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コーチ物語 クライアント19「女神の休日」その4

 翌日、私は朝一番で羽賀さんに連絡をとった。お昼には生放送の番組があるため、羽賀さんにあうのは夕方。エターナルで会う約束を取り付けて、私は仕事に向かった。
 そしてお昼の生放送。私はいつものようにリクエストのメールやハガキに目を通しながら曲を紹介していく。ここでこんなメールが届いていたので、それを思わず読んでしまった。
「はるみさん、こんにちは。私、この前びっくりした体験をしたんです。私、というよりも私の友達のことなんですけど」
 私はメールの文を先読みで目を通しながら言葉にする。その先に書かれていること、これが驚きの内容だった。
「この前の日曜日、私はずっと家にいたんです。そして次の日に友達から、昨日声をかけたのになんで無視したの? って言われたんです。私はどこにも出かけていないのに。そのことを話したら、友達からうそーって言われました。間違いなく私だったと言うんです。でも、まるで知らない人のように友達を無視して通りすぎて行ったっていうんですよ。友達も真顔で話しているから、嘘を言っているようにも思えないし。これってドッペルゲンガーとかいう現象って聞きました? はるみさん、信じてくれますか?」
 メールを読みながら震えてしまった。まさに私の身に起きている現象と同じじゃない。そういうことって実際に起こるんだ。
 ラジオの中では「世の中には三人、自分と似た人がいるって言われている」なんてことで話を濁したけれど。でも、これが事実なら私にもそのドッペルゲンガーというのが現れたのかもしれない。
 生放送が終わってすぐ、私はインターネットでドッペルゲンガーについて調べてみた。一説によると、死期が近い人がそれを見るとも言われている。自分のドッペルゲンガーを見た人は死んでいるという話もある。
 有名なところでは、アメリカのリンカーン大統領、日本でも芥川龍之介が自分のドッペルゲンガーを見たという記録があるらしい。
 死、という言葉を見てちょっと身震いした。まさか私の死期が近い、ということなのだろうか? でも私はまだ自分のドッペルゲンガーを見たわけではない。なんだかオカルトチックな話になってきたな。
「はるみ、大丈夫?」
 私がネットで調べていると、ミキサーのしずちゃんが心配そうな顔で私に近づいてきた。
「ん、大丈夫よ」
「でも、顔が青いよ。それにさっきの放送で気になるメールを読んだじゃない。あれってもしかしてはるみにも当てはまることじゃないかなって気になって」
 しずちゃんの言葉を否定しようとしても、そのための言語が出てこなかった。私のドッペルゲンガーがひょっとしたら実在するのかもしれない。けれど、さっきのメールと違うのは、私には日曜日の記憶がまるまる無いこと。こっちの方がとても気になる。
 とりあえず羽賀さんのところに行ってみよう。そうすれば何かわかるかもしれない。そう思って仕事場を後にした。
「こんにちはー」
「おぉ、はるみか。羽賀さん、待ってるぞ」
 私を出迎えてくれたのは、いつも陽気なマスター。羽賀さんは時間前にすでに来てくれていたようだ。
「はるみさん、いらっしゃい。いつものコーヒーでいい?」
 バイトの真希ちゃんも手慣れたもので。私が言わなくてもすべてを用意してくれる。
 私はあらたまって羽賀さんと対面。そしておもむろに今の状況を説明し始めた。
「なるほど、自分が知らないところで男性と腕を組んで歩いていた。それを同僚に目撃された。そして、その日曜日の記憶がないこと、そういうことですね」
「はい、そうなんです。これって何かの病気でしょうか?」
 羽賀さんはさすがに腕組みをして悩んでいた。
「それって、ドッペルゲンガー?」
 そう言ったのはマスターだった。エターナルは小さな喫茶店で、しかも今は私たち以外にお客さんはいない。どうしても羽賀さんとの会話は筒抜けになってしまう。
「マスター、ドッペルゲンガーって何?」
 真希ちゃんは不思議そうな顔をしてマスターに聞き返した。
「あ、そうか。お前は今日の昼はいなかったからな。はるみ、確か今日の番組でドッペルゲンガーについての話題を出したろ?」
「えぇ。でもそんなこと本当にあるのかって思って。他人の空似でお茶を濁したけれど。でも……」
