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コーチ物語 クライアントファイル 11 コーチvsファシリテーター その1

 窓をあけると、さわやかな風が吹いてくる。外は気持ちのいい青空が広がっている。耳を澄ますと小鳥の声。遠くから子どものはしゃぎ声も聞こえてくる。
 絵に描いたようなのどかな午後。羽賀コーチは依頼されたコラム原稿を見つめてはいたが、筆は一向に進まない。別に原稿の内容に悩んでいるのではない。この時間だけはどうしても意識が別の方向へと向いてしまうのだ。
 羽賀の意識を別の方向に向けている犯人はこれ。ラジオの声である。そこからは心地よい女性の声。地元密着のコミュニティFMが放送している午後のリクエスト番組だ。パーソナリティは長野はるみ。
 彼女の声はこんなゆっくりとした午後の時間にぴったりマッチする。事実、長野はるみのファンは多い。羽賀もその中の一人だ。
 そしてこの日は平日の昼間にしてはめずらしく、羽賀のアシスタントを務めるミクも同じ空間にいた。
 ミクは専門学校生でコンピュータグラフィックを学んでいる。そのため平日の昼間は学校に行っており、終わってから羽賀の事務所に顔を出して仕事をすることが多い。ミクの主な仕事はパソコンにからんだことだ。今日もホームページの更新作業を行っている。
 この日の午後は学校側の事情で休講。ミクの話によると、明日役人のお偉いさんの視察があるとかで、職員一同でそのお出迎えの準備をするということらしい。
「長野はるみっていいよねぇ。私、こんな女性にあこがれちゃうわ」
 ミクは独り言のようにそうつぶやいた。いや、正確に言えば羽賀に何か話しかけたかったのだ。だが羽賀はそんなミクのつぶやきは耳に入っていないらしい。うっとりとした表情で、腕組みをしてソファで目をつぶってくつろいでいる。
「さぁて、次のリクエストは…こちらにいきましょう。ラジオネーム昭和時代の母さんからです。こんにちは、はるみさん。毎日家事をしながらはるみさんの声を聞いている昭和時代の母です……」
 長野はるみが新しいリクエストを読み出したとき、羽賀の表情が変わった。
「んっ!?ミク、今はるみさんの声、少し変化しなかったか?」
「えっ、そうかなぁ。別に何も変わったところはないと思うけど」
 ラジオからはリスナーからのコメントを読む長野はるみの声。内容はリスナーの身の回りに起きたちょっとしたエピソードという、ごくありふれた内容。
「うぅん、気のせいかなぁ。ときどきこんなことがあるんだよね」
 羽賀は頭を掻きながらのっそりとソファから起きてラジオの前に立った。
「こんなことって、どんなこと?」
 ミクはパソコン作業の手を休めて羽賀の方を向いてそう尋ねた。
「今ね、長野はるみさんの声が少し緊張したような印象を受けたんだよ。話している内容は他のリスナーコメントの紹介とそんなに変わらないんだけどね。いや、むしろほのぼのとした話題の時の方が多いかな。内容はそんなものなのに、なんとなく声が上ずっているような気がしてね」
 羽賀にそう言われてミクもラジオの声に耳を傾ける。が、羽賀が言ったような印象は全く感じられなかった。
「気のせいじゃないの? それよりもコラムの原稿、そろそろ完成させてね。今日の夕方が締め切りだったでしょ」
「はいはい。書きたい内容は決まっているんだけど、なかなかその気が起こらなくてねぇ」
「やる気を引き出すコーチングのコーチがやる気を失ってどうするのよ。ささっ、早く早く」
 ミクに促されてしぶしぶノートパソコンを開く羽賀。ちょうどそのとき、羽賀の事務所に電話が鳴り響いた。

