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コーチ物語 〜明日は晴れ〜 クライアント2 オレのやり方

 昼の居酒屋。まだ店内は静まり返っている。オレは一人で黙々と仕込みの準備。実は見習いの板前がいたんだが、ついさっきまでの会話を思い出していた。
「もう大将のやり方にはついていけません。今日限りで辞めさせていただきます!」
「おう、おめーのような根性無しはこっちもごめんでぇ。とっとと出て行きやがれ!」
「はい、そうさせて頂きます。短い間でしたがお世話になりましたっ!」
 そう言ってバシッと入り口の引き戸を叩くようにして去っていった見習い。まったく、今の若けぇやつらは根性がねぇや。うちはそんなヤワな板前はいらねぇんだよ。オレの若い頃はなぁ……
 そう思いながら、串焼きの準備を黙々とやる。ったく、仕事が増えちまったじゃねぇか。まぁもともとそんなに広くない店だし。そろそろバイトも来る時間だから。
 そう思った時、入り口の引き戸がガラガラと開いた。
「おうっ、今日は早えぇな。悪いけど串の準備手伝ってくれ」
 下を向いたままバイトにそう伝えた。だがいつもとちょっと違う雰囲気に、オレはようやく顔を上げた。
「なんだよ、はっちゃん今日は一人か?」
 そこにいたのはバイトではなく、ちょいと疲れた中年のオヤジ顔であった。
「なんだ、ひろしさんか。今は仕込みで忙しいんだから」
「なんだ、はねぇだろう。さっきおめぇんとこの若い衆がすごい形相で出ていったのを見たからよ。心配になって来てみたんだが。はっちゃん、また若いのと喧嘩して辞めさせたのかよ?」
「辞めてったのはあいつが勝手に出ていったんだからよ。まったく、今の若けぇのは根性がねぇや。オレが若い頃はよぉ……」
 言いながら自分のことを思い出していた。蜂谷喜助、通称はっちゃんと呼ばれている。高校を卒業してすぐに料理の道に入り、全国を渡り歩いていろいろな店で修行を積んだ。いわゆる渡りの板前だ。
 だが二年前、おふくろが病気になりこの街に戻ってきた。そのときに世話になったのが今目の前にいるひろしさん。高校時代の先輩だ。ひろしさんは柔道部の一つ上の先輩で、ひろしさんの気風の良さに惹かれて、いつも金魚のフンみたいに後ろにくっついていた。おふくろは残念ながらそのあとすぐに死んじまったけど、ひろしさんのおかげで今ではこの店「だるま屋」を営むようになった。
 ひろしさんは今でもこうやって時々オレの店に来ては、いろいろと世話を焼いてくれる。まぁありがたい人だ。
「ったく、はっちゃんの気の短さをどうにかしねぇと、この店もやっていけねぇだろう。次々と人が辞めてっちまうんだからよ」
「ひろしさん、それはちょいと違うな。オレは自分の料理にこだわりがあるんだから。そこを理解できねぇんじゃ、弟子は務まらねぇよ」
「まぁお前がそう言うんだから、あまり口出ししねぇけどよ。でも、最近は客の入りも減ってきてるだろう」
「ひろしさん、心配ありがとよ。でも大丈夫だよ。ここは長年全国各地でいろんな料理を手がけたオレの腕で客をしっかりと取り戻してやっからよ。ま、安心して見てなって」
 口だけでそう言っているのではない。一流と言われる料亭でも修行を積み、最後は店からもぜひ残ってくれと言われるのを振りきって、おふくろのために泣く泣くこの地に戻ってきた身だ。それなりの自信はある。
 それにうちの店のコンセプトは、一流料亭の味を庶民価格で、というのがウリだ。なぁに、オレの腕でなんとか店を盛り返してやらぁ。
「まぁそれもいいけどよ。今日ははっちゃんにちょいと提案があってきたんだよ。今度な、ウチのビルの二階に新しい住居人が入ってな」
「あぁ、あの空き部屋だったところか。で、どんなヤツが入ったんだ?」
「羽賀っていうやつなんだけどよ。コーチングってのをやっているんだ」
「へぇ、コーチングね」
 ひろしさんの話に耳を貸しながらも、目線は下ごしらえの方に向いていた。恩のある先輩だから耳を貸すけど、そうじゃなければ仕事のジャマだからとっくに叩き出していたところだ。
「でな、はっちゃんの店を盛り返すためにも、羽賀のコーチングを受けてみてはどうかなと思ってやってきたんだよ」
「今さら板前のコーチなんかいらねぇよ」
「いや、板前のコーチじゃねぇんだよ。なんて言えばいいんだろうなぁ。経営のやり方を指導してくれるというか、うぅん、難しいなぁ」
「そんなコンサルタントの先生なんかいらねぇって。仕込みが忙しいんだから、もうその話はいいよ」
「コンサルタントじゃねぇんだけどなぁ」
「その話は今度飲みに来た時にゆっくり聞いてやるからよ」
「おはようございます」
 ちょうどいいタイミングでバイトのやつがやってきた。
「ほら、これから仕込みが忙しくなるから、またな」
「じゃぁ、今度羽賀を連れて飲みに来るからよ。そのときにゆっくりな」
「はいはい」
 生返事だけをしてひろしさんを追い返した。ったくコーチだかなんだか知らねぇが、オレはオレのやり方で行くんだっての。
 その翌日、平日にもかかわらず六時前から六名の客が入ってきた。いつもなら七時を過ぎねぇと客が入らないのに。
 だがこの客というのが、また普通じゃねぇ。どこからどう見ても、まぁなんというか、カタギには思えねぇ風貌だ。特に一番奥にいるあの客。まるでブルドッグのようなにらみ顔で、子どもがいたら泣き出すんじゃねぇかという風貌。