「やはりそれが気になるようですね」
 羽賀さんが私の気持ちを代弁してくれた。たしかにその通り、ドッペルゲンガーについて調べてからは、本当にそうじゃないかって思い始めてしまった。
「羽賀さん、そういうことって本当にあるんですか?」
「うぅん、ボクも専門家じゃないからわからないけど。テレビじゃいくつか実例が紹介されたこともあるみたいだし。あるともないとも言えないなぁ。それより気になることがあるんですけど」
「気になること?」
 羽賀さんはコーヒーをひとすすりしてから、私の目を見てこんなことを言ってきた。
「目撃されたのは他人の空似かもしれません。けれど問題なのは日曜日の記憶がないことです。もう一度確認しますが、土曜の夜から月曜の朝にいたるまで、何一つ記憶が無いんですよね?」
「はい。今思えばそうなんです。不思議なのは、それを違和感なく受け入れていた自分なんです。まる一日記憶がないって、どういうことなんでしょう。しかもそれに対して言われるまで気付かなかっただなんて」
 羽賀さんはまた考えるポーズをとった。しばらく沈黙の時間が続く。
「よし、ちょっとやってみるか」
 羽賀さんは突然何かを思いついたようだ。
「何かいい手があるのですか?」
「うぅん、これはまだ実験段階だし公にはしていないんだけど。でも、この手を使わないとおそらく記憶を引き出すことは難しいだろうから」
「記憶を引き出す?」
「はい。おそらくはるみさんの記憶にはなんらかのフタがされている状態なんですよ。そのフタを外してみようと思います」
「記憶のフタを外すって、どうやって?」
 羽賀さんは一拍おいて、私の目をじっと見てこう言った。
「催眠術です」
「催眠術!?」
 その言葉に私はちょっと驚いた。まさか、羽賀さんの口から催眠術なんてことがでてくるなんて。
「まず誤解のないようにお伝えしておきます。催眠術はテレビなどでは人をおもしろおかしく自由に操ったりするような技術に見えますが。たしかにそれも可能です。しかし本来の使用目的としてはあれはふさわしくありません」
「本来の使用目的って?」
「催眠術は本来、心理的な治療に使われるべきものなんですよ。そもそも催眠術は潜在意識に外部から語りかけ、その行動を無意識に行わせることができるのです。だから、催眠を使って苦手なものを克服したり、自信を持たせたりすることも可能なのです」
「あ、それ知ってる。催眠療法とかいうやつなんですよね」
「真希さんの言うとおりです。アメリカではこの両方がちゃんと認められているくらいですから」
「じゃぁ、羽賀さんは催眠術が使えるの?」
「実はまだ勉強し始めたばかりでして。簡単な導入ならできるんですけどね。例えばそうですね、はるみさん、両腕を目の前で組んで伸ばしてもらえますか?」
「こう?」
 私は羽賀さんの言われる通りに腕を組んで伸ばしてみた。
「いいですか、しっかりイメージしてください。この組んだ両手が一つの岩になります。一つの岩なので、ぴったりくっついて離れなくなります。離れなくなる、離れなくなる」
 私は羽賀さんの言われたようにイメージしてみた。すると、まるで手が一体化したような感覚を覚えた。
「今、はるみさんの両手は一つの岩になりました。ですから両手を話そうと思っても離れません。さぁ、離してみてください」
 そう言われて両手を離そうとした。が、両手はピッタリとくっついて離れない。
「えっ、うそっ、えっ、どうして?」
「はい、このままではまずいので、私が三つ数えると両手は外れます。いきます。イチ、ニ、サン!」
 羽賀さんはそう言うと私の両手をポンと叩いた。すると不思議なことに、私の両手はスルリと外れてしまった。
「えっ、一体どういう事?」
「はい、これが催眠術です。私ははるみさんの潜在意識に語りかけ、その通りになったんです。もっと催眠術を深化させると、感覚や記憶を支配することができます。はるみさんには記憶の領域まで催眠術をかけて、そのフタを外してみようと思います」
 本当にそんなことができるんだろうか? けれど今はその方法しかない。私は意を決して羽賀さんに自分の記憶のフタをはずしてもらうことをお願いした。

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