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出会いを味方に。《偶然の活かし方》

noteの本質は “人” ではないか? と言ったら笑われてしまうでしょうか?

私にとってnoteの最大の魅力は書くでもなく、読むでもなく “人” です。noteを始めてすぐにこう思いました。

ああ、ここに人がいる! この人たちと知り合いたい、と。

いろんなソーシャルメディアを経験した中で、初めての感情でした。なぜそう思ったのだろうか?考えながら書いてみます。

最近読んだ詩に感じるものがあったので、まずはこれを紹介します。

『きみのなかには』 藤 真知子
万華鏡の 中の ビーズみたいに
いろんな
きみの かけらが いる

がんばる きみ
さぼる きみ
いじわるな きみ
やさしい きみ
まじめな きみ
うそつきの きみ

万華鏡を 人が 回すたび
ちがう 模様を みせるように
きみも つきあう 人に よって
ちがう きみが 現れる
きぼうを もつ きみ
おちこんでばかりいる きみ
あかるく わらう きみ
ふへいばかり いう きみ

なりたい 自分に なれるように
なりたい 模様を だしてくれるような
人に あえるところが
きみの いるべき 場所

※「ざわざわ 第5号 こども文学の実験」より ※

どうですか?ぐっと来ませんか?

noteについて書こうとしたとき、この詩が目に飛び込んできました。これが言いたかったんだ!と思いました。私にとってnoteはそんな場所です。

少し前に『出会えなかったかもしれない』という記事を書きました。

noteを始めるのが1年遅かったら、出会えなかった人がいたのではないか?という想いを書いた文章です。

出会いはタイミングです。偶然が生み出す出来事。私たちはそれに翻弄されます。でも偶然を味方にできたら?人生を変えられるかもしれない。そんな気がしています。

Me'sotes(メソテス)さんの記事に書いたコメントを思い出しました。

いろんなハプニングに遭遇する友達がいて、そのことについて考察された記事です。私も思い当たることがあり、コメントにこう書きました。

私は観光地を歩いてて偶然見つけたお店がアタリだったり、イベントに出くわすことがよくあります。なぜそういうラッキーに出くわすのか、子供に当てさせようとしたことがあります。私の答えは「そういうラッキーに出くわすと思って歩いてるから」。

「そう思ってあちこち見ながら歩いてるのと、何も起こらないと思って下を向いて歩いてるのと、どっちがラッキーに合う確率が高いと思う?」と子供に話してあげました。

どう思いますか?

偶然は絶えずやってきてるのに見えてないだけ。それに気づけるかどうか。偶然を味方にできるかは自分次第なのではないかと思います。

私はMe'sotes(メソテス)さんの記事のこの言葉が好きです。

もう少し扉を開けてみてもいいのかもしれない。
いろんなものがスッと入れるくらいのほんの少しの隙間を。

noteを始めたこの1年でいろんな人に出会いました。出会いには相互作用があると信じています。出会うことでお互いの何かが変わり始めるような。

出会いは一方通行でも成立するものだからそれでも構わないけど、もしお互いに出会えたと思うことができたなら…。

そんな関係になれたら、それは素敵なことではないでしょうか。

noteでそんな出会いが出来たらいいなと思っています。



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