「いらっしゃい」
 しばらくすると、今度は男性と女性二人の登場。こっちはまともな客のようだ。男性は背が高くてなかなかの色男。二人も女性をはべらかすなんて、世の中不公平だよなぁ。
 それにしても六人組の客はうるせぇなぁ。もうちょっと静かに飲めねぇのかよ。うちの店は高級料亭の味を庶民価格でってことで売っているんだから。もっと料理も丁寧に食べろっての。
「オヤジ、ビール追加だ、ビール持って来い!」
「オレは焼酎、焼酎をグラスで持って来い!」
「はいはい、ただいま。おい、あっちの客にビールと焼酎だ!」
 バイトに指示を出してすぐにビールと焼酎を持って行かせる。目線は三人組の注文した料理に向いている。ったく見習い板前が辞めちまうから、忙しくてしょうがねぇや。早く次を見つけねぇとなぁ。
 このとき、事件は起きた。
「おいこら、これ間違ってんぞ! どこに目をつけとんじゃわりゃ!」
「あ、はい、すいませんっ」
 どうやらビールと焼酎を持っていったバイトが何か間違いをやらかしたらしい。オレは手がけていた焼き物から手が離せなかったので、しばらくそのままにしていたのだが。
「おい、オヤジ。おめぇんとこはどんな教育をしてんだよ。オレが頼んだのは焼酎のロックだろう。なのにこんな薄い水割りを持ってきやがって!」
 あのバカ、焼酎の時はロックか水割りかお湯割りかを確認しろって言っておいたのに。
「はい、今すぐに取り替えますので、しばらくお待ちを」
 焼き物から目線を外さずにそう答えた。だがその態度が客の怒りをさらに悪化させちまったようだ。
「おい、おめぇ、人と話すときは目を見て話せって教わらなかったのか?」
「あ、あいすいません。今ちょいと料理から目を外せなかったもので」
 焼き物を皿に盛り付けると、慌てて変わりの焼酎のロックを持って客のところに謝りに行った。
「ほんとすいません。こいつがミスしちまって」
 バイトの頭を抑えて、しっかりと謝罪をする。だが、客の怒りはさらにエスカレートしていく。
「こぉら、バイトの責任はこの店の主人のおまえの責任だろうが! 責任は取ってもらうぞ」
 おいおい、何を言い出すんだ。やっぱりこの人達、本職のあっち系なのか……。
「な、何をすればいいんで……」
 一番奥に座っている、ブルドッグ顔の男がオレをじっと睨んでいる。まさか、指を詰めろなんて言わねぇよな。
 すると、そのブルドッグ顔が口を開いた。
「おい、おめぇ。自分を何様だと思っているんだ? さっきから見てりゃ、バイトを手足のようにこき使いやがって。そしてその挙げ句が『こいつがミスしちまって』だと? いくらおめぇんとこのバイトとはいえ、人を見下すのもいい加減にしやがれっ!」
 ビクッとして、その場にすくんでしまった。このブルドック顔、やっぱカタギの人間じゃねぇ……。男の言葉はさらに続く。
「だからおめぇんとこの店はいつまでたってもこうなんだよ。いっつも人が辞めちまうんじゃねーのか? それに、料理の味も二流だ。おめぇがどこで修行したかしらねーけど、こんなの食わされたんじゃ客も二度とよりつかねぇや」
 オレの味が二流だと!? 高級料亭の板長まで任されたおれに向かってなんてことを言いやがる。思わずそう反論したくなったが、ここは拳を握りしめてグッと耐えた。何しろ相手はカタギじゃねぇ。ここで逆らうととんでもねぇことになりそうだ。
「今回の落とし前はきちんとつけてもらうぜ。バイトの責任は店主であるおめぇの責任だからな」
 きたっ。一体何をやらされるんだ?
「そうさなぁ、今回の責任をきちんと取るために、おめぇには修行をしてもらおうかな。そう、店の経営のためのよ」
 へっ? このブルドッグ顔の男の言っている意味が、今ひとつ理解できない。ど、どういう意味だ?
 あっけにとられているオレの顔を見て、男はさらに言葉を続けた。
「おめぇは今まで、自分の店は自分の好きなようにしていいって思っていただろ。それが今の結果を招くんだよ。わかってんのか? おめぇは今まで、料理をやってりゃよかったただの料理人だ。しかしな、今のおめぇは小さくても立派な経営者だろうが。その経営者が人の使い方一つしらねぇで、よくも店をやってこれたもんだ。だから腕は立つのに、料理が二流なんだよ。その心が味にしっかり出てらぁ」
 うっ、痛いところを突かれた。確かに料理の腕には自信があるが、人を使う経営者としての自覚はなかったからなぁ。
 このとき、オレの脳裏にひろしさんの言葉が思い浮かんだ。確か同じようなことを言ってたよなぁ。コーチをつけろ、とか。なんて言ったっけ、そのコーチの名前。もうちょっとしっかりひろしさんの言葉を聴いておけばよかったなぁ。
 そんなことが頭の中でグルグルと渦巻いていると、ブルドッグ顔の男から信じられない言葉が飛び出した。
「ってな感じでいいんだよな、羽賀ぁ」
 へっ、羽賀? そういや確かひろしさん、そんな名前を言っていたような気がするぞ。
 そのとき、隣の座敷にいた三人連れの男性がこちらに顔を出した。
「竹井警部、ご協力ありがとうございます。いやぁ、さすがの名演技! それに他の刑事さんたちもありがとうございます」
 えっ、刑事!? ってことは、この連中あっち系の人たちじゃねぇんだ。それにご協力ありがとうってどういうことだ?
