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タヌキの親子見聞録 ~東北旅編④~ 岩手(花巻)


第1章 宮沢賢治のふるさとへ

 花巻駅には午後0時20分頃到着した。電車に乗っていると、途中から高校生ぐらいの学生が、何の競技かわからないが大勢乗車してきた。花巻と言えば、大谷翔平がいた花巻東高校が有名だが、目の前の席に座っている男の子は、花巻東と書いてある紫色のユニフォームをきている。しかし、髪型等から見ると、どうも野球部ではないようであった。父ダヌキは「サッカー部じゃろ」と言い、母ダヌキは「ラケットケースをリュックの外に持ってなかったから、卓球部」と後に自分たちの推理したスポーツを言い合った。駅に着くと、改札を出て左手に待合室があり、その入口上に味のある字で「花巻駅 マチアイ」という木製看板があり、中は椅子とテーブルの置いてある簡単な待合室になっていた。以前はお蕎麦屋さんがあったらしい。少しだけ待合室を覗くと、駅舎から出て、本日のメインイベント「やぶ屋の『わんこそば』に挑戦」するため、やぶ屋本店へ歩いて向かう。

花巻駅構内にある待合所
花巻駅外観

さっきまで電車に乗っていて一緒に花巻駅で降りた学生さんは、駅を見ている間にどこかに消えてしまった。町の通りを歩くのに、人っ子一人いない。太陽がギンギンと暑く照らしているお昼時に、好き好んで外に出ている人はいない。学生たちも、各自の部活動の試合か何かの会場にすぐに移動したのだろう。通りをキョロキョロしながら歩いているのは、タヌキ一家以外見当たらない。よく見ると、通りに設置してあるベンチは、「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」をモチーフにした背もたれになっている。「かわいい」と言いつつ写真を撮る母ダヌキ。

駅前の金融機関の壁にも星座がある
「銀河鉄道の夜」をモチーフにしたベンチ
「注文の多い料理店」をモチーフにしたベンチ

もう少し行くと、「名物お茶もち 経木まんじゅう 照井のだんご」という看板が目に入った。どうやらもうやっていないらしいが、その傍らに「賢治さんゆかりの地」ということで、ここが「銀河鉄道の夜」に登場し、賢治が大正13年(1924)に出版した「心象スケッチ『春と修羅』」の印刷所の跡でもあるそうだ。せっかく花巻まで来たので、照井さんのだんごを食べられず残念と思いながら先へ進む。

照井のだんご
照井のだんご 側に立つ「春と修羅」の印刷所跡看板

「まだなん」と子ダヌキたちが暑さと空腹で苛立ち始めた。「そこ左に曲がって」と父ダヌキの言うとおりに曲がって少し歩くと、信号の向こう側に「やぶ屋総本店」の看板が見えた。やぶ屋は宮沢賢治も通ったお店で、よくてんぷら蕎麦とサイダーを注文していたそうだ。炎天下の中店の前に着いたが、予約した時間より少し早くついてしまい、店の入り口前の暑いところで待たなくてはならない。タヌキ一家よりも前に来ていた家族も、店の入口で入れてもらえるのはいつかと待っている状態であった。前の家族が店の中に入れてもらい、次がタヌキ一家の番なのだけれど、待つ間も暑くて飲み物を飲まずにはいられなかった。

やぶ屋総本店

ようやく前の家族が席に呼ばれ、タヌキ一家が店の中に入れてもらえると、お店の人が注文を取るためにメニューを持ってきてくれた。母ダヌキと兄ダヌキはそばが大好物で、家でも盛そば3人前が通常サイズであったので、いつも「わんこそばなら100杯は軽くいける」と豪語していた。今日はその真偽を測るための日となる。父ダヌキと弟ダヌキは蕎麦がそんなに好きではないので、最初から「宮沢賢治も食べた天ざる蕎麦と白金豚のかつ丼にする」と決めていた。時刻は午後1時になろうとしていた。お腹はすいている。もうあの蕎麦つゆの甘さとのど越しを欲して、お腹も喉も鳴っている。「早く食べたい」と思って、待合の入口ベンチで待っていると案内の人がやって来た。

