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タヌキの親子見聞録 ~高野山編③~和歌山(高野山)~奈良(吉野)


第1章 メインストリートは外国人が多かった

 大門から千手院橋(東)のバス停まで歩いて向かう途中で、大切なことに気が付いた。
「お父さん、宿坊にお参りするの忘れてる」
 母ダヌキは、昨年の11月に行けなかったときに、キャンセル料を免除してくれた宿坊にお参りをしようと決めていたのに、雨やバスの時間で急いでいて忘れていたことに気が付いた。
「そうだった。ここからなら根本大塔を通れば近道だから」
 と、父ダヌキが言うので、根本大塔に行くと、境内の向こうに、タヌキ一家が宿泊するはずだった宿坊が見えた。

根本大塔前の中門の礎石の上に立つ柱(削ってかたちを合わせて載せている)

 しかし、その間を巨木と鉄柵が遮り近くまで行くことができない。
「回り道していたらバスに乗れなくなるよ」
 母ダヌキが言うと、
「仕方ない、みんなここから手を合わせてお礼を言おう」 
 と、父ダヌキが言い、一家は並んで宿坊へ手を合わせた。
「今度は泊まれるといいね」
 タヌキ一家は、お礼を済ませると千手院橋(東)のバス停へ急いだ。歩いていると、また雨が少し降ってきた。バス停まで来ると、すぐ傍の土塀の屋根下で雨宿りをしながら、持参したスティックパンを食べた。
「ご飯がちゃんと食べられなくてごめんね。夕食はいっぱい食べようね」
 腹をすかしたであろう子ダヌキたちに、もう少し頑張ってもらうため声をかけた。
 タヌキたちが雨宿りしていると、通りのあちらにもこちらにも、外国の観光客がいるのがわかった。雨の日でこんなだから、天気がいい休みの日はどうなるんだろうと思われた。
「日本の人より、外国の人の方が多いね」
 パンを食べ終わると、少し通りを歩いて奥之院の方向へ行ってみた。ソフトクリームなどが食べられる軽食屋さんでは、外国の人が大勢集まっていろいろと立ち食いしている。タヌキたちは、その軽食屋の近くのヒラノ薬局というところで「陀羅尼助」という、高野山の胃腸薬を買い求めたかったのだが、あいにくお店は閉まっていた。
「高野山のお土産にしたかったのに」
 母ダヌキは残念そうだったが、どうしようもない。そうこうしているうちにバスがやってきた。

第2章 弘法大師(空海)に会いに

 奥之院は、寺院群の東橋にある一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2kmにわたる参道と約20万基を超す石塔(供養塔、墓碑、歌碑など)が立ち並ぶ、弘法大師信仰の最大の聖地である。一の橋を一礼して渡り、中へ入って行くと、参道の両脇を大きな木が見守るように立ち、その中に数えきれないほどの墓碑や供養塔が並んでいた。

開創1200年を記念して建立された司馬遼太郎の文学碑

「いろんな人のお墓がある」
 タヌキたちは、墓石にある名前を見ながらも先を急いだ。
 入って5分もしないうちから雨が降り始めた。
「まだ大丈夫」
 と、言って傘を差さずに歩いていたタヌキたちだが、どうも先ほどのような雨ではなく、本格的に降りだしてきたようなので、仕方なく傘をさして歩いた。

とうとう雨が降ってきた

 途中、中の橋を越えたところに姿見の井戸でというのがある。この井戸は、水面をのぞいて、自分の姿が見えなければ3年以内に命がなくなるとの伝説があるらしい。自分の影が映るかタヌキたちは恐る恐るのぞいたが、雨の中ぼんやりとした人影が水面に映っていたので、
「あと3年は大丈夫だな」
 と、安心して雨の中、弘法様を目指して再び歩き出した。
 雨の中歩いて行くと、豊臣家墓所や織田信長墓所といったビッグネームが見られた。
 三番目の橋、御廟橋を一礼して渡ると、左手に祠に納められた石があった。これはみろく石と言って、石に触れるとご利益があるようで、片手しか入らないその中に手を入れ、持ち上げられれば善人で、出来なければ悪人ということであった。
「よし、やってみよう」
 タヌキたちは順番にやってみるが、誰一人軽いとは感じられなかった。これは、やはり、現世に生きる我らは、何かしら罪を犯しながら生きているんだと思わずにはいられなかった。
「もっと、精進しなさいという弘法大師様の教えなのだな」
 と、母ダヌキは石の重さを手に感じながら思った。
 そんなことをしていると、雨はひどくなり、燈籠堂に入る頃にはザアザア降りの大雨となっていた。
 折りたたみ傘をたたんで、燈籠堂に入ると、中ではお経が読まれており、たくさんの献燈が灯されていて、とても厳かな気持になる場所であった。少し拝んで見学すると、右手の扉から出て後ろにある弘法大師御廟へ向かった。そこでは、燈籠堂のように明かりは無く煌びやかでもないが、雨の中、静かに瞑想されている弘法大師様がいらっしゃるのを少しでも感じ取ろうと、静かに手を合わせた。
 御廟を拝んで、燈籠堂の地下に入るところを見つけたので行ってみた。そこにはたくさんの小さな大師像が置かれ、さらに奥には多くの灯籠が飾られていた。その通路を抜けて奥に弘法大師様の祭壇があったので拝んで出た。あとで調べたら、あの場所が、瞑想中の弘法大師様に一番近づける場所だったことがわかった。何も知らず地下に潜ってみたが、時間内に行って、地下に入れてよかったなとあらためて思ったタヌキたちだった。
 それから、弘法大師様の御廟を離れ、再び三つの橋を渡り現世へ戻るのだが、タヌキたちは雨に濡れ、靴もびしょびしょになり、おまけに空腹であった。