「ったくよぉ。飲み代出してやるからちょっと演技を手伝ってくれって言われたときはなんなんだと思ったけどよ。でもこういうのも結構楽しいな。わぁっはっはっ!」
 竹井警部と呼ばれたブルドッグ顔の男がそうやって豪快に笑い出す。すると周りにいた人達も、いままで厳つい顔でこちらをにらんでいたのが、一転してとても和やかな顔つきに変わった。
 このとき、店の扉がガラリと開いた。そしてそこにいたのは……
「ひ、ひろしさん」
「はっちゃん、脅かしてすまねぇな。でも、このくらいのことをしねぇとお前さんわかってくれねぇと思ってよ」
「ひ、ひろしさんが仕組んだことかい。冗談にしちゃ、ちっとひどいんじゃねぇかよ!」
 思わずひろしさんにつっかかった。だがそれを制したのは三人組の一人の女性であった。
「あ〜ら、ひどいのはどっちかしら。竹井警部の言うとおり、私にはこの料理は二流、いやそれ以下にしか見えないわ。このお店、高級料理店の味が大衆価格で味わえるっていうのがウリじゃなかったっけ? それが格好だけ高級っぽくて、よく見たらアラだらけ。味もよっぽどお父さんがつくったカレーの方がましだったわよ。よくもこんな料理を平気で出していたわね」
「舞衣、オレのカレーと比較するんじゃねーよ!」
 舞衣さんって、確かひろしさんの娘さんなのか。そういや死んだひろしさんの奥さんも、スパスパと歯切れよくものを言う人だったよなぁ。
「まぁまぁ、舞衣さんも落ち着いて。確かにボクも舞衣さんの言うとおりだと感じました。見た目はとても綺麗なのに、この焼き魚は焼きムラがあったし。それに煮物も味が濃いところと薄いところがあると感じました」
「な、なにおぅっ、素人がぬかすんじゃねぇ!」
 その言葉に思わず反論。だがブルドッグ顔の竹井警部が黙ってオレに皿を差し出す。食ってみろ、という意味なのだろう。オレは自分の作った料理を口にしてみる。
「えっ、ど、どうして……そんなはずじゃ……」
 確かに羽賀さんの言ったとおりだ。自信を持って出していた料理の味にムラがある。今までそんなことに気づかなかっただなんて。料理人失格だ。
 オレはその場でへたりこんでしまった。経営はともかく、味だけには自信があったのに。
「蜂谷さん、これが事実なんですよ。ひろしさんはいち早くそこに気づいて、蜂谷さんをなんとかできないかってボクに相談があったんです。それに、従業員が次々と辞めていってしまう。本当は腕の立つ職人なのに、あまりにも自分に満足しきってしまい、味も人づかいもだんだんと悪い方向へ行ってしまっている。これをどうにかならないかって、必死にボクに訴えてきたんです。だからちょっと大芝居をうってみました。この点についてはごめんなさいね」
 そ、そうか。オレの料理って、オレの店ってこんなに悪い方向へ向かっていたのか。愕然と肩を落とす。しかし、そんなオレに一筋の光をさしてくれる言葉が。
「でもさ、この料理っておもしろいじゃない。これ、普通の居酒屋じゃ出してくれないわよ」
 隣の座敷にもう一人座っていた女の子。さっきの舞衣さんよりも若そうだ。
「あら、ミク。まだ二十歳にもなっていないのに居酒屋なんて出入りしてるの?」
「まぁまぁ、舞衣さんそう堅いこと言わないの。でもさ、私こう見えても結構グルメな方なのよ。味については舞衣さんや羽賀さんが言ったとおりだけど、こういった料理が手軽に味わえるなんてなかなかないわよね。今までにない味なのは確かだわ」
 ミクと呼ばれた女の子は、料理を一つ、また一つと口にパクリと運んでくれた。
「ミクの言ったとおり、もともと持っている技量や独創性、さらには基本的なものは他のお店ではなかなか見ることはできませんよ。これは蜂谷さんの強みではないでしょうか」
 羽賀さんはそういって、オレのつくった料理を一口パクリ。そしてさらに言葉を続けた。
「これだけきちんとしたものがつくれる人だ。一度自分自身と向かい合ってみることで、何が足りないのかはすぐに出てきますよ」
「そうよ、その通りよ。はっちゃん、悪いことは言わねぇ。ここは一つこの羽賀に任させてみなって。こいつのコーチングなら、はっちゃんのいいところをさらに伸ばすことができるからよ。おれが保証するよ」
「そのひろしさんの保証があてにならねぇからなぁ」
「何おぉ、オレの言葉は三年間の保証書付きでぇ。よぉし、じゃぁちょいと賭けてみねぇか。おまえさんが羽賀のコーチングを受けて、この店が繁盛すればオレの勝ちだ。そんときゃオレに毎晩ビール一杯おごれよな。羽賀のコーチングを受けて繁盛しなけりゃ、羽賀のコーチング代はオレが持ってやらぁ。これならおめぇは損はしねぇだろ。どうでぇ、のってみるか?」
「よぉし、ひろしさんがそこまで言うんだったら、羽賀さんのコーチングとやらをうけてやろうじゃねぇか。ここにいる皆さんが証人だ。ごまかしはきかねぇからな」
「おうよ、望むところよ。ってことで、羽賀よ、後はよろしく頼んだぞ!」
 なんだかわけのわからないうちに、羽賀さんのコーチングを受けることになってしまった。羽賀さんもなんだかとまどってはいたが。なにしろ賭けの対象になってしまったんだから。
 ところで、コーチングって一体なんなんだ?
