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けっきょく身体性から逃れられないのであれば、ライフスタイルの中からクリエイションをしていくしかないのかもしれない。

さいきんは改めて日記を習慣にしている。

一時期やめてしまった期間もあったのだけど、なんだかんだ必要だなと思い直してここ2,3週間はしっかりと続けている。僕は朝に前日の日記を書くのだけど、それはなんだか過去をリフレインして再生させるような感覚で。まだ昨日の記憶が薄れない朝のうちにそれを行なうことで、昨日のあれこれを文字に刻んでゆく。

色々とアウトプットの方法を模索してきたのだけど、日記をトリガーにするのが良さそうというのが今の所の結論。生物は自らの環世界で生きているので、それをリフレインすることによってアイディアを想起させるのが良さそうである。

そんな風にしていると文字数やトーン、写真の数などで自分の行動量だとかどんな日だったかが振り返れる。と共に「これについて書こう」という発想も浮かんでくるんです。けっきょくのところ人間の身体は一個しかなくて、その身体で体験できるのは1本道なもの。だから創作活動というのも、その1本道の枝分かれでしかないのだと、最近は思うようになった。

だから毎日書いている文章も、その延長線上から生まれたもので、そんな環世界の限界を意識しながら僕等は創作してくしかないのかもしれないなあと思う。進撃の巨人では自分の出自から逃れられない登場人物たちを数多く書いていたけれど、あれはとても真理なのだろうなあと感じてしまう。

僕らのやることなすこと全ては自分という身体に集積された情報の上に成り立っているから、その制約から逃れられない。この文章だって上の文章の掘り込みと、昨日観た動画から想起されたものに過ぎないのだ。そしてその参照期間の短さからもまた、人間の限界みたいなものを感じさせられてしまう。

素子になる人類はいつ現れるのだろうか?まだまだ難しいような気もするし、意外ともうすぐな気がしている。ただ、素子に行くためには全身義体という身体性の壁の淵まで行く必要があって、それでやっと行けるかどうかみたいな話なのだと思う。

最近観たアニメでは『サイバーサイコシス』という概念が出てきて、これ攻殻機動隊的に言うのなら義体化を進める過程で精神に異常をきたし、狂ってしまうみたいな状態になった人を指すのだけれど。まあこのアニメ自体はPOPな感じ観やすかったのだけど、自分的にはこれ「生身の人間から環世界を拡張していく過程では障害が発生しうる」ということを示唆しているように思えた。

この制約を超えんとしている科学者たちはたくさんいるとは思うし、自分自身そういうものに憧れはあるのだけど、多分これってすでに人格形成がある程度なされた年齢からだと障害は発生するのだろうな、と。この辺は『konw』の生まれた時から量子脳であることの方が優秀だったり、そもそもその後の移植には多大な苦痛を伴うという例だったりとか、『マトリックス』で救出年齢を20歳までにしていることだったりとかからも推察することができる。フィクションではあるけど、この構造は概ね正しいように思うのだ。だから道終・常イチ先生は電子葉の開発者でありながら電子葉を入れようとはしなかったのだろう。

このまま生身のままで人生を送るとすると、実行可能時間がはあと大体50年くらいと見積もると、その日数は18250日という形か。もう2万回を切っているのだ。そう考えるとどうにも焦燥感に駆られてしまいはするのだけど、まあそんな悲観的になり過ぎずに、日々淡々と過ごしていくしかないのかなあ、と思う。

2023/04/03

なんだかんだあって11時半くらいに起床。

日焼け止めなどを塗ったりしたら家を出る。特にあてもなく散歩してゆく。途中で本屋さんに行ったりとか電化製品みたりとか、そんなことをしつつ3時間弱くらい歩いていた。

14時半くらいに家に戻ってくる。ご飯を食べつつ仕事を開始。今日はけっこう落ち着いていたので割と自分のペースで仕事を進められた。裏番組は『カウントダウンTV』の30周年記念番組。まあいい感じな流し見加減ができたのでとても優秀だったかな。24時にお仕事終了。

その後はちょっと買い物がてら夜の散歩を。といってもコンビニに遠回りして行っただけなのだけど。地元(田舎)は夜の空気が澄み切っていて、美味しかった。タバコの人ってなんであんなにハマるんだろうとか不思議だったのだけど、もしかしたらこの空気を吸う感覚が辞められないのかもしれないな、とか思いつつ。

戻ってきたらお酒飲みながら動画を観たりして過ごす。本日は何度目かわからないけど東さんと落合さんの動画を。夜は繰り返し観たいものを消費するのに適しているよね。そんなこんなしているうちに眠くなってきたので就寝。

多分2時過ぎくらいかな。

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