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コーチ物語 クライアントファイル12 ミクの恋愛物語 その8

「確か今日がトシくんの退院の日だったろう。ミク、病院には行かないのかい?」
 あれから二週間。私は羽賀さんのところに行く前には必ずトシのところに顔を出すようにしていた。そして今日、トシの退院の日。
「うん。妹の百合さんが付きそうって言ってるし。それに私が行っても役に立たないだろうしね。でもその足でそのままこっちに来るって言ってた。百合さんも羽賀さんに会いたいらしいしね」
「えぇっ、ミク、そんなことは早く言ってくれなきゃ。えっと、こんな格好で大丈夫かな?」
 羽賀さん、若い女の子が尋ねてくると聞いて急にあわてだした。トシの妹の百合さんは将来カウンセラーを目指している。そして羽賀ファミリーの一員でもあるセラピストの由衣さんとは先輩後輩の仲。その関係で百合さんは羽賀さんにとても興味を持っている。
 またトシも自転車乗りとしての羽賀さんに憧れを持っている。だからどうしても二人とも羽賀さんに会いたいって言ってたんだよね。でも羽賀さん、明日から研修の仕事で忙しくなっちゃうから。だから今日のこの時間しかとれなかった。
 羽賀さんに内緒にしていたのは、この羽賀さんの慌てる姿が見たかったから。こんなふうに人間味のある羽賀さんを見られるのは私の特権だから。
 そうしていると階段の方が騒がしくなった。そしてノックの音が。
「はぁい、どうぞ」
「失礼しまぁす」
 現れたのは百合さん。そして松葉杖をついたトシ。後ろから舞衣さんもついてきている。
「私、葉山百合と申します。以前は病院で失礼しました。今日はあらためて羽賀さんにお会いできてとても光栄です」
 百合さんの言葉はお世辞ではない。目が本当に感激しているのがわかる。まるで憧れのアイドルスターにでも会ったような感じだ。
「こんにちは。この度は大変ご迷惑をおかけしました。葉山俊彦です。みんなからはトシと呼ばれています。あのブルーファイヤーエンブレムのMTBの羽賀さんにこうやってお会いできるのはとても感激です」
 あらま、トシも同じ目をしている。こうやってみると兄妹だなぁって感じ。よく似ているわ。
「いやぁ、そんなふうに言われると照れちゃうな」
 羽賀さん、言葉ではそう言っているがまんざらでもなさそう。
「もらいもののお菓子があるから、お茶入れるね」
「あ、舞衣さん、ありがとう。で、トシくん、脚はどんな具合だい?」
「はい、ギブスがとれるまであと二週間はかかりそうです。幸い靱帯とかには異常がなかったみたいで。ゆっくりとリハビリをすれば元通りに自転車には乗れるそうです」
「そうか、それはよかった。治ったらミクと三人でどこかツーリングにでも行こうか」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます」
 またまたトシは感激している。
「兄さんばかりずるい」
 自転車に興味のない百合さんは、一人話題に付いていけずちょっとすねている。だから私からちょっと話題を振ってみた。
「百合さんはどんなカウンセラーになりたいの?」
「あ、はい。今の葉山美容クリニックでは、コンプレックスを持った女性がたくさん訪れるんです。それを美容整形で治すことも必要なことなのでしょうけど。けれど私の目から見ればそんなことは不要だって思える患者さんも多いんです。また美容整形したけれど、まだ満足できない患者さんもいるし」
「なるほど、だからそういった患者さんを心から癒してあげたい。それが百合さんのやりたいことなんだね」
「はい、羽賀さんのおっしゃる通りです。だからもっともっと勉強して、由衣さんや羽賀さんみたいになりたいんです」
「へぇ、それはすばらしいわね。はい、お茶が入りましたよ」
「わぁ、舞衣さんありがとう。さ、どうぞどうぞ。舞衣さんのお茶は天下一品だから。飲む価値がありますよぉ〜」
 私は葉山兄妹にお茶を勧めた。舞衣さんのお茶はお世辞抜きで飲む価値ありのもの。私もどうやったらこんなにおいしく入れられるのか、研究中ではあるがまだまだ追いつかない。
「あ、ありがとうございます。では……」
 トシが一口飲む。すると表情が大きく変化した。
「う、うまい」
 その言葉を聞いて百合さんもお茶に口を付ける。
「うそっ、こんなにおいしいお茶は初めて飲んだわ」
「うふっ、ありがとう。こうやって喜んでもらえる顔を見るのが私の楽しみなの。さ、こっちのお菓子もどうぞ」
 そこからいろんな話に花が咲いた。葉山兄妹から自転車とカウンセリングの質問を交互に受け、羽賀さんもてんてこ舞いの対応だ。
「ところでさ、ミクはトシさんとおつきあいするの?」