 その翌日から、羽賀さんのコーチングがスタートした。いつもより三十分早く店に出ることに。ここで羽賀さんが何やら指導してくれるらしい。まぁしばらくは騙されたと思って受けてみるか。
「蜂谷さん、おはようございます」
 おはようございます、といっても世間一般では昼の時間。だがオレらの業界では出勤してきたときはたとえ夕方であろうと夜であろうと、最初の挨拶はおはようございますと決まっている。羽賀さん、その辺は心得てるんだな。
 それにしても羽賀さんって男は笑顔に嫌味がねぇな。オレから見てもなかなかの好青年ってかんじだ。
「おう、来たか。まぁ入んな」
 店の前の掃除をさっさと済まして、後を追うように店に入った。
「でよ、昨日から気になってたんだけど。コーチングってなんなんだよ?」
 お茶を入れながらそう質問。
「コーチングですね。ま、これをお答えする前に蜂谷さんにちょっと聴きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ん、なんだよ?」
「えぇ、実はボクは今一人暮らしで食事はどうしても外食が多くなっちゃうんですよ。もしくはインスタント食品とかカップ麺とか」
「そいつはよくねぇな。そんな食生活ばかりやってたら、腹はふくれても体にガタがきちまうぞ」
「蜂谷さんも聞くところによると一人暮らしなんですよね。お食事とかどのようなところに気をつけているんですか?」
「オレか、オレの場合はよ、朝はどうしても遅くなっちまうから昼飯が朝飯のようなもんなんだよ。その代わり、昼飯をしっかりと取るようにしてるんでぇ」
「へぇ、具体的にはどんなメニューで?」
「そうさなぁ、まず白いご飯に納豆、これは欠かせねぇな」
「白いご飯に納豆か。それから?」
「あとは日によって違うけどよ、野菜は店の残りの煮物があるからこれでとっているだろ。それから…」
「それから?」
「う〜ん、あとは店の残りものが多いからな。よく考えてみたらこれといったことはやってねぇな」
「なるほど。ではもう一つ質問していいですか?」
「なんだよ?」
「今よりもさらに健康に気をつかった食事にするとしたら、あとはどのようなものをメニューに加えますか?」
「そうだねぇ、野菜はしっかりと取れていると思うから。とはいえ、よく考えたら芋の煮っ転がしとか肉じゃがみたいなものが多いな。ってことは炭水化物が多いって事か。もうちっと繊維質をとらねぇとな」
「なるほど、繊維質ね。その他には?」
「う〜ん、こうやって考えたらタンパク質が足りねぇかな。オレは魚ってのはあまり食わねぇんだ。どちらかというと肉が好きだね」
「だったら、どうしますか?」
「魚をもうちっと食うようにするか。そう考えると、店のメニューも考えなきゃな。やはり日本食はヘルシーが売り物だからよ。魚中心のメニューなんてのも女性や年寄り受けするかもな」
「へぇ、魚中心のメニューか。おもしろそうですね、それ」
「おぉ、こりゃ早速アイデアを一ひねりしたくなっちまったな」
「ここまで話して、なにか思ったことや感じたこと、ありますか?」
「いやいや、なんか久々に創作料理をこしらえたくなっちまったよ。それに、オレの食事メニューも見直しできたし。健康的だと思っていたけど、もうちっとバランスを取らなきゃいけねーんだよな」
 腕組みをして、もう一度自分の食生活を振り返ってみた。
「ところでよ、なかなかいいアドバイスじゃねぇか。羽賀さんよ、おまえさんどこかで栄養学なんての勉強したのかい?」
 ふと今までの会話を振り返って、羽賀さんにそう伝えた。ところが、羽賀さんから返ってきた答えは意外なものだった。
「いやいや、私は先ほど言ったとおりインスタントものばかりとっている不精者ですよ。そんな勉強なんかしたことありませんよ」
「でもよ、やけに的確なアドバイスじゃねぇか?」
「蜂谷さん、良く思い出してみて下さいね。ボクは蜂谷さんにどんなアドバイスしましたか?」
「え、だってよ、もうちょっとバランスのいいメニューをって……」
「ボクはそんなこと、一言も言っていませんよ。それ、蜂谷さんが自分でそう答えたんじゃなかったでしたっけ?」
「そうだっけ? そう言われりゃそうだが」
「はい、実はこれがコーチングなんですよ」
「え、ど、どういうこってぇ?」
「ちょっと解説しますね。ボクは今まで蜂谷さんに質問をしただけなんですよ。『どんなところに気をつけて食事しているか』とか『具体的にはどんなメニューか』とか。さらには『健康に気をつけるならどんなメニューを追加するか』ってこと。あとは蜂谷さんが勝手にしゃべってくれただけですよ」
「するってぇと、魚中心の創作料理をつくるっていうのも……」
「はい、蜂谷さんが自分自身で出した答えなんです。自分で出した答えだから、『よし、やってみよう』って気になるでしょ」
「ま、確かにそうだな。で、これがコーチングってのかい?」
「そうなんです。ボクは料理については素人です。専門知識は持ち合わせていないんです。けれど、こうやって料理の専門家から答えを引き出すことはできます。これがボクの仕事、コーチングなんですよ」
「へぇ〜、世の中にはおもしれぇ仕事があるもんだ。だったらよ、昨日言っていた店の売り上げをアップさせるってのも、オレが答えを出すってことかい?」
「はい、答えは全て蜂谷さん、あなたの中に眠っていますからね。ボクはそれを引き出すサポートをするだけですよ」
「よし、気に入った! さっきまではよ、おまえさんが口うるさく『ああしろ、こうしろ』と指図するんじゃねぇかと思ってよ。オレはオレのやり方でいきてぇんだ。ここはオレの店だからよ。でも、それじゃいけねぇってのも昨日わかったからな。そうか、オレがこの店を良くするための答えを持っているのか」
 あらためて自分の店をゆっくりと眺めてみた。そうか、オレがオレ自身の手で店を変えていくのか。頭の中には、開店当時のにぎわいを見せていた店の風景が描かれていた。そして胸の奥から、なんとなくワクワクするものがこみ上げてきたことに気づいた。
 その日から羽賀さんが来るのが楽しみになってきた。新メニューの開発から店のレイアウト変更、さらにはバイトの教育について。オレにいろいろと質問をしては答えを引き出す。そこでオレはハッと気付かされる。そして改善。こうしていくうちに、オレ自身に活気が出てきた。
 こうやって羽賀さんのコーチングを受けだしてから二週間ほど経ったとき。いかにも営業マンという若造がいきなり訪問してきた。
「私、こういうものです。今回は蜂谷さんの料理人としての腕前を耳にしましてご訪問させてもらいました」
 ビシッとしたスーツに七三分けの髪型。アタッシュケースがいかにもって雰囲気を醸し出している。
「なになに……四星商事エリアデザインプロジェクト、軽部さん。え、あの有名な四星商事!」
 この軽部という男の出した名刺を見て驚いた。四星商事といえば日本を代表する、何でも取り扱うという一流商社。そのくせ本社は東京ではなく創設者の地元であるこの地にあるという、この地域でも自慢のできる会社である。そんな会社の人間がこんな料理屋に訪問してくるとは。一体どんな要件でオレのところを訪れてきたんだ?
