コーチ物語 クライアント19「女神の休日」その7
「顔見知りの女性、そういうことですか?」
石井さんが羽賀さんの言葉の続きを吐いた。羽賀さんはその言語にゆっくりと首を縦に振った。
「顔見知りの女性って、でも、誰が、どうして?」
私は何が何だか訳がわからない。
「はるみさん、落ち着いてください。まだ仮定の段階です。けれど、その線が濃厚であることは確かです」
「羽賀さん、何か根拠はあるのですか?」
石井さんは推論ではものごとを話さない人。必ず確固たる証拠を見せないと納得しないタイプである。今回も羽賀さんにその根拠を尋ねた。
「はっきりとした根拠はありませんが、消去法で行くとどうしてもそうなります。まず催眠術についてですが、これはかけられる方の意志が尊重されます。テレビのショーでは自由自在に操られているように見えますが、実のところあの人達は芸能人としてそういうふうに振舞わなければならないという使命感から、催眠術を潜在的に受け入れているのです。そう考えると……」
「まったく見知らぬ人から、突然催眠術をかけられ、記憶を操作されるなんてことはありえない、ということですね」
「はい、その通りです。さらにもう一つ、催眠術は術師と被験者との間の信頼関係が大きなポイントとなります。いくら腕のよい催眠術師でも、被験者から嫌われていたり拒否されていると術はかからないものです」
「となると、はるみの顔見知り。さらに言えば心をゆるしている相手でないと無理だということですね」
「えぇ、その通りです」
「でも、女性というのはどういう根拠で?」
石井さんはまるで取り調べの刑事のように一つ一つの事実を確認していく。私はただ黙ってそれを見ているしかない。
「はるみさんのマンションに突然訪問しても違和感のない人。はるみさんの知り合いでそんな人いますか?」
突然私に振られて、ちょっとあわててしまった。
「そ、そうねぇ。石井さんを始めとした局の仲間も私のマンションには一、二回しか来たことがないわよね」
「あぁ、しかも中に入ったことはないし。うちの仲間ではるみのマンションに出入りしているのは牧原くらいだなぁ」
「牧原さんって?」
「あ、しずちゃんのことです。ミキサーをやっている女の子です。昨日も私の家に泊まりに来てくれて。とても頼りになるんです」
私は羽賀さんにしずちゃんのことを説明した。今、私の友達の中で一番信頼のおける女性だ。
「失礼ですが、その牧原さんってどんなタイプですか?」
「どんなタイプって言われても……」
いきなり言われても、なかなか説明がつきにくい。私はちょっと悩んでしまった。だがその答えは石井さんが代わりに行なってくれた。
「そうですね。まぁ素朴で活発な女の子って感じかな。背は低くて髪もちょっとボサボサだけど。それにノーメークだし」
「その牧原さんって、いつもジーンズ姿とか?」
「ジーンズというか、オーバーオールの時が多いですね。そうだなぁ、いつもお化粧をしてスカート姿のはるみとは対局にいるって感じかな」
「やはりそうか……」
羽賀さんは意味深な言葉を吐いた。やはり、というのはどういうことなのだろうか?
「あの……ひょっとしてしずちゃんが疑われているってことですか? そんなこと、そんなことあるわけない。しずちゃんは私の一番の友だちだし。私をそんな目に合わせるなんてこと、ありえないっ」
羽賀さんの言葉を解釈すると、そういう結論になってしまう。でも、本当にそんなことあるわけない。私はしずちゃんが一番の親友だと思っている。
「はるみ、落ち着けっ。羽賀さん、やはりそうかって、どういうことですか?
