「ウン吉とあ太郎」──小山田「いじめ」問題から私が学んだこと
前回の日記の最後に、
この問題はかなり複雑で、簡単にこうだ、と断定的なことはいえない。まずは「一次資料」にあたって、自分の生い立ちや今に照らし合わせて、感じたこと、考えたことをゆっくり反芻する時間が必要だと思うのだ。
……と書いた。2日近く経過して、私自身、いろいろ考えたり、過去のことをチェックしたりしたので、忘れないうちに書き留めておきたい。(なにしろ惚けが急速に進んでいて、数日前のことさえ忘れている。恐怖だ)
元記事や関係者の証言から真相を探る
まずは、小山田圭吾氏がツイッター上にのせた「謝罪文」全文を読んでみる。
ここに全文引用することはしないが、ネット上で検索すれば簡単に読めるはずだ。
特に注目したいのは、
記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
という部分だ。
●発売前の原稿確認ができなかった
●事実と異なる内容も多く記載されている
この2点は、謝罪文の中で彼が唯一「言い訳」的なことを述べている部分だが、どちらも本当だろう。
すでに多くの人たちが指摘していることだが、
●小山田はリップサービス的に「いじめ」の内容を「盛って」話したのではないか
●そうすることで自分の記憶の中に巣くう居心地悪さを緩和しようとしたのではないか
●編集者・ライターは、それに乗じて、さらに過激な記事に仕立てたのではないか
……ということが想像できる。
もちろん、想像でしかないが、その可能性は高いだろう。特に「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビュー記事はそうだと思う。
インタビューの当該箇所は、ページの見出しが「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして……ごめんなさい」となっているが、この見出しの付け方からして編集部の作為を感じないわけにはいかない↓。
小山田氏が謝罪文の中で書いている「事実と異なる内容も多く記載されて」というのがまさにこのあたりだろう。
だからこそ、当時の記事執筆編集者・編集長である山崎洋一郎氏は、今回の事件(事象?)を引き起こしたことに責任を感じ、謝罪している。
その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。
……とあるが、この「そこでのインタビュアーとしての姿勢」という言葉に注目したい。
人気のあるミュージシャンから刺激的な言葉を引き出せば記事が注目され、売れるだろうという計算があったはずだ。インタビューの中でも刺激的な言質を引き出そうとする質問者の姿勢が見える。
また、すでに何人かが指摘しているように、「ウンコ食わせて」は完全に「盛った」話であり、事実とは異なる可能性が高い。
全裸にしてオナニーさせて云々は、クイックジャパンの記事を読めば、小山田氏本人ではなく、修学旅行のときに「限度知らないタイプ」の先輩がやったことで、居合わせた小山田少年は「おお、怖え~」と思いながら見ていたということが分かる。
以下、引用部分はすべてクイックジャパンの当該記事からのものだ。
この記事の文章はあまりにも不完全で真意が読み取れない部分が多い。テープに録音された会話を加工せずにそのまま文字起こししているからだろう。つまり、取材(というか、実際には、ライターが小山田氏に企画を説明にいったときに交わした雑談)時の会話そのものだと思われる。
なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。
だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。
そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。
おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。
『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。
『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に…』なんか言ってると、パーン! とかひっぱたいたりとかして。
『おお、怖え~』とか思ったりして(笑)。
(『Quick Japan』95年3号 「村上清のいじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」の原文より。以下、引用部分すべて同)
ロッキングオンのインタビューのときでも、おそらくこんなノリで話していたのだろう。
小山田氏本人も「あの頃はほんとヤバかったなあ」という思いがあって、大人になってから、敢えて口にしているのだと思う。
それをロッキングオン編集部が主語(実行者)を曖昧にしたまま、あのような形で記事にしたために、小山田少年本人が首謀者のように伝わってしまったのだと思われる。
この罪は大きい。
不思議な点がいろいろ
……と、ここまで読んで、「おまえは今まで名前も知らなかった人間をなぜそこまで庇うのか」といきりたつ人もいるかもしれない。