「すでにご存じと思いますが、今度駅前に大型商業施設『セントラル・アクト』が立ち上がります。この中の目玉の一つとして『テイスト・ジョイ・タウン』があります。ここには一流の料理店を並べ、味わうことを楽しんでいただこうと思っているのです。そこで、蜂谷様にもお手伝い願えないかと思いまして」
 チャンス! 直感的にそう思った。つまりオレの料理人としての腕が認められたってことなんだからな。早速詳しい話を聞くことにした。
 軽部が言うには、テイスト・ジョイ・タウンには一流の店が並ぶゾーンがあるらいし。そこではジャンルが被らないように出店者を四星商事で選んでいるとのこと。そこの日本料理部門でうちの店を出して欲しいということだ。
 さらに開店資金や運営資金については四星商事が有利な形で貸してくれるという。しかも、食材の仕入れや物資の調達、店作りに関してまで四星商事が面倒を見てくれるっていうじゃねーか。どこをどう見ても、オレにとっては有利な条件ばかり。
 思わずその場で「契約書を早く出せ!」と言ってしまいそうな勢いにかられてしまった。が、軽部の次の一言がその勢いを止めてしまった。
「ただし、出店に当たって一つ条件があります。メニューに関してはテイスト・ジョイ・タウン全体の水準を維持していく必要があります。そのため、私たち四星商事を始めテイスト・ジョイ・タウンの運営側で基本のものを企画させていただきます。とはいっても、その他の部分については基本的には蜂谷さんの思ったとおりのお店づくりをやっていたければよろしいのですよ」
 おいおい、肝心のメニューに関して口出しをしようってのかよ。ここはプロのプライドとしてちょっと譲れねぇところだ。むしろ店づくりはそっちがやって、味のほうをオレに任せてくれねぇとな。
「蜂谷さんもいろいろとお考えがあるでしょう。つきましては詳細資料と契約書をお預けしておきます。三日後にまたお伺い致しますので、そのときにはぜひ私たちが満足できるお答えを出されることを期待していますよ」
 軽部はメガネの奥から目をキラリと輝かせて、オレの方を見つめる。その目は羽賀さんと対照的に、少し冷たい感じを受けた。何かが潜んでいるようで、怖さも感じる。
「それでは三日後に、よいお返事をお待ちしております」
 そう言って軽部が店を出ようとした時、入れ替わりに羽賀さんが現れた。
「どもっ! すいません、今日はちょっと遅れちゃいました」
 このとき、軽部の顔色が変わった。
「は、羽賀先輩……」
「おっ、軽部くんじゃないか。久しぶりだねぇ」
 えっ、この軽部ってのと羽賀さんは知り合いで、先輩、後輩の仲なのか。
「軽部くん、今日は仕事で来たのかな?」
「え、えぇ。羽賀先輩こそどうしてここに?」
「いやぁ、こちらの蜂谷さんにお世話になっててね」
 お世話になっているのはこっちの方なのに。そう言いたかったが、黙って二人の会話を見ることにした。
「はぁ、そうなんですか。しかし、羽賀先輩も変わりましたね。昔はスーツをビシッと決めて、キリッとした印象が強かったのに。今ではポロシャツにジャケット、そしてチノパン。ちょっとラフになっていますね。」
「いやいや、自転車だからね。ホントはもうちょっとラフにいきたいんだけど。それにボクはもう営業マンじゃないからね。ただのコーチだよ」
「先輩、いつまでそんな偽善者のような仕事を続けるんですか。ボクはあのころの、四星商事でもトップセールスを誇っていたあのころの羽賀先輩にあこがれていたからこそ、今があるんです。先輩は僕ら四星商事セールスマンのあこがれだったのに」
 えぇっ、羽賀さんが四星商事のトップセールスマンだって!? 四星商事のセールスマンといえば、その気になれば一般家庭にミサイルまで売ってしまうのではないかという強者と聞いている。そのためには、多少強引な手を使ってでも相手に契約のハンコを押させる、という噂まである。
「で、軽部くんはどうしてここに?」
「それはさすがに企業秘密です。といっても、見たところ羽賀先輩と蜂谷さんとは仲がよろしいようで。きっと蜂谷さんの口から聞くことができますよ」
「ま、おおかた予想はついているけどね。四星が蜂谷さんの腕を見逃さないわけがないからなぁ。駅前に大きいのもできることだし」
 羽賀さんのその言葉に、軽部は一瞬渋い顔をした。羽賀さんは軽部のその顔を見て一言。
「軽部くん、まだまだポーカーフェイスの練習が甘いよ。今のハッタリで全てが図星だということがわかっちゃうじゃない。これじゃ、お客様にすぐに君の、いや四星のたくらみなんてばれちゃうよ」
「し、失礼します!」
 軽部は羽賀さんのその言葉に怒ったのか、最後の一言を残して店を逃げるように飛び出していった。
「軽部くん、ホントにまだまだ青いよ。さて、それよりも蜂谷さん」
「は、はい!」
 羽賀さんから突然名前を呼ばれて、ガラにもなく緊張してしまった。羽賀さんの方を向く。その眼はいつもの通り、柔らかで安心感を与えてくれる。さっきの軽部ってやつの眼とはやはり対照的だ。
「もしボクが今から言うことが当たっていれば、だまってうなずいてください」
 何が始まるのかと思ったが、とにかくこの場は羽賀さんの言うとおりにした。オレは黙って羽賀さんの言葉に大きくうなずいた。
「軽部くんは蜂谷さんに、駅前商業施設『セントラル・アクト』への日本料理店の出店の話しをもってきた」
 大きくうなずく。
「さらに、出店にあたっては、融資の面や資材・食材の面で面倒をみてあげる、そう約束すると言った」
 さらに大きく、うなずいた。
「但し一つだけ条件があるともちだした」
 ここまで的確に言い当てた羽賀さんにびっくり。
「その条件とは、メニューの決定権。これを四星側で行うというもの。いかがですか?」
「いやいや、なんでここまで言い当てることができるんだよ…」
