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命のスープ~29章~

家に連れて帰ると言ったもののどうすれば…さすが沖縄の葬儀屋さん。
離島への輸送もお手のものだった。

しかし、3歳から島を離れて本島で暮らしていたロン。
友人達にお別れをしたいはずだろう…
葬儀屋さんと相談し、那覇市内で『お別れ会』と称するものを催すこととした。

沖縄では、新聞に告別式の日時を掲載することが常である。
皆、新聞を広げる際には、告別式の日程がずらりと書かれたページから見る。

ここまで触れていなかったが、彼は画家として食っていけるほどの収入はなかった。
むしろ画材やキャンバス、展示会に向けての出費の方が大きい。
彼の生活は生活保護によって成り立っていた。
ゆえに私とも籍を入れず、事実婚としていた。

新聞に掲載するにはお金がかかる…
さらに那覇市内でお別れ会、島で通夜、告別式…輸送費、家族みんなの旅費…
生活保護で支払われる葬儀代はいくらだろう…とても賄えない。
机上で葬儀屋に渡されたパンフレット片手に計算をするロンの家族に、貯金しておいたお金を渡した。
彼が貯めたものだと伝え…
確かに彼が私に託したお金も含まれていた。
私は彼との未来のために。
彼は家族が困った時にあげてくれと言っていた。

亡くなって数日は故人の枕元に毎食ご飯を出す。
最初のご飯は私が作り置きしていた『命のスープ』と半熟目玉焼きご飯である。

「たおちゃんのスープだよ。」と妹が出してくれた。
あ…そっか…作っておいたんだった…
命のスープを欲するくらいきつかったんだ…

施設での生活が長かったため、『半熟』の卵に『あつあつ』のご飯の組み合わせは、なかなかお目にかかることはできなかった。
彼は一人暮らしを始めて、半年間これを食べ続けた。
いかに『半熟』具合を彼好みにできるか…ヘルパーさんたちは極めていた。

那覇でのお別れ会は、ロン本人のFacebookアカウントを借用し、告知した。
つい先日一緒に映画を観た友人は言葉を失った。

突然のお別れ会にもかかわらず、300人近くの方来てくれた。
急な知らせに、足を運べない遠方の方は電報を送ってくださった。
彼の絵画や書を飾った。
ロンの友人は言った「…こりゃ、ファン感謝祭だ。」と。
お返しの品はすぐに底をつき、代わりの品を急遽出してもらった。

このお別れの会で、まさかのお願いがあった。
「たおちゃんに遺族を代表して挨拶をお願いできないか。」
大役を引き受けさせていただいた。

葬儀屋さんが準備してくれた飛行機に彼と彼の家族と搭乗する。
しばし別れの時だ。
彼は貨物室に乗らなければならない。

島に着くと、巨大な冷凍庫に棺ごと入ってしまい、顔も見れなくなった。
通夜が終わり…火葬場へ行った。
骨になってしまった。
骨壺は彼が好みそうなあかばなー(ハイビスカス)を選んだ。

告別式を終え、お墓へ向かった。

私がこれまで経験した葬式では、四十九日過ぎるまで手元に骨壺を置いていたように思うが、
彼はすぐにお墓に入った。

沖縄はお墓を開けることがほとんどといってよいほどない。
巨大なお墓は女人禁制であり、入れる人は故人の干支によって決まる。
何年かに1度開けても良いとされる年があるがそのくらい稀である。
嫡子である彼は真ん中を陣取った。
骨壺を抱えたおじさんはすぐに戻ってきた。

お墓の扉が閉じた。
私の時が止まった。


お墓に入るまでの間、側に居続けた。
冷凍庫に入っても。

「少し休んだら?」と彼のパソコンをいじりながらTちゃんが声をかける。
お別れ会で流すための映像を作ってくれている。
持ち主を失ったパソコンは言うことを聞いてくれず、しょっちゅうフリーズしては、Tちゃんを困らせている。
Tちゃんを困らせるのは今に始まったことではないが…

首を振り、ロンの頭に顔を寄せる。
長い髪からいつものシャンプーの香りがする。
バスタオルに顔を埋め、流れる涙をそのままにした。
いつまでも忘れないことを誓いながら。
そして愛していると。

ある友人は私たちを『ソウルメイト』と呼んだ。
かつて魂を分けあった者。
やはり、私はあの時魂の欠片を置いてきてしまった。






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