別に小山田氏本人を庇っているのではない。純粋に「変だな」「不思議だな」「実際はどうなんだろう」という疑問が次から次へとわいてきて、真相に近づこうとしていくうちに、さらに新たな疑問やら問題にぶちあたってしまうのだ。
まず思ったのは、小山田氏の記憶はどこまで正確なのかということだ。
クイックジャパンの記事を読むと、小山田少年といちばん関わりがあった「沢田(仮名)」くんは、小学校2年生のときに転向してきて、高校卒業まで一緒だったという。
「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」
……つまり、小山田少年が沢田少年を「肉体的にいじめていた」のは小学生のときだったということになる。
数日前のことさえ忘れてしまう今の私は、小学生のときの記憶はわずかだし、そのわずかな記憶のエピソードも、大人になってから語ったとき、どこまで正確かは自信がない。
小山田氏の記憶も、細部ではかなり実際とはズレていたかもしれない。
自責の念から、実際よりも偽悪的に変化していたという可能性もあるだろう。
次に疑問に思ったのは、当時、なぜこの記事が社会問題として取り上げられなかったのか、ということだ。
問題とされているロッキングオンは1994年1月号、クイックジャパンは1995年3号。この間、1年以上も時間があいている。
ライター志望の村上清氏は、ロッキングオンの記事を読んで「いじめ紀行」という「いじめた側といじめられた側の対談集」という連載企画を立て、その第1回目に小山田氏を登場させようとしたわけだが、ロッキングオンのあのひどい記事が1年以上社会的に問題となっていなかったからこそ、芸能スキャンダルにすらならず、そんな能天気な企画を持ち込もうというライターも現れたわけだ。
1994年の日本では、ロッキングオンの「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして……ごめんなさい」というとんでもないインタビュー記事を許容していたということに他ならない。
そこまで時代の空気がおかしなものだったのか、と、改めて驚いてしまう。
もしかすると、あの頃のロッキングオンやクイックジャパンの読者は、いちいち説明をしなくても小山田氏の発言の裏にある「うまくいえないもの」を読み取っていたのだろうか?
いや、よく考えてみると、27年前の雑誌記事の中身やコントの中の1台詞を取り上げて、全国民が見ている前で個人を公開処刑をする今の社会のほうがはるかにおかしく、怖ろしい空気に満たされているのではないか。怒りや攻撃の矛先がおかしい。
小山田問題にしても小林賢太郎にしても、こんな騒ぎになったのは東京五輪が強行されるという流れの中でのことで、東京五輪強行問題への抗議がいびつな形で暴走したともいえる。
原発爆発後、「福島のような危険な場所に子供を残しておく親は頭がおかしい」などと騒ぎ立てた人たちの暴走に似たものを感じてしまう。
「沢田」少年と小山田少年の関係性
そもそも、小山田少年は、
1.いつ
2.誰を
3.どのような形で
「いじめて」いたのだろうか?
元記事をていねいに読み解いてみたい。
クイックジャパンでは、小山田少年は沢田少年とはクラスが別だったが、沢田少年の「デビュー」があまりにも衝撃的だったので、クラスを超えて有名人になっていたと語っている。
「沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。
それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。
だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。
で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。
なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか? で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、何か一個(笑)。
そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。
で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」
……これは確かに衝撃的だ。違うクラスでも、あっという間に有名人になるのは間違いない。
で、「衝撃デビューの沢田くん」の紹介はさらに続く。
「……で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。
おまけにこいつは、体がでかいんですよ。それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけてきたりとかするんですよ。
で、みんな『怖いな』って。
ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、牛乳瓶とかで殴られたりとかめちゃめちゃ痛いじゃないですか、で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。
それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」
ここまでは別に、よくある「トンデモな思い出」の類であり、お笑い芸人などがよくネタにしているレベルのことだ。
小山田少年が小学校から通っていた和光学園という学校は、制服なし、自由を尊重し、障害を持った子供も普通の学級に入れて「共生」を生で学ばせるという方針の学校だそうだ。
自分とまったく違う人、想像を超えてる人が目の前にいることで「すげ~な。なんだおまえ」とか「バカじゃね~の」とか、子供が言い合うのはあたりまえのことだ。
それをからかうというレベルを超えて、肉体的にいじめたりするのはまったく別の話だが、子供はその区別がつかないことがある。
だから、共生や自由を基本にして、障害を持った子も一緒の環境で……という教育を目指すなら、大人がものすごく細かく目配りして、自分がどう接するか、教えるか、子供に接している自分はどうなのか……と、一緒になって考えないと、なかなか難しいことになる。下手すると事故死や自殺者が出たり、一生心に傷を負ったまま立ち直れない子も出てくる。
そんなことを考えさせられたのが、次のくだり。
小山田少年と沢田くんは別のクラスだったので、沢田くんの奇行ぶり、「ヤバさ」は知っていたが、二人が直接接することはなかったようだ。
それが、5年生になって「太鼓クラブ」というクラブで一緒になったことで接点ができる。
「……するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。
本格的な付き合いはそれからなんですけど、太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。
野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、『五人で勝手にやってくれ』っていう感じになっちゃって。
それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。
五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。
そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」
大人(教師)が見ていない密室に小学生が5人。その中に、言葉も上手く喋れない障害を持つ子が1人混じっている。
こうして、いつ事故が起きてもおかしくない、危ない状況ができあがってしまったわけだ。
「段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。
そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバいね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……? 何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ〜ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。
本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」
小山田氏が「肉体的にいじめてたのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど」と語っていたのは、まさにこれのことだろう。
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」……という語り口からして、その場にいた他の数人の小学生も含めて、「加害者」側になった少年たちに、それほど悪意のあるいじめ意識はなかったのだと想像できる。
この手のことは、年齢が低いほど残酷なことになりやすい。
しかし、大人になって思い返せば、あれは明らかにまずかったな、残酷なことをしていたなと理解できる。だから小山田氏も謝罪文の中で、「学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ」ていたから、ロッキングオンなどの記事に対して「誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。」と述べている。
この「小学校のときのエピソード」は、「いじめ問題」というよりも、「教育現場における大人の監督不行き届き問題」として考えるべきだ。
一つ間違えば取り返しのつかない事故が起きているエピソードであり、笑って済まされる問題ではない。
しかし、その責任を「太鼓クラブ」の子供たちだけに押しつけるのは間違いだ。
もう一つ、中学の修学旅行で起きた、別の生徒への暴行事件は、実行者は小山田少年の1学年上の先輩(留年して下りてきた)であって、小山田少年はその現場にいて「おお、怖え~」と、引きながら見ていた、ということだ。
これも、修学旅行に引率した教師は何をやっていたんだ、ということになる。