 話の途中で舞衣さんが突然そんなことを言い出した。思わず口に含んでいたお茶を吹き出しそうになっちゃったじゃない。
「ちょ、ちょっとぉ。舞衣さん、急にそんなこと言わないでよ」
 耳が熱くなっているのがわかる。きっと私、今顔が真っ赤になってるんだわ。
「でも、ミクとトシさん、見ていてとてもお似合いなんだもん。それにミクだってずっと病院に通っていたんでしょ」
「そりゃそうだけど……」
 私はトシの方を見る。するとトシもちょっと顔を赤くして下を向いている。横では百合さんがトシをつついている。
「ほら、兄さん。思い切ってさ。ほらっ」
 小声でそんなことを言っている百合さん。するとトシが突然立ち上がった。
「み、ミクさん、そ、その、こんな場面で何なんですけど、えっと、あのですね……」
 うそっ、この展開ってもしかして……。
 トシは大きく深呼吸。そして私の方に右手を差し出して、真剣な目で私の方を見た。
「もしよかったら、ぼ、ボクとおつきあいしてくれませんか? こんなにも自転車の話ができる女性は初めてです。それにいつも病院に来てくれて、ミクさんのやさしさに触れました。ですからぜひ、お願いします」
 大きな声でトシが私にそう言ってくれた。
 心臓がドキドキしている。だってこんなふうに告白されたのは初めてなんだもん。とてもうれしい。天にも昇る気分だ。
 周りの目が私に集中する。みんなが期待の目で見ている。
 私はにっこりと微笑み、トシの前にきちんと向かった。
「ごめんなさい」
 私はそう返事をして、トシに謝罪の言葉を述べた。
 この言葉に、羽賀さんも舞衣さんも百合さんも目を丸くしている。そして肝心のトシも唖然としていた。
「み、ミク、どうしてよ。トシさんってとてもいい人じゃない。あなただってトシさんのことが好きだったんでしょ」
 私の心の内を知っている舞衣さんが私にそう言い寄った。
「うん、確かにトシのことは好きよ。今もその気持ちは変わらないの。でもね、私気づいたの」
「気づいたって、何を?」
「私、もっとやらなきゃいけないことがあるの。だから今はそちらに意識を集中したいの」
「やらなきゃいけないことって何なの?」
「決まってるじゃない。羽賀さんを日本一のコーチにすること。そのために優秀なアシスタントは必要でしょ。だから今は恋愛に意識を奪われたくないの」
 これは私の本音。トシのことは好き。恋愛もしたい。けれど今はそれよりも、羽賀さんをもっともっとメジャーにして、もっともっと多くの人にその存在を知って欲しい。それが私の使命だって気づいた。
「ミク、気持ちは嬉しいけど、でも……」
「あぁら、羽賀さん。私抜きで今の仕事続けられる?」
「いや、ミクがいないとパソコン作業はできないからなぁ。それに今のミク以上のアシスタントもいないだろうし」
「でしょ。あ、勘違いしないで。だからといってトシのことが嫌いになったわけじゃないから。自転車仲間としてはずっとつき合っていきたい。そう思っているの」
「じゃ、じゃぁ羽賀さんが日本一になって、みんなに知ってもらえるようになったら、ボクとつきあってくれるかい?」
「う〜ん、どうしよっかなぁ〜」
 私はちょっと意地悪く答えた。
「こら、ミクっ、調子に乗るんじゃない!」
ボカッ
 舞衣さんからゲンコツが落ちちゃった。
「トシさん、今のうちに考え直した方がいいわよ。ミクったらこんないい加減なところもあるから」
「まいさぁん、そんなこと言わないでよぉ」
 ちょっとおふざけが過ぎたかな。そっとトシの方を見る。するとトシ、何やら考え込んでいる。
「わかりました!」
 突然トシが叫んだ。びっくりしたじゃないの。
「何がわかったの?」
「ボクも羽賀さんが日本一のコーチになることに協力します。そしたらミクはもっとボクの方を向いてくれるはずだから。百合、お前も協力しろ。わかったな!」
 トシ、急に体育会系のノリで百合さんにそう命令。そしたら百合さん、拒否するどころかこんな答を。
「うん、わかった。私も羽賀さんに協力する。うぅ〜っ、おもしろくなってきたぞ〜っ」
「あ、あのですね……」
 羽賀さんのその言葉を無視して、がぜんやる気になっている葉山兄妹。これで羽賀ファミリーに二人の助っ人が誕生。
「ところでさ、舞衣さん。早く羽賀さんとくっついちゃわないと、私が奪っちゃうからね」
 盛り上がっている葉山兄妹のそばで、私は舞衣さんに小声でそう伝えた。
「な、なに言ってんのよっ」
 今度は舞衣さんの顔が真っ赤。ま、この二人の行く末もしっかりと見守っておかなきゃいけないからね。
 間中ミク、ただいま青春まっただ中。さぁ、今日も明日もいっぱいみんなと楽しむぞ!

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