第2章 わんこそばの正体

 やぶ屋の奥に通されたタヌキ一家は、早く蕎麦が出てこないか待っていた。母ダヌキは、先に出てきていたわんこそばの付け合わせのイカの塩辛を、あまりに空腹なため食べてしまった。どうも、わんこそばには準備時間がかかるらしく、父ダヌキの天ざる蕎麦と弟ダヌキの白金豚の特製かつ丼が先に出てきた。なかなかわんこ蕎麦が出てこないので、父ダヌキのところに来た蕎麦つゆの味見をさせてもらった。「甘くてうまい!これならいける‼」と母ダヌキは自信を持った。早くこののど越しのよさそうな冷たい蕎麦と甘いつゆを食べたいと思い、母ダヌキが「まだかな~」と待っていると、ようやくワゴンに沢山積まれた蕎麦のお椀と共に、お店の人が登場した。「では、試しにやってみますよ」と言われて、10杯くらい続けてわんこそばを食べた。「ん?」と口の中で蕎麦をもぐもぐしながら母ダヌキは思った。兄ダヌキも、口の中でもぐもぐと蕎麦をかんでいる。わんこそばの蕎麦は、母ダヌキが想像していたのとは違っていた。母ダヌキは、通常のざる蕎麦を小分けにしたものを、次から次に食べていくのだと思っていた。実際食べてみると、蕎麦は温く、お椀に入って沢山あるので、のど越しもなく柔らかめで、口に入れるともぐもぐと嚙まなければならない。「これは計算違いだった」と初めに感じたが、もう戦いは始まっている。やらなければならない。(※ 個人の感想です。味覚には個人差があります。)
「味に飽きたら、その付け合わせの山菜や、とろろや、キュウリの漬物とかと一緒に召し上がってください」とお店の人が教えてくれた。「つゆって通常のものと違って、甘くないし冷たくなくて温いんですね」と母ダヌキが言うと、「通常のつゆを使うと味が濃過ぎて沢山は食べられません」と言われ、「冷たいとお腹も壊すでしょ、だから薄口で温いつゆなんです」と教えてくれた。ありがたい心遣いだが、あの蕎麦ののど越しと、つゆの甘いのが好きな母ダヌキと兄ダヌキは、いつもの蕎麦と違うため飲むように食べられず、母ダヌキなんかは、20杯を過ぎたあたりからすでに味変しないと続けられなくなっていた。とにかく、温い蕎麦は柔らかく、咀嚼しないと呑み込めないので、思ったより早く満腹感がやって来る。「100杯は軽い、150杯くらいいけるかな」と父ダヌキに威張って言っていたのに、100杯も無理そうだ。また、蕎麦が温いので、体が温まって汗が体から噴き出てきた。味のあまりしない、温くて柔らかい蕎麦を食べていると、目の前で天ざる蕎麦と特製かつ丼をおいしそうに食べている父ダヌキと弟ダヌキが恨めしくなってきた。(※ 個人の感想です。味覚には個人差があります。)
横の兄ダヌキを見ると、付け合わせの物が大体苦手なものばかりで、味変もできずに頑張って蕎麦のみをもぐもぐして食べている。「できるところまででいいよ」と兄ダヌキに声をかけると、すでに無理をしていたようで「もう無理」とお椀に蓋をした。母ダヌキは、父ダヌキに大口をたたいていたので、簡単にはやめられなかった。何とかキュウリの漬物やとろろなんかで味変をして食べ続けたが、「これ以上食べると、蕎麦が嫌いになりそう・・・」と思いながら食べていた。「あと何杯で100杯いくだろう?」と母ダヌキがお店の人に聞くと、「あと20杯以上は食べないと無理ですかね」と言われて戦意喪失した。このまま意地で100杯食べてお腹を壊しこの店に居座るか、次のスケジュールを無事こなせるようにここで止めるか、母ダヌキの中で少し葛藤したが、目的は予定した旅の全行程を無事成し遂げることだったので、「もう止める」とお椀に蓋をした。目の前で動画撮影している父ダヌキは「はぁ~??もうやめるだぁ~??」と言って、「100杯いけるって話はどうした~??」とカメラの向こうから鬼の首を取ったような表情を浮かべて言ってきた。「だって、蕎麦が温いし、つゆが薄いし、とにかくスケジュール通り動けなくなるとやれんやろ!」と苦しい腹を抱えて母ダヌキは弁解した。100杯いかなくても胃から上がってきそうなのだ。これ以上食べると本当にヤバい。母ダヌキは73杯(関脇認定)、兄ダヌキは54杯の「わんこそば大食い証明書」をもらって、夢破れてやぶ屋を去った。
やぶ屋では、わんこそば60杯以上で『小結』、70杯以上で『関脇』に認定される。100杯以上食べると『横綱』に認定され、さらに、横綱記念手形が貰える。この手形をGETして旅の土産にすることがタヌキ一家の目標であった。「今度は白金豚のかつ丼と天ざる蕎麦食べよう」と、兄ダヌキと母ダヌキは新しい目標をたてた。

