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1964 東京オリンピックノート

令和2年8月26日(旧暦:7月8日)
甲申(月)辛丑(日)
*読み方:きのえさる(月)かのとうし(日)

母から渡されたものの中に、こんななものが!

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1964年に開催された、東京オリンピックのノート。

当時のオリンピック担当大臣は、佐藤栄作元首相だったそうです(首相になる前ですね)。

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オリンピック大会競技場の地図や聖火リレーのコースなんかも載っていました。


で、興味深いのが、1964年3月時点のIOC加盟国の国旗一覧。
当時の世界がどうなっているのかが垣間見られました。

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香港の国旗は、イギリス統治下だったのでユニオンジャックがあります。

象牙海岸!?
コートジボワールのことで、1960年にフランスから独立。

独立後のオリンピック初参加となった1964年東京オリンピックの開会式では、英語名の"Ivory Coast"を片仮名へ転写した「アイボリーコースト」の名称で入場した。

1986年にコートジボワール政府から日本政府へ外名の変更を要請されて以降、外務省大臣官房総務課が内規として定める『国名表』で「象牙海岸」に加え「コートジボワール」も選択表記という形で公文書への使用が可とされた。(Wikipediaより)

2003年に法律快晴での日本語表記はコートジボワール共和国、通称がコートジボワールとなったそうです。表記が一本化したのは結構最近だったんですね。


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ローデシア?

ザンビア・ジンバブエを合わせた地域の名称。また、1965年から1979年にかけてのジンバブエを実質支配していた白人政権が用いた名称。(Wikipediaより)

北ローデシア、南ローデシアとあって、北は現在のザンビア、南は現在のジンバブエ、だそうです。
アフリカは1957年のガーナ独立以降、1960年に相次いで17カ国が独立したそうです。

北朝鮮は1964年の東京オリンピックには参加せず、夏季オリンピックは1972年ミュンヘンオリンピックから参加したそうです。冬季オリンピックは1964年から参加したそうです。

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ベトナムの国旗が違う!

写真にあるベトナムの国旗は「黄底三線旗」というもので、1949年から1975年にかけて自由主義陣営の "自由ベトナム"が掲げていたものだそうです。自由ベトナムはベトナム戦争で滅亡。それ以降、ベトナム国内での掲揚が禁じられているそうです。

このほかにも、今は存在しない、「ソビエト連邦」、「ビルマ」「チェコスロバキア」がありました。ドイツは東西の統一チームとして加盟していました。


この国旗一覧で、日本の国旗は一番右下の隅にあります。日本のこういうところが私は好きなんです。
そして、一覧の最上部に「わたしくたちは日本の国旗も、外国の国旗も、いつでもみんなで尊重します」と書かれています。

このノートはボロボロですが、記念に取っておきたいと思います。


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