エスカレートしたのが「ヤバい先輩」であれば、小山田少年が身体を張って止めに入らなかったことを一方的に責めることはできないだろう。
残念すぎるライターの力量不足と心得違い
小山田少年と「衝撃デビューの沢田くん」は、なんだかんだで高校卒業までクラスメイトとして交流している。席が隣り同士だったこともあったそうだが、二人とも他に友達が少なかったから、とも述べられている。
高校まで行くと、「どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから」という言葉に対して、随所で、なるほどなと思わせるエピソードも出てくる。
そしてクイックジャパンの記事、最後の部分。
「卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に(笑)。
そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから、
『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか
『ボランティアをやりたい』とか言ってて(笑)。
『おまえ、ボランティアされる側だろ』とか言って(笑)。
でも『なりたい』とか言って。『へー』とかって言ってたんだけど。
高校生の時に、いい話なんですけど。
でも、やってないんですねえ」
これは、沢田くんの家(高級住宅街の立派な邸宅だったそう)に突撃取材しに行ったライター志望の青年・村上清氏から、「沢田くん」が高校卒業後に病気が悪化して、今ではほとんど家族とも話をせず、引きこもってしまっていると聞いた小山田氏の反応だ。
「でも、やってないんですねえ」は、「ボランティアにはなれなかったんだ……」という、ため息のような言葉なのだが、村上氏の文章表現がまずすぎて、おそらく読者には全然伝わっていない。
そもそも、原稿のあちこちに散りばめられている「(笑)」の記述が邪魔で、誤解や曲解を生んでしまっている。これは誰の笑いなのかも分からない。おそらく、録音に入っていた音声をそっくりそのまま文字起こしした際に、笑い声が漏れている部分全部にこれを入れているのだろう。村上氏が一人で笑っているのかもしれない。
とにかく、いくら商業出版物への執筆デビュー作だとはいえ、ライター志望の人間としては下手すぎるし、結果としてあまりにも罪作りだ。
このときの村上氏が稚拙で能天気な執筆・編集をしたことは、随所に見て取れる。
最後に、小山田さんが対談するなら一番会いたいと言っていた、沢田さんのことを伝えた。
沢田さんは、学校当時よりさらに人としゃべらなくなっている。
「重いわ。ショック」
―――だから、小山田さんと対談してもらって、当時の会話がもし戻ったら、すっごい美しい対談っていうか……。
「いや~(笑)。でも俺ちょっと怖いな、そういうの聞くと。でも…そんなんなっちゃったんだ……」
なんだこの能天気な記述は。
ここ、いちばん重要なところだろうが! と、私が編集長なら、この原稿は丸ごと突っ返しているし、当然、採用もしない。
「結局、その深いとこまでは聞けなかった」の意味
このクイックジャパンの記事を何度も読み返してみて、私がいちばん重要だと思ったのは、最後に出てくる小山田氏のこんな言葉だ。
「沢田とはちゃんと話したいな、もう一回。でも結局一緒のような気もするんだけどね。
『結局のところどうよ?』ってとこまでは聞いてないから。聞いても答えは出ないだろうし。『実はさ……』なんて言われても困っちゃうしさ(笑)。
でも、いっつも僕はその答えを期待してたの。『実はさあ……』って言ってくれるのを期待してたんですよね、沢田に関してはね、特に」
これだけでは何を言っているんだか分からない、謎めいた言葉だ。
多分、小山田氏自身、よく分からないまま、考えをまとめられないまま話していたのだろう。
しかし、この言葉が出てくるまでのやりとりを何度も読み返してみると、なんとなく言いたいことが見えてくる。
―――沢田さんに何か言うとしたら……
「でも、しゃべるほうじゃなかったんですよ。聞いた事には答えるけど」
―――他の生徒より聞いてた方なんですよね? 小山田さんは。
「ファンだったから。ファンっていうか、アレなんだけど。どっちかっていうとね、やっぱ気になるっていうかさ。
なんかやっぱ、小学校中学校の頃は『コイツはおかしい』っていう認識しかなくて。で、だから色々試したりしてたけどね。
高校くらいになると『なんでコイツはこうなんだ?』って考える方に変わっちゃったからさ。
だから、ストレートな聞き方とかそんなしなかったけどさ、『オマエ、バカの世界って、どんな感じなの?』みたいなことが気になったから。なんかそういうことを色々と知りたかった感じで。
で、いろいろ聞いたんだけど、なんかちゃんとした答えが返ってこないんですよね」
―――どんな答えを?
「『病気なんだ』とかね」
―――言ってたんだ。
「ウン。……とか、あといろんな噂があって。『なんでアイツがバカか?』っていう事に関して。子供の時に、なんか日の当たらない部屋にずっといた、とか。あとなんか『お母さんの薬がなんか』とか。 そんなんじゃないと思うけど(笑)」
―――今会ったとすれば?