はるみの言うとおり、牧原が犯人だってことなのですか?」
石井さんも羽賀さんの言葉に対しては反論してくれている。私はそうとらえた。けれど羽賀さんは石井さんにこう切り替えした。
「石井さん、おそらく心当たりがおありでしょう?」
石井さんはその言葉に黙りこんでしまった。そして、ゆっくりとこんなふうに答えた。
「羽賀さん、どうしてそれが?」
「おそらく、私が見知らぬストーカーの男性の仕業ではないということをお伝えした時から、石井さんの頭の中にはその牧原さんの姿が思い描けていたはずです」
「そ、そんな……」
「石井さん、本当なの?」
石井さんはまた黙りこんでしまった。この沈黙が、私の質問に対してイエスと言っているのと同じであることはすぐに悟った。
「石井さん、話していただけますか?」
羽賀さんの促しに、石井さんはゆっくりと顔を上げ、そして私の方をじっと見つめてこう言葉を発した。
「はるみ、落ち着いて聞いてくれ。実は牧原の様子が最近おかしいとは思っていたんだ。特にはるみ、お前を見つめるときの目が。どこか嫉妬のような、そんな感じがしていたんだ。はるみは美人だし、清楚な感じがするだろう。それでいてツンとしたところがなく人当たりもいい。男性からも女性からも愛される、そんなキャラなんだ」
石井さん、何が言いたいの? 私がそんな風に見られていただなんて、初めて知ったわ。
「でも、牧原はお前とは真逆のタイプなんだよ。チビで化粧っ気もない、髪の毛もボサボサで。オレたちにからかわれてもヘラヘラ笑って応える。飲み会に一緒に行っても、まわりの男性はお前しか見ていない。牧原がそんなお前に嫉妬しないわけがないんだよ」
「そんな……私はそんなこと思っていないわ」
「お前が思っていなくても、牧原本人がそう思っているんだよっ」
ドンっ
石井さんは机をこぶしで叩いて、くやしそうな顔をしていた。
「オレたちの仲間の中で、こんなことが起こるなんて考えたくないけれど。でもそれが事実なんだよ……」
そんな、まさかしずちゃんが。信じられない。私は言葉を失っていた。
「でも、確固たる証拠はないんですよね」
羽賀さんがボソリとそう言った。そうだ、確かにそうだ。まだ他の可能性だってある。
「大事なのは犯人探しじゃない。もしそれが事実なら、牧原の心を解いてあげること。そこが大事なんだ」
石井さんはそうつぶやいた。
「羽賀さん、ありがとうございます。オレ、牧原と話してみます。今の牧原の気持ちを救ってやれるのは、オレしかいない」
石井さんは何かを決心したような感じだった。でも、一体何をしようというのだろうか?
石井さんは携帯電話を取り出し、すぐにあるところへ電話をかけ始めた。私は羽賀さんにもう一度確認の質問をした。
「この私の出来事、しずちゃんが引き起こしたというのは間違いないんですか? 全部推測でしかないんですよね」
「はい。しかし、コジローさんでもおそらく同じ結論をだすと思いますよ。いや、私よりもむしろ確実な証拠を掴んでね。それに、私も当てずっぽうで言ったわけではないんです。マスター、いいかな?」
羽賀さんはマスターに何かの許可をとった。マスターは首を縦に振る。
「実は、私もいろいろと推理をして今回はるみさんの顔見知りの女性が行なったことではないかと考えたのです。それでマスターにお願いをして、はるみさんのお友達の情報を集めさせていただきました。そうしたら出てきたんです。牧原さんと催眠術のつながりが」
「どんな?」
「彼女、一時期不眠症と過食症で精神科医に通っていた時期がありました。その精神科から勧められて、催眠療法を行っています。その後も何度かその術師のところに足を運んでいるようですね」
羽賀さんはそう言って一枚の写真を見せた。その写真の顔、なんとなくだが記憶にあるような気がする。けれど思い出せない。
羽賀さんは付け加えてこう言った。
「彼は精神科医で催眠術療法をおこなっている叶大膳といいます。この叶医師ははるみさんの大ファンだそうです」
「なるほど、今回のバックにはこの男がいたのか」
石井さんは電話が終わったようで、私たちの会話に割り込んできた。
「おそらく。今回牧原さんをそそのかしたのはこの叶医師だと思われます。まず牧原さんが叶医師に対しての信頼をはるみさんに抱かせ、催眠術をかけやすくした。その上で一日はるみさんとデートをして、その記憶を消した。牧原さんは利用されたに過ぎないと思われます」
なんとなくではあるがホッとした。しずちゃんが悪いんじゃない、この叶という男が悪んだ。そう思うことでとても落ち着いた気持ちになることができた。
「ところで石井さんはどこに電話をかけていたの?」
「牧原だ。あいつ、もう少ししたらここにやってくる。そこであいつの気持ちにケリを付けさせてみせる」
石井さんはいつになく、熱くそう語った。
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