 時を同じくして、ある場所では緊張感が走っていた。
「コジローっ」
「わかってる。真希ちゃん、ボリューム大きくして」
「了解!」
 喫茶エターナル。街中にあるどこにでもあるような普通の喫茶店。昼の喫茶時だというのに、客は男性が一人。そしてマスターとアルバイトの真希がその場にいる。
 ラジオからは同じく長野はるみのリクエスト番組が流れている。
「さぁて、次のリクエストは…こちらにいきましょう。ラジオネーム昭和時代
の母さんからです。こんにちは、はるみさん。毎日家事をしながらはるみさんの声を聞いている昭和時代の母です……」
 ラジオから流れるコメントに対して、コジローとマスター、真希の三人は必死になって何かをメモしている。そして曲が流れ始めると、マスターがこう語り始めた。
「依頼人は六十代女性。どうやら政治家らしいな。面会場所は駅中にあるコーヒーショップ。時間は今日の午後四時。間違いないか?」
「はい、私も同じ内容です」
 真希がそう答えた。
「六十代女性で政治家か。おそらく県議会議員の小笠原真紀子だな」
「教育改革で騒いでいるあの女傑か」
「おそらく。小笠原議員は友民党だ。党首の土師さんも次期選挙では国会出馬を促している。といっても比例選挙区からの出馬になるだろうがな。ともかく依頼人に会ってくることにしよう。その前にマスター、ブレンドを一杯頼む」
「裏ファシリテーターの仕事、か」
 真希はコジローの姿を眺めてそうつぶやいた。
 裏ファシリテーター。
 政治や企業の世界では、通常の生活をしている一般市民には表面化しないさまざまな問題が渦巻いている。金融問題、政策問題、利権問題、そして複雑な人間関係の問題。
 これらの問題は、最終的には権力のある人間にうかがいを立てて、その意見に従うというのがその世界では慣例となっている。が、それでは泣きを見る人も、いや、泣きを見る人の方が多くでてしまうのが現実。
 しかし、いつからか「お互いが納得いく結論を引き出してくれるヤツがいる」といううわさが流れ始めた。実際にその恩恵にあずかった人の口からは、いままでにない解決策を見つけることができた、という言葉がそろったように出ている。
 そしてその人物は「裏ファシリテーター」と呼ばれるようになった。それがこの男、コジローなのである。
 コジローへの依頼は変わっている。依頼主はコミュニティFMにある裏の窓口から仕事を依頼。そしてその内容は長野はるみの声に乗せられてコジローの元へと届く。
 その依頼が先ほど流れたリスナーからのコメントである。その内容は一般にはわからないように暗号化されており、放送直前にコジローとマスター、それに真希のところへメールが届く。三人はそれを合図にラジオ番組を注意深く聴き、依頼を確認するのである。
「それじゃぁ行ってくる。マスター、念のために小笠原真紀子の調査、お願いしとくよ」
「了解!」
 コジローはそう言って、リュックをしょって喫茶エターナルを出ていった。
「てなことだ、真希ちゃん。オレはしばらく裏にこもるから、後はよろしく!」
 マスターはそう言うとバックヤードに消えていった。
「後はって……んもうっ、」
 マスターが向かったのはバックヤードの奥にある小部屋。そこは畳二畳ほどの小さな部屋である。が、最新型のパソコンが三台、その他に無線機や怪しげな通信機のようなものが棚にズラリと並べられている。
「さぁて、始めるとするか」
 マスターのもう一つの顔。それは情報屋である。しかもかなり凄腕のハッカーでもある。
 コジローは依頼があると、その依頼人の背景にあるものをマスターに依頼してとことん調べてもらうようにしている。その依頼主が語るものが本当のことなのか、その判断をつけるためだ。
 マスターが喫茶店をやっているのは、あくまでもカモフラージュ。本業はむしろこちらのほうだと言ってもいいだろう。
 そうして今日もまた、裏ファシリテーターの仕事が開始された。

「はい、はい、わかりました。じゃぁ三時半に駅の中にあるコーヒーショップですね。では羽賀にそう伝えますので。ありがとうございます」
 羽賀の事務所、電話を受けたのはミクである。
「羽賀さん、今聞いた通り、コーチングの依頼よ。依頼主は小笠原真紀子さん。三時半から駅中のコーヒーショップで待ち合わせ」
「小笠原真紀子といえばあの県議会議員の方だな。確か今教育改革でがんばっている」
「うん、私も知ってる。でもそのおかげで右翼からガンガン叩かれているみたいね。友民党の事務所の周りっていつもうるさいのよね。きっとそれに絡んだことかしら」
「ま、行ってみればわかるさ。じゃぁ出かけるから、あとはよろしくね」
 羽賀はそう言って、さっとジャケットを身にまといバッグを手にして事務所を出て行った。
「あとはって……あっ、コラムの原稿はどうするのよ!」
 ミクがそう叫んでも、すでに羽賀の姿はそこにはなかった。

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