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死者の奢り・飼育/大江健三郎

先月JR宇都宮線の電車内で、喫煙していた男性
を注意した高校生が、男性に10分以上殴られて重傷を負うというニュースが流れた。
友人3人が止めようとしたものの、他の乗客は誰も助けに行かなかった、という情報まで入っていた。

このニュースを受けてコメ欄では高校生の勇敢な行動を讃える声と同時に、周りで何もせずに見ていた乗客への批判も当然起こった。

僕はこのニュースを見て考えを巡らせてるうちに、去年読んだ小説のことを思い出していた。

去年、図書館でたまたま見かけた「死者の奢り・飼育」が気になり、文庫を買って読んでみた。
大江健三郎を読んだのは初めてだった。

結論から言えば、すごく面白かった。

芥川賞を受賞した本作(受賞したのは短編「飼育」)は語彙の難易度が高く、いつもの自分なら開始数十頁で音を上げるタイプの小説だった。
が、どういう訳かこの小説は途中で投げ出そうという気持ちにはならなかった。

この作品の魅力を自分が語るには、それこそ語彙力が届かない。
とりあえず言えることは、表現力が卓越してるだけでなく、ストーリーもちゃんと面白いという事だ。
そして何より人間の描き方が抜群だと思う。

いわゆる都合のいい人間は1人も出てこない。
読者の淡い期待をことごとく裏切り、この上なく不快にさせたところで話を切り上げてしまう、この潔さ。
イヤミスとはまた一味違う絶望感にはまっていった。

この作品は短編集なのだが、その中に「人間の羊」という作品がある。

舞台は戦後間もない頃の日本。
主人公がアルバイトの帰りにバスに乗ると、中には酔った外国兵たちと酔った女が1人いた。
外国兵は主人公に目をつけると、皆の前で屈辱的で滑稽な格好をとらせる。
周りの乗客は何も言わない。
外国兵は他の乗客を少しずつ巻き込んで、皆に同じ格好をさせる。
巻き込まれている乗客も周りで見ている乗客も、誰も声を上げない。
そして外国兵たちが降りてから、ようやく声を上げる人物が現れる。
ここから当事者と傍観者の温度差が色濃く描かれていく。

この短編集は全編において戦後が舞台であるらしい。
これを読むまで僕は、日本人というのは近年になってから読まなくていい空気を読んだり、他人への親切を出し惜しみするようになっていったのだと思っていた。
それは現代社会によって生まれた弊害なのだと。

でもどうやら日本人が臆病なのは今に始まった事では無いらしいと、この作品を読んで思った。
もしかしたらそうなった原因は戦争にあったのかもしれない、とも。

僕は暴行のニュースが流れた時、周りで何もせず見ていた人たちを糾弾する気持ちには正直なれなかった。
自分だってその場にいたら、怖くて何もできなかったかもしれない。

どこかのチャンネルでやってたけど、車内で危険人物がいる場合、凶器を持ってる可能性もあるので直接咎めるのはNGなのだそうだ。
隣の車両に移って、「SOSボタン」で状況報告するのが得策らしい。

それにしても日本も安全な場所では無くなってきたとつくづく思う。
コロナの影響もあるのだろうけど、暴力事件しかり立てこもり事件しかり、何だか物騒な事件が続いている。
やはり日本人は臆病になったのではなくて、警戒心が強くなったという言い方が正しいだろう。

そんな殺伐とした空気が戦後の日本にもあったという事実が、この本から受け取れた。
多分どんな時代に生まれたとしても、命が脅かされる危険から逃れることはできないだろう。

本作を読んで「生きづらさ」の原因は現代社会の中だけにあるのではないとわかった時、自分の中にも勇敢な気持ちがわずかに芽生えた気がした。

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