「だから結局、その深いとこまでは聞けなかったし。聞けなかったっていうのは、なんか悪くて聞けなかったっていうよりも、僕がそこまで聞くまでの興味がなかったのかもしれないし。そこまでの好奇心がなかったのかも。かなりの好奇心は持ってたんだけど。今とかだったら絶対そこまで突っ込むと思うんだけど。その頃の感じだと、学校での生活の一要素っていう感じだったから。
でも他のクラスの全然しゃべんないような奴なんかよりも、個人的に興味があったっていうか」
↑私は、この部分を最初に読んだときは、何を言っているんだろうという感じで、引っかかりながらも、深く考えないまま読み進めていた。
しかしこの後の、
『結局のところどうよ?』ってとこまでは聞いてないから。聞いても答えは出ないだろうし。『実はさ……』なんて言われても困っちゃうしさ(笑)。
でも、いっつも僕はその答えを期待してたの。『実はさあ……』って言ってくれるのを期待してたんですよね、沢田に関してはね、特に」
……という部分と合わせて、何度も読み返してみて、ようやく少し見えてきた気がした。
多分、ライターの村上氏も、小山田氏がここで言いたかったことをなんとなく分かっていた。それまでのやりとりや、その場の雰囲気、言葉や声のニュアンスから、小山田氏の不完全な言葉選びを頭の中で修整しながら理解できていたと思う。
しかし、それを読者に伝える力がないので、テープ起こしをそのまま原稿にしてしまった。結果、余計な「(笑)」が誤解・曲解を生んだり、小山田氏の言いたいことがまったく伝わってこない原稿になってしまっている。
小説「ウン吉とあ太郎」
例えば私が、この会話を通して得た情報をネタにして小説を書いたとする。
障害を持った「ウン吉」という子供と、彼と小中高10年以上一緒に過ごした少年「あ太郎」が主人公。
ウン吉は、小学校2年のときに転校してきて、いきなり「ウンコ事件」を起こしたことで学校中で有名になり「ウン吉」というあだ名がついた。
あ太郎は、頭がよく、才能豊かな少年だが、若干、発達障害気味のところもあり、話し始めるときに必ず「あ~、それは……」などと、「あ~」から話し始める癖があったので「あ太郎」とあだ名がついた。
あ太郎少年は「ウン吉」のとんでもなさに引き寄せられ、最初は「美術クラブ」で一緒になったウン吉を、他の部員と一緒になって段ボールに入れてからかうようなことを先導してやっていたが、ウン吉のほうは、自分をかまってくれるあ太郎を友達だと思っていて、毎年、律儀に年賀状を送っていた。
高校を卒業するとき、あ太郎はウン吉に別れの挨拶をしに行く。
「おまえ、これからどうするの?」と訊くと、ウン吉は「将来はボランティアになりたい」と答える。「逆だろ、おまえ」と笑うあ太郎……そんな間柄だった。
あ太郎少年は、高校卒業後、バンクシーのような「街中アート」で有名になり、時代の寵児として注目される。
あ太郎が20代半ばになったとき、ふとしたことで、ウン吉が自分が知っていた当時より病気が悪化して、家族ともほとんど口をきかずに家に閉じこもったままになってしまったことを知る。
ショックを受けたあ太郎青年は、その情報を持ってきた雑誌編集者に、ウン吉との思い出話をポツリポツリと語る。
その最後の部分での独白的台詞として、私なら、こんな風に書くかもしれない。
あ~、俺はウン吉のこと、小学生くらいのときは「とんでもないやつがやってきた」「こいつヤバい」っていう興味しかなくて、あまりにヤバいから、「すげ~な、こいつ」っていうことで、ファンになったわけよ。
それで、ファンに「サインしてください」って近づくような感じで、いろいろちょっかい出したりしてさ。相当まずいこともしちゃったんだな。
でも、中学、高校とつき合っていき、俺の中で、ウン吉との関係性について、少しずつ認識が変わっていったんだ。
あ~、つまり、なんていうか……俺とウン吉は、結局は『違う世界』に生きているんだよね。一種のパラレルワールドみたいな。
俺が生きているのが、多くの人間が思っている現実世界だとすれば、ウン吉が生きているのは「バカの世界」とでもいうか……。
俺以外の生徒は、その頃にはもう誰もウン吉のことなんか気にしなくなっていた。でも、俺はずっとあいつと一緒で、ファン……というか、気になっていたからさ。この「俺とウン吉の違い」って、どこからくるんだろう。何が根本的な原因なんだろう、みたいなことを、ずっと考えてたような気がするんだ。
それを知りたくて、ウン吉にはいろいろ訊いたような気がする。でも、はっきりした答えは返ってこなかったな。