 羽賀さんがそこまで言い当てたことに対して、不思議でならなかった。しかし、羽賀さんの口から出された言葉は一番納得できる回答であり、さらには一番困惑させる回答でもあった。
「なんてことはないですよ。この事業プラン、もともとボクが企画したものなんですから」
 羽賀さんはちょっと伏し目がちにオレを見ながらそう答えた。
「え、羽賀さんが……そ、そうか。羽賀さんは元四星商事のセールスマンってことだったよな。ってぇことは、まだ何か隠してやがるってことか? おい、いってぇ何を隠してやがんでぇ。事によっちゃ、タダじゃおかねぇぞ!」
 先ほどまでの黙ってうなずいていた態度から一変し、問いつめてやろうという気持ちがあふれて言葉が乱暴になってしまった。が、羽賀さんはそれを冷静に受け止める。
「えぇ、ボクが元四星商事のセールスマンってのは確かです。が、今はただのコーチですよ。それよりも蜂谷さん、あの軽部くんの提案を聞いて、出店についてどの程度前向きに考えているのですか?」
「なんでぇ、あの話か。ま、まぁ悪くはねぇと思っているがな。けどよ、メニューまで口出されたんじゃ料理人としてはちょっとな」
「メニューに口を出されると、その先はどうなるんですか?」
「その先ねぇ……」
 羽賀さんのその質問で、一度冷静になって考えてみた。出店に当たっての条件は悪くねぇ。悪いどころかこちらに有利なものばかりだ。集客だってあの施設だったらうまくいくだろう。が、どうしても何か一つピンとこねぇ。それは何なんだ。
「メニューに口を出されると……オレ独特の料理がだせねぇ。ってことは、オレのやり方ってのがうまくいかねぇってことになるな。どうも窮屈でいけねぇや」
「それから?」
 オレの答えに羽賀さんはさらに質問を重ねた。
「それから……あれだけの施設に出店するんだから、オレ一人じゃ料理は作れねぇ。そうなると料理人を雇う必要があるわな。そう考えると、オレばかりが料理をやっていたら効率が悪くなる。ある程度決まったメニューってのは店内を回しやすくはなるかな」
「そうなると、蜂谷さんの味というのはどのように広がるんでしょうね?」
「オレの味? そうさぁな、全くのオリジナルってわけじゃないが、オレに続く料理人が育ちやすくはなるわな」
「そこなんです! 四星の狙いは!」
 羽賀さんが険しい顔をして突然立ち上がり、大きな声で叫んだ。
「四星商事は新しく食の世界へ進出しようとしています。狙うのは全国主要都市での高級料理を中心としたチェーン化。そのためには一流といわれる人間の味をコピーする必要があるのですよ。チェーンですからね、各店に味の格差をもたせないように」
「そりゃそうだろう。でもよ、それと今回のことがどうつながるんでぇ?」
「蜂谷さんの味が四星商事側にコピーされた後、あなたはどのような待遇を受けると思いますか?」
「待遇……そうさな、総料理長とかいって、いい待遇を受ける……」
「なんて甘いことを、厳しいコスト競争にいる商社が考えるとお思いですか?」
 羽賀さんのその言葉に、一瞬背筋がゾッとした。
「ってことは……そのときにオレは……」
「そう、味が完全にコピーされればオリジナルは不要。その先は今蜂谷さんが頭の中に描いている通りですよ」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれよ! するってぇとオレは味を広げるために利用されるってことか!?」
 羽賀さんは無言でうなずいた。
「だったらよ、当然この話はお断りだ!」
「しかしそうもいかないでしょう。あの四星商事のことだ。今度は蜂谷さんが敵に回らないように、あの手この手で妨害にでることは間違いないでしょう」
「だったらどうすりゃいいんだ……」
 オレと羽賀さんは向かい合って腕組みをしたまま、うなだれて黙り込んでしまった。
「羽賀さん、あんたそんな冷酷なプランを四星商事時代に考えてたのか?」
「あの頃はそれが正義だと思っていました。けれど今は違う。蜂谷さん、私を信じてくれますか?」
 その羽賀さんの真っ直ぐな目は、オレの判断を直感的に決めさせてくれた。
「わかった、羽賀さん、あんたを信じよう」
 そして二日後。軽部が約束した日付より一日早く、先に連絡をとってヤツに来てもらった。
「こんにちは、蜂谷さん」
「おう、軽部さんか。待ってたぜ」
「今回はお電話頂き、ありがとうございます。まさか蜂谷さんの方からご連絡をいただくとは思わなかったもので。本当にありがとうございます」
「いいってことよ。こっちもよ、あれからいろいろと考えたんだけどな。やっぱこの話……」
「この話……?」
「この話、いいわ! 最高だね。こんな条件でやらせてもらうなんて、オレもツイテル証拠だよな。うわっはっは!」
 豪快な笑い声と返事に、目の前の軽部は半分驚いているようだ。
「あ、ありがとうございます。しかし、羽賀さんとお知り合いの蜂谷さんからOKの返事がもらえるとは思わなかったな」
「ん、なんでぇ。なんか言ったか?」
「いえいえ。で、早速なのですが、契約となるともう少し詳しいお話をさせて頂こうかと思うのですが、時間はよろしいですか?」
「おう、もちろんでぇ」
 オレは腕組みして、シャキッとした姿勢で事にのぞんだ。
「ではですね、スケジュールの説明をさせていただきます。すでに資料でごらんになったとは思いますが、このテイスト・ジョイ・タウンは六ヶ月後からスタートとなります」
「だよな。だからオレもこの店を半年後には閉めなきゃいけねぇからな」
「実はここでもう一つ条件が。このテイスト・ジョイ・タウンは高級料理と高級雰囲気を比較的安価で楽しんで頂くことが目的です。そのため、従業員訓練が必要となります」
「ほぉ、それで?」
「はい、そこで従業員についてもこちらの方で人選し、二ヶ月前から訓練を始めます。そのマニュアルづくりに関しては、今回出店して頂く各店の責任者の方と一緒につくり、さらには訓練にも講師として参加して頂く予定となっております」
