「意味」に価値を置く
このあいだ会社で見た講演がすごく面白かったんです。周りの人に興奮ぎみに「面白かったよね、ね?」と尋ねたら、思ったほど同調してもらえずなんでだろうと不思議な気持ちになりました。あんなに面白かったのに。
確かにその講演はビジネスの話で、しかも「優れた起業家が実践する5つの原則」なんてテーマだったので、起業家でもない自分には関係ないと受け取られても仕方ありません。でも私には面白かったんです。「先が見えない不確実な時代にどんな思考法が有効なのか」という話だったのですから。きっと自分のこれからの人生にも役に立つはず。ビジネスの話だからって敬遠するなんてもったいない。
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と、いつもこんな感じ…。物事の捉え方が他人と違うことがよくあります。なぜだろう。その違いがいったい何なのか今まで分からずにいました。
でも気が付いたんです。この講演は確かにビジネスの話で、会社としても仕事に活かすことを期待して企画したのだろうけど、これを勝手に自分ごとに捉え直して前のめりに聞いてしまった。その違いなのだと。
つまり自分にとっての「意味」をそこに感じとっていたのです。
たぶん私は昔からそうで、あらゆるものが自分と関係しているのではないかと思っていて、そこに何か「意味」があるのではないかと探してしまう。
だから面白い。そして面白がる。
でも多くの人は自分と関係ないとすぐ判断してしまうようです。それも理解できます。あらゆるものが自分と関係あるなんて思ったら、あっという間に自分のキャパをオーバーしてしまう。関係ないなら関わり持たないほうがいいと思うのも、もっともなこと。そのほうが効率がいいからです。
「効率」に価値を置くか、「意味」に価値を置くか。
生き方なんていうと大げさだけど、つまりはそういうことなのかも。
どちらも間違いじゃない。
◇
私はわりと無駄なことが好きで、そこに情熱を傾ける傾向があります。
損得ではなく、自分にとっての「意味」を大切にしたいと思うから。
あらゆるものに自分との接点を探す。知識や経験がそれと結びつく。思わぬところに関係性を見つけるのが楽しくて仕方ない。たとえ今は接点が見つからなくても、その可能性があると思えば楽しくなる。
ばらばらに散らばってた点が、何かのきっかけで結びつき、線になる。新しい「意味」が生まれる瞬間は、何ものにも代えがたい快感です。いままで気づかなかったものが急にくっきり見えてくる。そんな瞬間が大好きです。
◇
その一方で私はよくこんなことを考えます。
「無駄なことはたくさんするけど、意味のないことはしない」
固定観念や建前とかには疑問を感じます。本当にそうだろうかと考え込む。そこに意味を見い出すことができなければ、素直に疑問を口にします。いつもどこかで「本質とは何か」を求めている気がします。表面的なものより、その奥にあるものに触れたいと思う。意味のないことはしたくない。
私の考える「意味に価値を置く」とは、そんな一面もあるようです。
◇
必要か必要ではないかではなく、大切なものであるかどうか。
大切なものに何かを費やすことは少しも惜しくない。
新しい「意味」に出会いたい気持ちがそうさせるのかもしれません。
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