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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第2章 忍び寄る影 その8

 それから二日後。私は舞衣のところにずっとお世話になるわけにもいかず、念のためジンさんのボディーガード付きということで家に帰った。どうやら羽賀さんたちの敵となるロシア側やリンケージ・セキュリティ側の人達もいないみたい。私にはもう用はないということなんだろう。
 私は舞衣のお店を手伝いながら、生花を派遣として生ける仕事をすることになった。稼ぎは少ないけれど、夫が残してくれたもので当面はなんとかやっていけそうだ。おかげで、少しは落ち着いた日々を取り戻すことができた。
 けれど、羽賀さんたちはもっと忙しく動いているらしい。あれから羽賀さんと顔を合わせたのは一回しか無い。しかも、羽賀さんが出かけるところだったので挨拶しかかわせない状態だった。
 ミクさんの話によれば、羽賀さんは何度か友民党の幹部と会い、ロシアとの交渉についての打ち合わせを行っているらしい。ただし、ミクさんもそれ以上の情報は知らないとのこと。これは国家機密に関わることだから、ということらしい。
 今回、私は初めて裏の世界というのを知ってしまった。まさか自分の夫がそんな世界の住人だったなんて。
 けれど、聞くところによるとこういった活動をしている人は意外にもたくさんいるらしい。もちろん、普段は私たちにその姿を見せることはないけれど。
「さてと、優馬。今日もがんばろうか」
 私は優馬を保育園に預け、今日も舞衣の花屋、フラワーショップフルールへと足を向けた。
「おはよー」
「あ、紗織、おはよう。早速で悪いけど、今日はお寺のお花を頼まれているの。お願いしていいかな?」
「了解」
 私は言われたとおりのお花を準備して、お寺に向かう準備をしていた。そのとき、一人のお客さんが。
「あのぉ、こちらに石塚紗織さんっていらっしゃいますか?」
 その声を聞いて私が反応。
「はい、私ですけど?」
 その男、サングラスを書けているけれど、どこかで見たことがあるような気がする。誰だったかな?
 すると、男はサングラスを取り私に深々と頭を下げた。
「この度は、私たちの不注意で旦那さんを失わせてしまい申し訳ありませんでした」
 えっ、なんなの?
 私が驚いていると、後ろからジンさん、そして羽賀さんが登場した。
「紗織さん、こいつ旦那さんが亡くなった責任をとりたいとこうやってお詫びをしにきたんですよ」
「えっ、一体この方は誰なんですか?」
 ジンさんの言葉に、私はまだ事情がつかめないでいる。ジンさんが私の問いに答えてくれた。
「リンケージテクノロジーの開発主任の坂口さんだ。以前、紗織さんのところに訪ねてきたことがあったろう」
 言われて思い出した。夫のことで何か情報をもらっていないかと訪ねてきた男だ。
「すいません、すいません。本当にすいませんでした。私が旦那さんをそそのかしさえしなければ、こんなことにならなかったのに」
「えっ、一体どういうことなんですか?」
 まだ事情がつかめない。すると、今度は羽賀さんが私に説明を始めた。
「坂口さん、実はリンケージ・セキュリティ側の人間ではなく旦那さんと同じ志を持った人なんです。いわゆる仲間ってやつです。ボクたちも旦那さんが単独でこんな行動を起こすのはおかしいと睨んでいたんですが。実はこの坂口さんを始め数名の仲間と行動を共にしていたらしいのです」
「行動を共に、というと?」
 今度は坂口さんが口を開いた。
「私たち、本当に何が大事なのかに気づいたんです。実は旦那さんとはどちらかというと敵対関係にありました。旦那さんはロシア側、私たちは旧日本政府側。しかし、何かおかしいという思いが拭えなかったんです」
 坂口さんは一度大きく深呼吸。そしてさらに言葉を続けた。
「私たちは上の命令でずっと動いていました。しかし、違和感は感じていました。何のためにこんなことをやっているんだろうって。そんなときに、同じ思いをしている仲間たちと出会いました。そして自分たちにできることはなんなのだろうと考えたんです。その結果……」
 坂口さんは言葉が詰まってしまった。すると今度はジンさんが話を始めた。
「その結果な、こいつらは今の政府がロシアと軍事交渉をすることをつかみ、今の友民党政府に思いを託すことに決めたんだよ。そのために情報を盗み出し、そして交渉を有利にすすめるようにしようとした。だが……」
 ここでジンさんは目を伏せた。つまり、ここで夫が殺されてしまった、ということなのか。
 その事実を知っても、眼の前にいる坂口さんを責める気はまったく起こらない。むしろ真実を知ることで心が救われた気がする。
「私たちの思いは今回羽賀さん達の行動によって成し遂げることができました。本当にありがとうございます。けれど、旦那さんはもう戻ってこない。これは私たちの責任です。本当に申し訳ありません」
 坂口さんは再び頭を深々と下げる。
「一つ教えてください」
「はい、なんでしょうか?」
「夫は、そして坂口さんを始めとする仲間のみなさんは、本当に私たちの住む日本を守ろうと思ったのでしょうか?」
「も、もちろんです。私にも家族がいます。その家族が安全に、幸せに住む日本を守る。そのために立ち上がったのですから。その想いは信じてください」
 坂口さんの目は真剣だ。この思いに迷いはない。そう感じた。
「わかりました。これで私も救われます。夫の思いが本物だったって信じられます。夫は日本を守るために立ち上がり、そして危険な行為までして、結果的には死んでしまいました。けれど、その魂がこうやってみなさんの中で生きているのなら、私はそれで満足です」
「あ、ありがとうございます」
 坂口さんは再び深々と頭を下げた。
「羽賀さん、立て込んでいるところ悪いけど、紗織にお仕事をお願いしているの。そろそろ行かせてもらってもいいかな?」
 店の奥から舞衣が出てきて、私たちの会話は中断となった。
「ごめんごめん。紗織さん、またあとで」
 そう言って羽賀さんたちは二階の事務所へと上がっていった。
 なんとなく気分が晴れた。そんな気がした。空を見上げると、とても青い。どこまでも、どこまでも青空が続く。
 私はお花を生ける荷物をまとめて、自転車のペダルを漕ぎ出した。頬に感じる風がとても気持ちいい。
 そうか、夫は、一樹は私たちを守ってくれたんだ。その想いは他の人にちゃんと引き継がれているんだ。
 そうやって引き継がれている以上、夫の魂が消えることはない。夫の存在がなくなることはない。
 もちろん、私の中のその想いが消えることもない。
 私に忍び寄る影はもうない。でも、日本という国に忍び寄る影はまだまだ奥深く残っているんだろうな。
 けれど、羽賀さんたちがいれば大丈夫。きっとなんとかしてくれる。なんだかあの人達、頼りになるな。
 私は残された優馬や周りのみんなと、幸せに暮らす。それが夫の魂を引き継ぐことになるんだから。
 よし、今日もがんばるぞ!

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