「なるほどねぇ。さすがは四星商事さんだ。やることが徹底しているねぇ」
 そのやり方に思わず感心してしまった。
「ありがとうございます。さらには、今回蜂谷さんは抱えている料理人がいませんよね。とはいっても、出店に際しては料理人が一人というわけにはいきません。ですから、日本料理に関しての料理人もこちらでご用意させて頂きます」
「ほぉ、そいつはありがてぇ。でもよ、腕は確かなんだろうな。素人を育てている暇なんざこっちにはねぇからな」
「はい、それはおまかせください」
「ってことは、オレの味もすぐに覚えてもらえるわけだ」
「えぇ、もちろんです。そのくらいの人選はやりますからね」
 にやりと笑い、次の質問を投げかけた。
「なるほど。ところでよ、メニューのことなんだが」
「はい、なんでしょう?」
「メニューについてはそっちで考えるって事だったよな。これ、どういう意味があるのかもう一度説明してくれねぇか?」
「あ、メニューですね。これはテイスト・ジョイ・タウンの品質レベルを一定以上に保つための策なんです。確かに料理人としては、メニューについてもご自分で創作したいと思われるところでしょう。しかし、このテイスト・ジョイ・タウンはここだけに納めず、全国へ展開しようと思っております。そのため、全国の品質を一定水準以上に保つためには、味のマニュアル化もある程度必要なもので」
「でもよ、それじゃファミレスと変わらねぇじゃねえかよ」
「いえいえ、提供するのはあくまでも一流の味です。ファミレスと一緒にして頂いては困ります」
「だから、画一化したメニューにして、味のコピーをしやすくする。そういうわけか?」
「まぁ、ニュアンス的にはそうなりますね」
 軽部のやつ、少し緊張しているのかハンカチで額にじわりとかいた汗をぬぐい始めた。ここでオレはもうひとつ質問を。
「ところでこのテイスト・ジョイ・タウンは全国に何店舗広げる予定なんだ?」
「え、予定ですか? う〜ん、まぁ蜂谷さんだから話してもいいかな。まだ公にはなっていませんが、まずは全国主要都市の七カ所。さらには二十カ所以上を今考えています」
「するってぇと、オレの味がほぼ全国に広がるってワケだ。すごいね、こりゃ」
 この言葉に、軽部は笑顔を取り戻した。逆にオレは腹の中でさらにニヤリ。ここで軽部に会心の一撃を食らわせた。
「じゃぁよ、全国にオレの味が広がったときに、オレの知名度も当然アップするんだよな」
「え、ち、知名度ですか?」
「そうよ。だってよ、あの日本料理の蜂谷様がつくった料理が手軽に食べられるって評判が立つんだろ?」
「え、え……それは……」
「なんだよ、違うってぇのか?」
 わざと大声で軽部に言い寄った。軽部のやつはたじろいで、再び額の汗をハンカチでぬぐっている。
「ほら、前に料理人がテレビで流行ったじゃねぇかよ。あのくらいとはいわねぇけどよ、全国に俺の名前が広がるのは間違いねぇんだろ?」
 軽部は言葉が詰まっている。そうだろう。なにしろ、はなっから切り捨てるつもりでオレに言い寄ったんだから。ここについてイエスとはうかつに言えねぇはずだ。オレの言葉はさらに続く。
「なんだよ。違うってぇのか? ってことは、オレの味をコピーするだけの目的で、オレに近づいた。そうなんだな」
 軽部の冷や汗はさらに増しているようだ。うつむいたまま何も言わずにじっとしている。そしてしばらくの沈黙。この沈黙を破ったのは軽部の方だった。
「そ、それについては……名前を広げることについてはお約束できません」
 軽部は声を振り絞ってこう言ってきた。おれはそれに追い打ちをかけるように、意地悪っぽくこう質問した。
「ってことは、どういうことだい?」
 さらに沈黙が続く。
「あ……そ……それは……」
 そして、軽部が口を開こうとした瞬間、
「蜂谷さん、そろそろこのくらいでいいでしょう。軽部くんも困っているようだし」
 そう言いながら、一人の男が奥から出てきた。我らが羽賀コーチである。
「だ、だましたな!」
 軽部のやろう、羽賀さんの顔を見るなりこう言いやがった。しかし、羽賀さんはその言葉にも冷静に答えた。
「あらあら、だまそうとしたのはどちらかな? ま、それが四星商事流の営業方法だってことは、ボクが一番知っているからね。それが嫌で、四星を飛び出したボクがね」
「こ……こんなことして、四星商事を甘く見ないで下さい!」
 羽賀さんは軽部のこの言葉にも冷静に対応。
「甘く見ないで……ということはどうするのかな?」
「ど、どうするって……それはあなたがよく知っている事じゃないですか」
「軽部さんとやら、その話はぜひ具体的に聞きたいな」
 そうセリフを吐きながらもう一人奥から、警察手帳を見せながらある人物が出てきた。一見するといかついブルドッグのような顔つき。眼光はするどく、目の奥からは何かを引きずり出されそうなものを感じる。竹井警部の登場だ。
「今のセリフを聞いてな、勝手に思ったことだが。軽部さんとやら、どうだい、一つ聞いてみるか?」
 竹井警部は軽部に向かってそう言い放った。そして「聞いてみるか?」と尋ねたにもかかわらず、その続きを勝手にしゃべり出した。
「ここで蜂谷がノーと言えば、四星商事の仕入れルートを使ってこの店にはろくな食材が集まらなくなる。しかも、どこからともなく店の悪い噂が流れてくる。味が落ちただとか、ろくなものを使っていない、とか。しかし、食材がろくなもんじゃねぇからそれは残念ながら真実になっちまう。そうやってこの店をじわりじわりと締め付けちまう。そして追いつめられた蜂谷の店は……」
 冷や汗をかきながら竹井警部の話を聴く軽部。
「そ、それはあくまでも憶測ですよね」
 震えながらも、なんとか笑顔で対応しようとする軽部。だが、誰が見てもその言葉と態度から無理矢理この場を取り繕おうとしているのがわかった。