あるとき「病気なんだ」って、ポツンと言ったこともあったかな。でも、そんな答えはあたりまえすぎたし、俺が知りたかったこととは違うんだよね。ちょっと違う……あ~、いや、全然違う、って思った。
周りでは、いろんなこと勝手に言うやつもいたよ。「ウン吉は子供のとき、日の当たらない部屋にずっといて、あんな病気になったんだ」とか、「ウン吉のお母さんが妊娠中に飲んでいた薬に副作用があって……」とか、そんな感じのこと。
ああ~、そんなのもみんな、適当な想像で、違うと思うけどね。
結局、答えが見つからないまま卒業になって、それ以来、ウン吉とは会ってないわけよ。
今、ウン吉と会えたなら、もっと納得できる答えを聞き出そうとするかもしれない……いや、逆かな。俺も少しは大人としての振るまいが身についているから、そこまで深堀りしてはいけないって制御するか、あの頃みたいに純粋な探究心みたいなものがなくなってて、簡単に無視するかもしれない。 卒業式のとき、俺、ウン吉とは一応、最後の挨拶みたいなの交わしたのよ。
で、「おまえ、これからどうすんの?」って訊いたら、「将来はボランティアをしたい」とか言うわけ。笑っちゃったよね。「おまえ、どっちかっていうと、ボランティアされる側だろ」とか言ってさ、そんな感じで別れたんだよな。 ああ……でも、そうなんだ……ウン吉、あれからもっとひどくなって、そんな感じになっちゃってるのか……重いね……。
インタビュー記事なら、ここまで「改作」はできない。でも、小説なら、せめてこんな風にまとめるはずだ。
小山田圭吾という人間は、ものすごく言葉選びが下手なのだろう。ある意味、発達障害的なところを感じる。
だから、彼が話したことを、しっかり読者に伝えようと思うなら、このくらいまで「翻訳」してやらないと伝わらない。
難しい仕事になるが、そこまでして記事を作る価値はある。
ここで浮かび上がるテーマは、「多様性」とか「共生」という言葉で昨今しきりに語られること、そのものなのだ。
多様性を認めて、同じ社会で共に生きるということが、実はとても複雑で、難しいものなのだということを読者に考えさせる記事になりえる。
「結局、その深いとこまでは聞けなかった」と語った小山田氏の「その深いところ」こそが、多様性と共生というテーマを扱う上で、いちばん重要で、かつ、理解が困難な部分なのだ。
それを浮き彫りにできたような記事になっていたら……。
ライターとしての村上氏の力量不足や能天気な勘違いぶりが残念でならない。
そして、この記事を恣意的に「再編集」して、小山田氏個人をとんでもないサイコパスのように仕立てたブログ主の存在もまた、我々は忘れてはいけない。
沢田少年と小山田少年の不思議で微妙な「友情」の証として記事の最後のページにど~んと単独で掲載されている年賀状までも「障害者を侮蔑して笑いものにする異常者」を仕立て上げる道具として利用するブログ主──このブログ主にそうさせたものはなんだったのか?
このブログ主は、もしかすると自分ではみじんも疑いのない正義感、使命感からこんなことをしたのかもしれない。しかし、その結果、沢田少年らが受けたいじめ行為以上の残酷な「検証も裁判もない集団リンチ」を引き起こした。
大新聞社やテレビメディアまでもが、簡単にその集団リンチの仕掛けにのせられてしまった。
こうした病巣が深く広く巣くってしまっているネット社会。その「邪気」にマスメディアや国家権力までもが動かされるという恐怖。
幕末から明治にかけて起きた、庄屋打ち壊しや廃仏毀釈にも似た集団ヒステリーが急速に広まっていることを感じる。
小山田事件、小林事件が我々に教えてくれるものは、驚くほど根深く、怖ろしい問題だ。
これらを生きた教科書として、東京五輪後に社会の空気やシステムの欠陥を修整していくことはできるのか?
「ああ、なんだかんだいろいろあったけど終わったね、東京五輪」と済ませてしまうようでは、いよいよこの国は危険領域を超えて、奈落の底に突き進むだろう。
……と、ここで私が長々と書いたところで、まったく無力である。
だから、せめてこんな夢想をしてみる。
小林賢太郎:脚本・演出、小山田圭吾:音楽 で、短編映画『ウン吉とあ太郎』みたいな作品を作って世に出せないだろうか、と。
映像はアートに徹して限りなく美しく。台詞や演技も思いっきりスマートに(小林賢太郎ならできるはず)。
決して、暗さがカッコいいみたいな日本映画特有の隘路にはまらず、かといって、嫌らしいスノッブさを感じさせず……。
そんな「作品」を、私は見てみたい。
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