第3章 現世にはスシローがあった

 一の橋を出ると、すぐ近くのバス停へ向かった。時刻は16時ぐらいで、時刻表を見るとバスはつい今しがた出てしまったと思われた。雨に濡れうなだれるタヌキたちは、バスがすぐにやってくるのに気付いた。雨で時間が遅れていたようだ。
「よかったね」
「早く駅に行こう」
 濡れたズボンと靴でバスに乗り込むと、温かい座席に座った。
 同じように来た道をうねうねと、南海りんかんバスは上って行った。途中駅から来るバスとすれ違うため、時間を調整しながらだったが、駅には16時10分ごろには到着できた。

雨にけぶる坂道を上るバスにぐったりと座る母子ダヌキ

 高野山駅から再びケーブルカーで極楽橋へ戻るのだが、疲れすぎて、ケーブルカーの中ではあまり風景を楽しむ元気はなかった。他の観光客たちは元気そうに、降車する風景を写真におさめていた。 極楽橋駅は、やはり駅らしくなく、赤い橋を遠くに見ながら電車乗り場に向かうのだけれど、まるで、「あんたたちはもう少し現世で苦しみなさい」と、浄土から追い返される気分だった。 本日の宿泊先は橋本市のビジネスホテルで、南海高野線の紀伊清水駅で降りて向かうのが最短のルートであった。一時間近く電車に揺られて、紀伊清水駅に降り立つと、さっきまでの雨は嘘のように晴れていた。「これからコンビニで飲み物買って宿泊先に向かうけれど、ホテルについて荷物置いてご飯食べに行くか、コンビニで買って部屋で食べるか、このままチェックイン前に食べるか」 父ダヌキは、3つの選択肢をタヌキたちに提示した。「きっと部屋に着いたら出たくなくなるから、外で食べてからチェックインしたい」 母ダヌキは言った。今夜の宿泊先の近くにスシローがあることはリサーチ済みだった。「スシローでお腹いっぱい食べてからチェックインしよう」「寿司食べたい」「ポテトも食べたい」 朝からきちんとした食事をとってないタヌキたちは、ようやく雨が上がって天気が良くなってきた空の下、もうひと踏ん張り歩いて、鮨を食べて宿に向かうことに決めた。 スシローには午後5時半ごろ着いた。兄ダヌキがフライドポテトを注文したことは言うまでもない。しかも二皿。弟ダヌキも手を伸ばして一緒に食べていた。温かいうどんも含め、タヌキ一家は40品近く食べ、午後6時半前にはお会計をして宿に向かった。  
 宿泊は、橋本駅付近のビジネスホテルである。橋本駅付近に宿泊施設は少ない。以前の予定では、高野山の宿坊に泊まり、夜は奥之院ナイトツアーに参加する予定だった。この度は、行程上、ナイトツアーは行かないこととしたため、少しでも旅費を節約するため麓のビジネスホテルに宿泊することとした。 
 ホテルには4人で一緒に泊まることのできる部屋はないため、今まで1部屋にみんなで宿泊していたタヌキ一家にとって初めての2部屋での宿泊(分泊)であった。チェックイン後、ラジウム人工温泉大浴場と貰ったデカビタCで疲れを癒し、翌日に備え眠りについた。

第4章 吉野といったら桜でしょ

 二日目の天気は薄曇りだった。でも、予報では雨は降らないようなので、昨日よりはマシかと、足取りは軽かった。昨日びしょぬれになった靴は、夕食後チェックインしてすぐに、母ダヌキが念入りに乾かした。ズボンや上着も、部屋の空調がよく当たるところに置けたので、すっかり乾いて、着心地が良かった。
「今日は何するの?」
 営業開始と同時にバイキング朝食を取り、7時半過ぎに、ホテルを出て、徒歩でJR橋本駅へ向かう途中、弟ダヌキは聞いた。8時13分発の吉野口駅行きへ乗るためだ。弟ダヌキは、旅行前にあれだけ聞かされたけれど、スケジュールを頭に入れてない。入っているのはポケモンセンターのことだけだ。
「今日は、午前中は吉野というところへ行って、桜を見るよ。午後からは飛鳥へ行って、石舞台古墳や高松塚古墳をレンタサイクルで回る」
 父ダヌキに言われて、弟ダヌキは理解したような顔をして、続けて聞いた。
「ポケモンセンターはいつ行くの?」
 弟ダヌキにとって重要なスケジュールだ。
「ポケモンセンターは、吉野と飛鳥が終わって、行けたら大阪駅によって行くよ」
 父ダヌキが言うと、
「絶対行こうね、ポケモンセンター。ねっ、兄ちゃん」
 と、少しでも味方を増やそうと、兄ダヌキにも声をかけた。面倒くさそうにしている兄ダヌキだが、彼もポケモンセンターに行きたくてしょうがないし、隣接するニンテンドー大阪にも行きたいのだ。
 橋本駅に着くと吉野口駅へ向かった。朝だったせいか、平日だったせいか、人はあまり多くなかったので、吉野もそんなに混んでないのだろうと思っていた。

