とてもエネルギーが要るし、とても難しいことだと痛感している。

父の時はこれほどの疲れは感じなかった。私がまだ29才と若かったのもあるかも知れない。

ややこしさも、ほとんどなかった。 
そうだ、この「ややこしさ」が疲労感を倍増させているんだ。

どうにも、偲ぶ気持ちが湧いてこない。
思いの波はサーッと引いていき、戻ってもこない。

純粋に「にいちゃん」と慕っていることができた子どもの頃を虚しく思い出す。

その虚しさがまた、疲労感を底上げしている。

「身辺整理はしとかなあかんなぁ。」


兄がふと呟いた言葉は、そのまま私の言葉でもあった。

暮らしを共にしていた相手なら、まだ分かる部分も多かったかも知れない。でも晩年は独り暮らしだった叔父の、日常的なことを教えてくれる人がいない。

残されている物的な情報と、みんなの想像力を働かせて、1つ1つ判断していく。

連絡はどうするか。
どこまでの範囲ですればいいか。

それすらも、線引きするのは困難だ。
一歩間違えたら、トラブルの火種にもなりかねない。

彼が遺していった置き土産から、そんなややこしさを全員一致で感じ取っていた。

【解決すべきことに、結末をつける。】

自分のことなら、決めていける。

でも他人の、しかも本人の意思を聞くことができない人の、しかもしかも、人生の結末をつけるなんて。

どこまでやるか?
どこは手放していいのか?
後々、困ることはあるのか?

法律的にも分からないことが多く、日に日に、みんなの疲れが募っていった。

お骨上げ

時節柄、火葬場には行列ができていて、葬儀の日取りが死亡確認から5日後になってしまっていた。

一般的には、哀しみに浸る余裕もないままお通夜や葬儀を行い、ひと呼吸置いてから、諸々の片付けをするように思う。

写真や思い出の品が出てきたら手を止め、寂しさや悲しさに浸ったりしながら、心も整えていく。

そんな流れだと思う。

でも、遺体と対面した直後に警察検分の立ち合いがあり、ワケが分からないまま対応すべきことが出てきて、いろんな情報が出てくる度に驚いたり、困惑したり、また調べたり話し合ったり。

荷物の片付けや運搬、葬儀などの手続きも並行して進める。

従兄妹や兄妹がいろいろ動いてくれたから、私個人の負担は大したものではないけれど、精神的な疲労感はみんな大きかったと思う。

そんな5日間の疲れを引きずった状態で、叔父の遺体に最期の別れを告げることになったのだ。

「合掌してお迎えください。」

火葬場の人が、台を炉から引き出し始めた。

ずらりと並んだ炉を数えてみたら、25基ほどあった。

10基ほど離れた炉の前には、他の方のお骨に向かうご遺族達のすすり泣く光景。

目の前に視線を移すと、叔父がカサカサした白い骨となって横たわっている。

例に倣って、担当者がお骨の説明を始める。

「こちら側が足ですね。これが踵、これが膝で、こちらが膝のお皿です。そしてこちらが・・・」

足から順に、喉仏、指仏の説明を経て、頭蓋骨へと辿り着く。

促されて、各部位の骨を箸で拾い上げ、真ん中に置かれた小さな骨壷に納めていく。

私も足の骨を1つだけ入れて、みんなが入れていくのを眺めていた。

同時に、自分の内側でどんな感情が生まれてくるのかを観ていた。

感情は何も、生まれなかった。

「にいちゃんは、今どんな気持ちなんやろう?」

ただただ、それが気になっていた。

にいちゃんとの思い出は、山ほどある。
感謝していることも、たくさんある。

手を合わせる時には、ありがとうと素直に伝えられる自分で居られたから、それが救いだった。

例えば腹が立ったり、恨みたいことがあったりしたら、しんどかったと思う。

でも私にとっては、直接何か困らされることのない、良き叔父でいてくれたんだなと思った。

そこは素直に、感謝を伝えて見送ることができた。

生き方

姪の私は、叔父という人のほんの一部しか知らない。

知らないままでいられることは、幸せなことでもある。

表面的に叔父を見てきて、大切なことを大切にすることができない人なんだなぁ、とは思っていた。

そのせいで、最も大切にすべき身近な人たちと、心通い合う関係性を築けないんだなぁ、と。

家系的な因縁とか、人生を通しての課題とかがあるのであろうから、私がとやかく言うことでもない。

ただ遺品からは、大切に思っていたんだろうな、と感じるものがたくさん出てきた。

だけど彼の生前の在り方は、大切にしているようには見えなかった。

自分のことも、大切な人のことも。

「どんな思いで、いてたんかな。」

その一点に思いを寄せた時、一粒だけ涙が出た。

「今、どんな気持ちでいてるん?」

答えの返らない問いを心の中で繰り返した。

悔やんでるんかな。
納得してるんかな。
楽になったんかな。
救われたんかな。
何か伝えたいと思ってるかな。
悲しいかな。

どないも、思ってへんかな。

愛されたかったんだろう。
満たされなかったんだろう。

そう見えるけど、

そんなこと、本人は意識もしてなかったかも知れない。

誰かとのやりとりを思い返しても、

素直な気持ちからの言動のようにも見えたし、自分に都合の良いように振る舞っただけのようにも、思える。

人が本当のところはどう感じているかなんて、誰にも分からない。

彼が彼の人生の、本当の片付けをどのようにするのかは、彼にしかできないこと。

死んだ後でそれができるのかも、できるとしたらどのようにするのかも、私には分からない。

悔やんだら、生まれ直してやり直すんかな?
彼の死生観を、聞いたことはなかったな。

とにかく、彼自身のことはどうすることもできない。

この世に遺され、片付ける必要のあるものを、できる範囲で代わりに片付けることしか、できない。

縁ある者は、その縁から自分は何を受け取り、どう捉え、どう扱っていくのか?を見つめていくことはできる。

叔父が私に遺していった人生の置き土産は、

【かおりは、どう生きるん?】

という、大きな愛ある問いかけだと受け取ることにする。

何とも言葉にし難い胸の中のモヤモヤを、何かしら言語化しておかないと、モヤモヤしたままうやむやにしてしまいそうでイヤだった。

こんなに、物悲しさや虚しさばかりが漂う見送りは初めてのことだったから。

心があのお骨のように、カサカサしていきそうでイヤだった。

とりとめないけど、少し整理できたように思う。

どう、生きようかな。

今までよりもうちょっと深いところから、見つめてみたいと思ったよ。

にいちゃん、生きてくれてありがとう。

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