「で、軽部くん。四星商事を甘く見ると、この先どうなるのかな?」
 意地悪っぽく言葉を発する羽賀さん。それに続いて竹井警部が、さらにはオレが軽部をじっと見つめる。
「し……失礼します!」
 軽部はあわてて書類をカバンにしまい込み、駆け足で店を飛び出していった。
「わぁっはっはっ、おとといきやがれ!」
 大笑いしながら塩を撒いてやった。してやったりだ。
「でもよ、こんなんでよかったのか? 羽賀よ。この蜂谷の店はこれで守れたのか?」
 竹井警部は心配そうに羽賀に尋ねた。
「大丈夫ですよ。軽部くんもバカじゃない。自分の失敗を会社に正直に話すなんて事はしないでしょう。それに飛び出していったのは軽部くんの出した答えですからね。おそらく蜂谷さんの店に関しては、すべてなかったことにするでしょうね」
「自分で出した答え、これがコーチングってやつだったよな」
 竹井警部はわかったような口ぶりでそうつぶやいた。
「ところで蜂谷さん」
 羽賀さんが突然言葉をかける。おもわずドキッとしてしまった。
「は、はいっ」
 授業中に居眠りしていたところを先生に指名されたときのように、声が裏返ってしゃきっとして返事をしてしまった。
「今回のことで、蜂谷さんが頭に描いた理想のお店というのがあったんじゃないでしょうか? それ、ぜひボクに聞かせてくれませんか?」
「理想の店……そうだなぁ……そうそう、店の雰囲気がよ、なんちゅーか水墨画の世界なんだよ。今のこの店みたいにごちゃごちゃしてなくて、色がシックに統一されているんだけど、見る人によって自分の色が付けられるっていうか。なんか抽象的でうまく伝えられねぇなぁ」
「なるほど、水墨画かぁ。他にはどんなイメージが湧きました?」
「おう、料理もよ、ちゃんとした器にのって、上品に一品一品出てくるんだよ。オレは板場からしゃきっと指示してな。そうさな、オレの他に二人くらい料理人がいてよ。オレの味を引き継ぎながらそいつらが考えたメニューを試させてみるんだ。そうしていつも新しい味を求めながら、お客さんに喜んでもらえる。そうありたいねぇ」
 語りながら自分の世界に浸っていた。
「だったらよ、それを実現させようじゃねぇかよ」
 そう言葉を発したのは竹井警部であった。警部はさらに言葉を続けた。
「そんな店だったら、行ってみたくなるよなぁ。大衆居酒屋ばっかじゃ、飽きちまうしよ。いつ行っても落ち着くんだけど、いつも違う味が楽しめる。そんなのがいいなぁ」
 竹井警部も腕組みしながら、自分の世界に浸っているようだ。
「だったら、まず蜂谷さん自身の何を完成させましょうか?」
 羽賀さんはそう質問してきた。
「オレの何を完成させる?」
「そう、完成です。まだ蜂谷さんの中で何か不足している。私にはそう思えたし、そう聞こえたんですよ」
「完成か……」
 オレは店をぐるっと見回し、一つの言葉が浮かんだ。
「統一感……そう、統一感かな。いや、一貫性といったほうがいいか。さっき言った水墨画の世界なんてのは全く感じねーな。そう、いい意味でのオレ流が全く出てねぇよな。どちらかというと、悪い意味でのオレ流、オレのやり方がこの店にはあふれている。自分の中の一貫性がまったくねぇから、この店にはありとあらゆる要素がゴチャゴチャ置かれている。だから落ち着きがねぇんだ」
 オレは独り言のようにひらめいた言葉を口にしていき、何が足りないのかを自覚していくことができた。
「蜂谷さん、だったら蜂谷さんの理想とするオレのやり方、オレ流をぜひボクに見せて下さいよ。水墨画の世界の、シックに統一されたお店。ボクもそこでクイッと日本酒を飲んでみたいなぁ」
 羽賀さんはそうリクエスト。オレもその声に応える。
「おっし、まかせとけよ。こうなりゃオレのやり方、オレの道をとことん極めてやるぜ!」
「だったらよ、何から手をつけるんだ?」
 そう質問してきたのは竹井警部。
「警部、そのセリフはコーチであるボクの決めぜりふですよぉ。ボクの仕事、とらないで下さいよぉ〜」
 羽賀さんは竹井警部をこつきながらそう言った。困ったような口ぶりだったが、その顔は笑いがあふれていた。その笑顔につられて思いっきり笑う。笑いながら、オレの世界をつくるための第一歩に必要なことを考え始めていた。
 コーチング、これを受けてとてもよかった。そしてオレたちの頼れる味方の羽賀さん。こんな存在が身近にいると思うと、安心してコトが進められるな。
 途中で羽賀さんを疑ってしまったが、やはり信じて正解だった。ひろしさんの言うとおりだった。よし、ここからが本当の『オレのやり方』のスタートだな。さて、どんな店をつくろうか。ワクワクしてきたぞ!

「なるほどな、あの蜂谷というやつを巻き込むのは失敗したか。まぁよい、代わりはいくらでもいるからな。軽部、今回はご苦労だったな」
「はいっ、す、すいません……畑田専務のご期待に添えなくて……」
 四星商事ビルの専務室。あの軽部がこの部屋の主である畑田専務に報告をしている。畑田専務はそのセリフとは逆に、異常に厳しい顔つきをしていた。その顔つきは、軽部の次のセリフを聞いてさらに険しくなった。
「羽賀先輩が……じゃまをしなければ……」
 畑田専務は机から体を乗り出して、軽部に近づいた。
「なにっ、羽賀だとっ。あの裏切り者が! 軽部、その話をもっと詳しく聴かせろっ」
 これには軽部も驚いた。いつも冷静沈着というイメージを持つ畑田専務が、こんなに慌てるようにして言い寄ってくるとは。
 軽部は一部始終を話す中で、フツフツと羽賀への復讐の気持ちが強くなっていることに気づいた。なんとかしてイッパイくらわしてやりたい。そのとき、あるプランがまた頭を横切ったのであった。
 四星商事と羽賀コーチ。裏切り者とは一体何があったのか。さらには畑田専務と羽賀の間にも一体何が……?

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