母ダヌキは73杯(関脇認定) 兄ダヌキは54杯

やぶ屋では、わんこそば10杯でかけそば一人前となっているとのこと。
東屋では、わんこそば15杯でかけそば一人前ということらしいので、この計算でいけば、母ダヌキは東屋ではわんこそば100杯いけるかも。


第3章 初めての岩手弁

 やぶ屋でタクシーを呼んでもらい宮沢賢治童話村へ向かった。最初は、バスが無ければ歩いてでもと思ったが、5.6㎞とまぁまぁな距離なためタクシーで行くことにした。運転手さんに行き先を伝えると「昔行ったけど、目がちかちかするよ」と言って、「子どもは喜ぶかな」と柔らかい感じの岩手弁で話してくれた。初めてがっつり地元の人と話すので、なんだかイントネーションが新鮮であった。「童話村のほうは山があるから、クマに気をつけないと」と運転手さんが教えてくれた。「この前、午後4時くらいにお客さんを乗せて童話村の近くを通ったら、山から出て来て目の前を横切って歩いていったよ」と、童話村近くの道の側を指さした。「出羽三山で買った鈴付けたほうがいいかなぁ」なんて冗談交じりで返しているうちに、目的地に到着した。
 午後2時過ぎに「銀河ステーション」と書かれた門の前に降ろしてもらい、童話村の中に入って行った。右手には「妖精の小径」とあり、木立の中に何かキラキラしたものが飾ってあった。中央の広場にも、虹色に光るオブジェが置いてあった。天気がいいので、太陽の光で輝いてきれいだったが、午後2時過ぎの太陽は殺人的で、早く「賢治の学校」に入ってこの暑さから避難しないと命の危険を感じた。大きなリュックを背負って、4人のタヌキたちは「賢治の学校」へ向かった。

宮沢賢治童話村 入口
入ってすぐの広場
「賢治の学校」へ向かう

建物の外に貼ってある「童話村全体マップ」の注意書きを見ると、「賢治の学校」以外は無料で見られるようだった。タヌキ一家は宮沢賢治の童話村と記念館にいくつもりだったので、お得な2館共通入館券(大人550円、小・中学生200円)を購入し、「賢治の学校」へ入った。入ってすぐに映画「銀河鉄道の父」のポスターがあり、スタジオジブリの鈴木年敏夫氏のサインを見つけた。母ダヌキはまだこの映画を見ていないので、見なければと写真をパチリと撮った。

映画「銀河鉄道の父」のポスターにサインあり

中に入って行くと、真っ白な広い部屋に木の絵があり椅子が4つ並んでいる部屋や、宇宙をイメージする部屋、空をイメージする部屋などがあり、子ダヌキたちは大きな花や虫のぬいぐるみのようなものが置いてある部屋が気に入ったらしく、自分が小動物になった気分で置物の中に紛れて遊んでいた。他にも、「セロ弾きゴーシュ」や「注文の多い料理店」のミニジオラマが展示されていて、子ダヌキたちは熱心に見入っていた。

そこから出て外を見渡すと、ログハウスが並んでいるのが見えた。パンフレットを見ると「賢治の教室」と書いてある。暑い中、広場を横切って「石の教室」から順に「鳥の教室」や「星の教室」を巡る。教室から教室に渡る階段のところに「熊出没 注意」とぶら下がっていた。「本当に出るんだ、しかも童話村内に・・・」と少し驚いた。ここで出てきたら「賢治の教室」のログハウスに逃げるしかないけれど、三匹の子豚の家のようにすぐに壊されてしまいそうな感じのログハウスなので、「本当に出てきたらどうしよう」と考えながら教室を見て回った。

