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空っぽ

高卒は夢がない。

これは最近の私の口癖だ。
高校を卒業してすぐに社会に出た。高校入学時、決して裕福とは言えない家庭で育った為か自然と「進学はせず仕事をする」という思考になっていた。小さい頃は普通に高校に行って普通に大学に行って普通に仕事をするんだろうな、と漠然と思っていたのに、まったく不思議な話である。

中学3年で進路を決めるとなった時、将来やりたいことが見つかっていなかった私はとりあえずで公立の普通科に進学した。普通科だったら先の選択肢も広いだろうし、高校生の間にやりたいことが見つかったらその道を選んだらいいと思っていたのだが、そんなのは夢物語だったようだ。何も見つけることが出来ないまま、卒業後の進路は就職を希望した。元から「やりたいことが無ければ大学は行かせられない」と言われていたからだ。とりあえず進学するなんて選択肢はハナから頭になかったから、ごく自然な流れで。

ぼんやりと、しかし明確に焦りを抱えながら高校での毎日をすごす。2年になり3年になり、周りの人達は志望校や志望学部を決め始めている中、私は民間就職希望のまま、やってみたい仕事も興味のあることも見つけられなくてもがいていた。
やりたいことが見つからなくて就職を選んだのに、就職先を決めるところでつまづいた。なんたってやりたいことが無いんだもの。とりあえず進路資料室にあった前年の求人票を端から端まで見た。これは身体的に無理、これは嫌だの消去法で絞っていって、最終的には名前を聞いたことがある会社に就職した。

2年で辞めた。

辞めた要因はいろいろあるから書かないけれど、やりたいことが無くて、提示された選択肢から選んだ就職先を辞めた私には何も残っていなかった。当たり前だ。何かが残るのなら最初からその道に進んでいる。私は元々浅く広くを地で行くような人で、あれもこれも興味があってそれぞれを浅くやっていたから、いざ「やりたいこと」となった時に困ったのだ。料理も製菓も裁縫も読書も、どれもそれなりに好きだけれど勉強をするまでの熱意はなくて。妹は専門学校に進んでいたり進学を希望したりしているのに、私には何も無かった。親は「妹たちの興味は姉の多趣味から来てると思うよ」といったことを言われたけれど、肝心の私自身にやりたいことが見つからないのなら私の人生になんの成果もない事だった。

そしていま、退職からなんだかんだと約半年が経過した。未だに無職である。「妹たちはやりたいことを見つけているのに私は」が日々強くなっているのを感じる。みんなはどうやって今の仕事に決めたのだろう、どうやってやりたいことを見つけたのだろうと悶々と考えながら、生きることすら面倒に感じ始めている。仕事を辞めて初めて私はニートに向いていないんだなと思った。何度も何度も無力感・無能感で潰れそうになったし、ふとした時に死にたくなるような焦燥に駆られる。親に何度説得されようと仕事が続かなかった自分を責め続けているし、自分が仕事をしている姿を想像できなくて絶望した。何をやってもどうせ続かない、メンタルが弱すぎて使い物にならないと自己評価をした。それは仕事に限った話ではなくて、趣味でもなんでも、思い返せば昔からそうだった。極論を言えばできることしかしたくないのだ。甘ったれた考えだと重々承知している。できないことをやらないとできることは増えないなんてわかっている。ただそれでも、できない自分に直面すること、できないことを指摘されること、それが酷くストレスでどうしようもないのだ。私だってやりたいことはやりたい。できないことを頑張ってできるようになれたらどれだけ良いだろうと思っている。こつこつ努力すること、その練習を学生時代にすることの重要さをこんなにまざまざと見せつけられるとは思っていなかった。努力できることは才能だ。本当に羨ましい。羨ましいと思っているだけで、努力する努力は微塵もしていないのだから結局何にもならない。

高卒には夢がない。それは収入の話だけではない。なんの特技もなく、なんの資格もなく職を手放した私のような人間は道が限られてくる。大卒資格のいらない職種、専門知識・技術を必要としない職種。あるようで意外と無いなと感じている。
大学に行っていないから、「大学生時代の友人」なんて存在するわけが無い。サークルだとか飲み会だとか、そのような経験は無いし、若いから許されるような馬鹿なことをする機会もない。同い年より2〜4年早く変化のない刺激の少ない人生に突入してしまった。

かと言って今から大学生、専門生になるかと言われるとそれは無理だと感じる。
それにも列記とした理由があった。いくつになっても大学に行けるし専門だって金があるなら何度でも行けることはわかっている。それでも新卒でないことがネックなのだ。
高校を卒業し、そのままの流れで進学するのなら「興味があるから」である程度は許されるだろう。1度社会に出てしまった今、進学するならそれ相応の覚悟が必要だ。この仕事をしたい、この仕事で食っていくという覚悟が。進学にはとにかく金がかかる。そしてだいたいの場合同級生は大半が年下だ。そのハンデを背負ってでも学びたいという意思が必要になる。退職し、やっと興味のあることを見つけた。専門学校も考えたし調べもした、オープンキャンパスにも行った。その上で、覚悟が揺らいでしまったから、この状態で行くわけにはいかないと1度進学を見送った。難しく考えすぎだと、そんなことを言ったら何も出来ないと言われたけれど私には無理だった。どうしようもなく怖かった。やりたいと、その業界に関わりたいと心底思っていたはずなのに、いざその業界を志す後輩たちを見て怖気付いた。私にその熱量はないな、と。

人生100年の時代。今は5分の1が終わったあたりだ。人生なんてどうにでもなるし、どうなるかなんてわからない。なるようになるしかない。それが自分の望んだ形であることは少ないだろう。なんとなくで生きている人だっているはずだ。私のようにやりたいことが見つからなかった人だって絶対にいるはずで、そんな人もみんな社会で何かしらをして生きている。なら教えてほしい。どうやって生きているのかを。私はどうすればいいのだろうと数ヶ月ずっと悩み続けているけれど、答えなんて出ない。答えの無い問はしんどくて辛い。この先60年、私はどうやって生きていけばいいのだろう。この夢も希望も目標すらもないまま、ただ時間が過ぎていくのを眺めているしかないのだろうか。最初の2年でこんなにも空っぽなのに、今までの人生の3倍以上の時間をどうしたらいいのだろう。遠い先を見据えてもどうしようもないと言うのであれば、私は直近4、5年をどう生きればいいのだろう。

誰か、教えてくれないか。






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