見出し画像

コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第2章 忍び寄る影 その4

「あ、そういえば」
 私はある事実を思い出した。
「なにか思い出しましたか?」
「えぇ、私になにか渡されなかったかってことで言われたので、なかなか思い出さなかったのですが。私じゃなくて優馬には渡しました」
「な、何を渡したんですか?」
「この写真の時、夫は息子の優馬におもちゃを渡したんです。ベビーカーにつけるための」
「そ、それは今どこに?」
「家のベビーカーにつけたままです」
「ジンさんっ」
「おうっ。紗織さん、家の鍵を貸してください」
 私は言われるがままにジンさんに家の鍵を渡した。ジンさんはそれを受け取ると、大きな体からは想像できないくらい素早い身のこなしで、事務所を飛び出して行った。
「まだやつらが気づいていないといいけど」
 羽賀さんがイラついているのがわかる。でも、夫がスパイでハッカーだったとして、それがこの先何を引き起こすのか。それが私にはわからない。私は思い切って羽賀さんにそのことを聞いてみた。
「そうですね。ここまで巻き込まれたんだから、包み隠さず全てをお話ししましょう。知らないまま巻き込まれるのはゴメンですよね」
「はい。どこまで理解できるのかわかりませんが」
 私は優馬をしっかりと打き抱えて、姿勢をただした。羽賀さんは立ち上がってホワイトボードの前に立って私に説明を始めた。
「まず、信和商事とリンケージ・セキュリティ、リンケージテクノロジーの関係は昨日説明したので覚えていますよね」
「えぇ。リンケージ・セキュリティが日本政府側の組織から依頼をされて、ロシアのスパイの件を探っているっていうことですよね」
「はい。そして今、私達と敵対している関係にあります」
「そこなんですよ。どうして羽賀さんたちがリンケージ・セキュリティと敵対しているんですか? 羽賀さんたちは信和商事側、つまりロシア側の味方ってことなんですか?」
 羽賀さんは黙ってじっと私を見つめた。それが何を意味するのだろうか。
「ここからはどれだけ私を信じてもらえるか、ですけど」
 羽賀さんはあらたまって私にそう告げた。そして今度はソファに腰をおろし、私と視線を合わせている。
「はい、羽賀さんを信頼します」
「本来は守秘義務がある話ですけど。今の事態ではそうも言っていられませんからね。まず、私たちに依頼をしてきたところ、それは日本政府です」
「えっ、ちょっと待って。昨日の話じゃ、私たちの敵は日本政府ってことじゃなかったですか?」
 私は頭が混乱してきた。それはどういう意味なのだろうか?
「正確に言えば、リンケージ・セキュリティは旧日本政府です。そして私たちの依頼主は新日本政府です。今、政治はどこが実権を握っているか、ご存知ですか?」
「えぇ、今は友民党ですよね。党首の壱岐さんもかなり苦しい状況にありますが。昔の土師さんのころは、もっとイキイキとしていた気がします」
「そして、昔の第一党は?」
「相志党、ですよね。あ、そういうことなんですか」
「はい、理解していただけましたか」
 羽賀さんが言った新と旧の日本政府とは、依頼元である政党のことを言っていたのか。つまり、羽賀さんたちは友民党から依頼をされた。一方、リンケージ・セキュリティは昔の日本を牛耳っていた第一党である相志党からの依頼をうけている。そういうことか。
「でも、羽賀さんたちがどうして友民党から?」
「実はここにはおりませんが。もともとこの依頼を受けたのは別の人物です。ジンさんの仲間、と言っておきましょう。その依頼とは、ロシアとの交渉です。そのため、その人物は現在ロシアに飛んでいます」
「その交渉って?」
「これはさすがに詳しく話せませんが。まぁ簡単にいえばスパイ行為はこれ以上やめてほしいってことです」
「でも、その交渉と夫から渡された何かっていうののつながりは? どうして夫は殺されなければならなかったんですか?」
「殺されかけたのは旦那さんだけじゃないんです。実は私もそうなりかけました」
「えっ!? 何かあったのですか?」
「先日、飛行機が墜落したのは覚えていますよね」