「熊出没 注意」

 教室を全部見て、外の休憩所に自動販売機があったので、飲み物を買おうと見て見ると「飲むふるる冷麺」という怪しい飲み物が売ってあった。商品の上には「クセになる酸味と辛味」とあったが、「これを買って飲む人がいるの?」とタヌキたちは不思議に思った。お土産に買って帰ろうかと母ダヌキは思ったが、自分自身も飲むのに勇気がいりそうなものを、お土産にするには失礼だと思いやめた。

「飲むふるる冷麺」

その後、外にある「妖精の小径」を通り、「山野草園」をまわり、もう一度中央の広場に行ってキラキラ光るオブジェを見て、次の「宮沢賢治記念館」へ向かった。もう暑さでくたくたになっていたが、2館共通入館券を購入したので、記念館にも行かないともったいないと思ったのだ。大きなリュックを背負って、炎天下の中歩いて記念館へと歩を進めた。

タクシーの運転手さんの言う通りキラキラしていた

第4章 夏の暑さに負けるタヌキ

 「宮沢賢治記念館」へは、童話村から5分くらい国道456号線を花巻駅方面へ歩いて、右手にある木の階段を上る。階段の段数は367段。階段には宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩が一字ずつ書いてあった。「よしっ!がんばろう‼」と弟ダヌキ、兄ダヌキ、父ダヌキの順に階段を上っていく。母ダヌキは、最初に体力の限界に達しそうな弟ダヌキのリュックを胸にかけ、みんなの後をゆっくりついて上る。「あ・め・に・も・ま・け・ず・・・」と目で宮沢賢治の詩を読みながら上ると、なんだか自分が詩の中の主人公になった感じで、一歩一歩踏みしめて上がるごとに、人生の苦しみと対峙しているようであった。

宮沢賢治記念館への木の階段
バス停風の「宮沢賢治ゆかりの地」の案内板
会談には「雨ニモ負ケズ」の詩が書かれていた
結構急な階段

足を上げるのも辛くなってきて、ようやく頂上に足を置いた時には、子ダヌキたちと父ダヌキは頂上にある展望デッキのベンチに座り水分を取っていた。上ってすぐにある建物が記念館かと思ったら、「山猫軒」という「注文の多い料理店」をモチーフにしたレストランだった。タヌキ一家は、記念館の駐車場を横切って少し奥の「宮沢賢治記念館」へ歩いて行った。

展望デッキで休憩するタヌキの親子
見晴らしのいい景色
注文の多い料理店 山猫軒

 記念館には午後3時40分頃に到着した。童話村と違って、こちらは宮沢賢治について様々な角度で知ることができ、作品に影響した「農」「科学」「宇宙」「宗教」なども詳しく紹介していた。

暑い中ようやく到着

じっくり見ると、2~3時間は簡単に経ってしまいそうだったが、階段を上って汗だくになったタヌキ一家には体力もなく、今夜の宿泊先のある盛岡市まで電車で移動しなくてはならないので時間もあまりなかった。「そろそろ新花巻に向かうバスに乗らないと、またタクシーを呼ばなければならなくなる」という父ダヌキに促されて、短い滞在時間で再度あの木の階段を下る。「疲れた」と一家で合唱するように言いながら、バスの時間に間に合うように童話村前のバス停へ向かう。国道456号線は照り返しが強く溶けてしまいそうだったが、なんとか新花巻駅に向かうバスに午後4時半ごろに乗込むことができた。
 新花巻駅に着くと、父ダヌキは窓口で盛岡行きの電車切符を購入した。しかし、新花巻駅から盛岡行きの電車は、あと1時間後でないと来ないことが分かったので、少し駅の内外を見てまわることにした。