何故かまことちゃんがいる橋本駅

 30分ほど電車に乗って、吉野口に着くと、近鉄吉野線に乗り換えるためにホームへ降り立ち、隣のホームまで歩いた。駅舎の外にある桜はまだ満開ではなかったが、きれいに咲いていた。

もっと空が青かったらきれいに見えただろう吉野口駅に咲く桜

少しすると、吉野行の電車がホームへ入ってきた。その電車を見て、タヌキ一家は驚いた。
「外国の人がいっぱいじゃん」
 橋本駅からの人はまばらだったのだが、多分奈良方面からの電車だろう、外国人の観光客で、電車の座席がほぼすべて埋まっていた。
「昨日は京都・奈良方面を観光して、今日は吉野へ桜を見に行こうっていう人が多いんだね」
 父ダヌキは、驚きながらも席を取るために先頭を切って電車に乗った。しかし、座れそうな席はなく、約40分立って乗るしかなかった。
「すごいね。やっぱり、この時期は平日でもこんなにいるんだね」
 母ダヌキも、通路をキョロキョロとみて、お客の多さに驚いていた。土日の天気のいい日なら、この電車はすし詰め状態になるのだろう。
 立って乗る電車は疲れるが、良いところもあった。景色がよく見える。山際を向こうから走ってくる電車や、昔ながらの酒屋のある町、そのところどころに咲き始めようとしている桜。今年の桜の開花は、これまでの年と比べてずいぶん遅く、この旅行の計画をした時は、きっと散り始める桜を見に行くようになるだろうと思っていたのだが、予想が大幅に外れて、これから満開になり始める時期に桜が見られるのだ。
 車窓を楽しんでいると、電車は山の中へ入って行き、目的地の吉野駅へ9時半前に到着した。

第5章 吉野駅の前はお祭りだった

 吉野駅で電車を降りると、吉野口から吉野駅への乗り越し料金を支払うために、駅の窓口へと急いだ。乗り越し料金は、現金のみでの支払いであった。それから、駅から出ると、急いでコインロッカーを確保して、必要ない荷物を預けた。
「よし、ここからロープウェイに乗って上まで行こうか」
 タヌキ一家は、駅前に出店準備を始めている出店や、何台も停車しているバスの間を通り抜け、ロープウェイ乗り場へと向かった。

朝から沢山の人で賑わう吉野駅

昨日までの雨で、少し地面が濡れていたが、地面の状態はドロドロではなく、歩き難いことはなかった。
 ロープウェイ乗り場は駅からすぐであったが、すごい人の列で、ロープウェイ一台に対して乗車人数は20人ぐらいなので、すでにあと3~4往復後に乗るようになるのではというぐらい人が並んでいた。
 「こんなに待っていたら、金峯山寺の秘仏本尊の特別御開帳を見るのに時間がかかって、午後からの飛鳥が予定通りに出来なくなる」
 母ダヌキは焦った。
 「でも、登るには坂がきついよ」
 父ダヌキは、弟ダヌキもいるので、ロープウェイで上るほうがいいと考えた。近くにいたロープウェイの係の人に尋ねると、お客が多い時には予定よりも運航を増やすから、そんなに待たないで乗れると思うと言われたが、母ダヌキは昼からの観光時間が削られる危険があるため、
 「歩こう!」
 と、押し切った。それから、ブーブー言う父ダヌキを連れて、吉野の山を歩いて登ったが、天気も良くなってきて、昨日と比べて暑く、途中で何度もペットボトルのお茶を飲んだ。
 歩く人は、思ったよりも多くいた。歩いたほうが景色がよく見えるという人や、母ダヌキと同じ考えで、歩いたほうが早いと思った人だろう。山の中に伸びている道を列をなして歩いた。

吉野の桜の中を上るロープウェイ

 ロープウェイ乗り場のある高さまで登った時には、10時少しを過ぎており、ロープウェイを使って登ったのとあまり時間の大差はなかったかもしれなかった。しかし、登った先にある見晴らし台に着くと、そんなことは全部吹っ飛んだ。そこには、満開前の桜木が、山一面を埋め尽くしている風景が広がっていた。 

展望台から見た桜
子ダヌキたちも桜色
桜の大好きな父ダヌキはいつもより多めに撮ってます


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