「えぇ」
「ボク、あれに乗っていたはずなんです」
「乗っていたはずって、でもどうして?」
「まだ正体は不明ですが、飛行機に乗る直前に何者かに襲われまして。おそらくボクの身代わりになった人物が飛行機に乗ってしまったと思われます」
「でも、あれは事故でしょう?」
「表向きはね。しかし、何らかの爆発物が貨物室に仕掛けられていたという報告もあるからね。あのとき、ボクが北海道に行っていたのは、実は今の事件の調査もあったんだ。おかげで、ボクがつかんだ情報は全てパーになったけどね。で、ここからはボクの推測なんだけど」
 羽賀さんは再び立ち上がって、今度は部屋の中を歩きながら話を始めた。どうやら羽賀さんは何かを考えながら話すときには、こうやって動きながら話すくせがあるようだ。
「ボクの身柄を拘束したのは、リンケージ・セキュリティ側の人間。そして飛行機を爆破したのはロシア側じゃないかと。どちらにとっても、ボクが握っていた調査資料はあまりよろしくないものだからね」
 ロシア側にとって、飛行機を爆破しなければいけないくらい、重要な情報を羽賀さんが握っていたってことなのか。
「ということは、もしかしたら夫はその情報を?」
「おそらくは。今回、盗まれた情報はボクが入手した情報源と同じ企業のものというところまではわかっている」
「だから、リンケージ・セキュリティもロシア側も必死になってその情報を処分しようとしている。そういうことなんですか?」
「おそらくは。なにしろ相手は飛行機を爆破してしまうようなヤツラですから。人を一人や二人殺すこともやってしまう恐れがあります。だから、紗織さんを早く保護する必要があったんです」
 そのとき、羽賀さんの携帯が震えた。
「ジンさんか」
 羽賀さんは携帯をとるなり、急いで身構えた。
「ヤツら、オレたちの出方を待ってたみたいだぜ」
 羽賀さんの携帯から、私でも聞き取れるほどの大きさでジンさんの声が響いた。ジンさんの言葉が続く。
「沙織さんをオレたちが保護しているのは、ヤツらもわかっているからな。何か聞き出したらオレたちが動くだろうと思って、じっと待ってやがる。ったく、下手くそな張り込みだぜ」
「ということは、下手にベビーカーのおもちゃを取り出せないってことか。何かいい手はないのか……」
 ここで私はある案をひらめいた。
「あの……こんなのはどうでしょうか? 私、一度家に戻ります。そしてベビーカーじゃないものを取りに行きます。そうしたら、リンケージ・セキュリティもロシアの人たちも、それを狙ってくるでしょう。その隙にベビーカーにつけたおもちゃを持ってくるというのはどうでしょうか?」
「しかし、それでは紗織さんが危険だ。そんなことはさせられない」
「じゃぁ、私ならどう?」
 バンっ、と事務所の扉が開いた。そこに立っていたのは、ボーイッシュな格好をして自転車のヘルメットを小脇に抱えた女性だった。
「ミク、お前、いつからそこにいたんだ?」
「あの……こちらは?」
「あぁ、紹介します。ウチのアシスタントをやっているミクです。専門学校生なんだけど、パソコンとかの仕事をやってもらっているんです」
「それだけじゃないでしょ。羽賀さんのいろんなお世話をしています。そして、羽賀さんのコーチングの一番弟子です!」
 ミクさんは大きく胸を張って自慢気にそう言う。胸を張った割には胸がないのがちょっとかわいいけど。
「例のロシアの一件でしょ。私をのけ者にして、ジンさんやマスターとやり取りしているの、知っているんだから。大丈夫、そういうのは私にまかせて!」
 突然のミクさんの登場に、ちょっとビックリ。でも、ミクさんがどういう人なのか、優馬を見ていたらわかった。優馬は人見知りはするけれど、自分にとって味方だと思った人にはこちらから抱っこをせがむ。そして今、優馬は必死になってミクさんに抱っこされようとしている。
「わかった。じゃぁ作戦を練ろう。ジンさん、そういうことだから、一度戻ってきてください」
「了解」
 これからどうなるのだろうか? あまりの事の大きさに私は不安を隠せなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?