新花巻駅

駅構内の売店には「小岩井オードブルチーズ」や地ビール、ワインが置いてあった。外を見ると駅の向かいにお土産屋さんがあったので、暑いが歩いて見に行ってみる。駅に売ってない種類の地ビールがあったので1本購入し駅に戻る。子ダヌキたちは駅にある自販機でジュースとアイスを買うと言い出したので、駅に戻って購入し待合所で食べることにした。父ダヌキも購入したビールが冷たいうちに飲む。母ダヌキは、さっきの「小岩井オードブルチーズ」が気になるので、もう一度見に行って購入し、自販機で購入したブドウの炭酸ジュースと一緒に待合所で食べた。朝から、というよりこの3日間いろいろと見て歩いて、ゆっくり過ごせる時間があるのはここが初めてで、この涼しい待合所で自販機や売店で買った飲み物や食べ物だったが、とても滋味深く疲れた体に染みていくような旨さがあった。「やっぱり、休憩は必要だ」と、いつもせわしなく動く母ダヌキは心から感じた。

父ダヌキが買って飲んだ地ビール

電車が来るまでまだ時間があるので、父ダヌキは「明日の帰りの新幹線切符も買っておく」と言って駅の窓口へ行った。待合所の特設ステージのようなところでは、花巻市から輩出したプロ野球選手を紹介していた。大谷翔平が日本ハムファイターズに入団した当時のサインも飾ってあり、丁寧なサインの筆跡が人柄を感じさせた。子ダヌキたちはさらっと見て、また待合所のベンチに座る。盛岡まで行くにはこれ以上体力を消耗してはならないと、じっとして父ダヌキの帰りを待った。

真面目で実直そうな字

第5章 銀河鉄道に乗って

 新花巻駅から花巻駅へ行き、乗り換えて東北本線で盛岡へ行くために、JR釜石線に乗車する。新花巻駅の待合所で休んだせいもあって、楽に歩けるようになった。電車に乗る場所は駅構内と思っていたが、JR釜石線は新花巻駅の外に出て、少し歩いて地下道のようなところを下って上って乗らないとならない。タヌキ一家が地下道を通っていると、地下道沿いに設置してある車いす用のリフトを修理している様子であった。「簡単に上り下りできない人は困るね」と言いながら、JR釜石線新花巻駅へ到着した。この駅はエスペラント語でステラ―ロ(星座)という愛称があり、駅名標にも書いてあった。駅のホームも星座をモチーフにして装飾されており、星形の下には宮沢賢治が作詞・作曲した「星めぐりの歌」の歌詞が書かれていた。やって来た電車に乗り込むと、窓から駅名標をもっと近くで見ることができた。星座の見える山々を鉄道が走り抜けているような絵が書いてあった。新花巻駅から電車が発車すると、なんだかとても寂しく感じた。「またゆっくり花巻に来たいな」と母ダヌキは思った。のんびりと自然を感じて賢治の童話の世界に浸るというのが正しい宮沢賢治文学の味わい方のような気がしたが、ハードスケジュールで「宮沢賢治童話村」や「宮沢賢治記念館」を駆け足で、しかも暑さに溶けそうになりながら見学したので、内容が思ったほど入らなかった。「また来られるかな?」と思いながら、「次くる時は、もう少し暑くない時に来たいな」と車窓を見ながら思ったのだった。

JR釜石線

 花巻駅に着くと、東北本線に乗り換えて盛岡へ向かう。「盛岡ってどっちだ」とタヌキたちが釜石線から出て迷っていると、「あっちだよ!」と知らないおじさんが教えてくれた。おじさんも同じ方面だったのか、ついて階段を上り、東北本線の来るホームに着いた。盛岡行きの電車を待つ間、自販機に何が何円であるか子ダヌキたちと母ダヌキは見ていた。どこのジュースも100円という時代ではなく、150円を超す時代になってしまったので、どこの自動販売機がお買い得かついつい見てしまうようになってしまったのである。さっきの新花巻駅でも170円の炭酸ジュースやスポーツドリンクを買ってしまったが、旅ではなく日常生活であれば、スーパーで98円や、もっと安ければ62円とかでジュースを購入しているタヌキ一家にとって、170円のジュースは高級品である。「自販機でも安いところないかな」と、ついつい価格リサーチをしてしまうのだ。「盛岡のホテルでもウェルカムドリンクがある?」と弟ダヌキが聞く。「あればオレ、コーラ飲む」と言って、コーラの売っていない自販機から離れた。それからすぐ、盛岡行きの東北本線に乗って、タヌキ一家は花巻を後にした。

自販機チェック

 

 



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