乗り越えない
10月から生活が一変しました。
仕事の内容がすっかり変わってしまったのです。
所属はそのまま。しかし今度の仕事は、通うには1時間以上かかる場所。
これまでが近すぎたから慣れるまでが大変でした。転勤かと思えばそうではないとのこと。ある程度軌道に乗ったら、現地に通わず今まで通りの勤務場所で、遠隔で仕事を動かすのが私に課せられた使命なのだそうです。
ところがどっこいそんな簡単な話ではありませんでした。
いろんな事情が重なったとはいえ、引継ぎ期間が十分ではなかったため、今でもわからないことが多く苦労しています。困ったことがあるたび、たくさんの人に助けられてなんとかやってこれたけど、なかなかしんどい状況が続いています。毎日ハラハラドキドキの連続です。
これがずっと続くとは思ってません。いずれ変わる。少しずつでも変わっていける。状況がつかめず振り回されてばかりの毎日だけど、それは自分のやるべき仕事がまだ把握できていないため。理解が追いつけば、いずれ状況は変わる。それまで自分を信じてあげることができるか、それが試されているのではないか。いま切実に欲しいのは胆力です。
◇
いずれ変わるとは書いたものの、今はまだ終電で帰宅することもあり、自分の時間が思うように取れないのが現実です。あれもやりたいこれもやりたいと欲の深い人間だったのに、ほとんど自由な時間がなくなってしまった。
そうなって初めて自分にとって本当に大切なものが見えてきました。
丁寧に生きたい。それができない今の状況がもどかしく悲しいのだと。
自分は丁寧に生きたかったんだな。そんなことにようやく気がつきました。
noteを書く時間がなくなった。フォローしてるnoterさんの記事もろくに読む時間がない。コメントしたい記事はいくつもあるのに、コメントが書けずにいる。「丁寧に」なんて考えてるあいだに時間だけが過ぎていく。私にとっては交流してこそのnoteなので、今の状況はなんとかしたいのだけど。
◇
丁寧に生きたいのは、ヒト・モノ・コトとちゃんと向き合いたいから。
それが自分にとって人生の満足度につながることだと思ってるから。
多くは望まない。ほんの少しだけでいい。
出来ることはあまりないけど、やれることをやるだけ。
たぶん今はそんな時期。
でも見てろよ。いつか反転攻勢に出てやる。
◇
自分の人生に真摯でありたい、とスマホのメモに書いた。
ひたむきに生きたい、とも書いた。
無理やり乗り越える必要はない。
やるべきは、その日の困りごとをひとつずつ片づけること。
目の前の靄を晴らして、視界をクリアにすればいい。
乗り越えなくていい。大丈夫。
それはいつか乗り越えてるはずだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?