コーチ物語 クライアント29「桜、散る」その8
ミーヤンを探すたびに出てから早くも二ヶ月が経とうとしていた。季節は初夏。もうじき梅雨もくるという季節。
僕はあれから、予備校に通い始めた。まだ何にチャレンジをしていくのか、それは見えていない。けれど、今はとにかく前に志望したよりもレベルの高い大学に行くことを望んでいる。とにかく、自分が今できることを精一杯やってみる。それしか頭にない。
「イサオ、今日はどうするんだ?」
予備校に通い始めてできた友達、名前はなんと三浦という。周りからはミーシンと呼ばれている。三浦真也が本名だから、というのが理由らしいが。
「そうだな、ちょっと行ってみようかな」
同じ予備校通いのミーシン。彼はちょっとおもしろいことをやっている。それが障害者のアート施設のボランティアスタッフ。高校の時に学校のボランティアでここを知り、そこの障害者と触れ合っているうちに楽しくなって。予備校通いを行っている中でも、気持ちを切り替えるために週に一度くらいにここに通っているという。
そして僕も、気がつけばこのミーシンに引っ張られて。一緒になってこの施設に通い始めた。
「おぉ、イサオくんも来てくれたのか。助かるよ」
ここの施設長である慎一さん。この人と一緒になって障害者の要望を聞き、その人達のサポートをするようになって。僕は人と触れ合うことがこんなに楽しいということに気づいた。
「二人とも、勉強は大丈夫なのかい?」
これが慎一さんが口癖のように僕たちに言う言葉。心配しての言葉というのはわかるんだけど。
「大丈夫ですよ。こうやって気持ちを切り替えて、リフレッシュしてからのほうが勉強にも身が入りますから」
ミーシンはそう言う。まだ僕はそれが実感できていないけれど。でも、第一回目の模試では自分でもびっくりするくらいの点数がとれていたからなぁ。確かに、気持ちを高めて勉強に臨んでいるせいもあるのだろうけど。
「いさお、あれ、みせて」
電動車いすで近づいてきた石田さん。彼は言葉に少し難があるけれど、とてもやさしくていつも助けられている。その石田さんが好きなのがこれ。
「はい、どうぞ」
そう言って僕は自分のスマホを取り出し、一枚の写真を見せる。
その写真は、桜並木で桜の花びらが舞い散っている景色。あの千葉からの帰りに偶然電車の窓から撮れた一枚だ。
「石田さん、この写真好きだよね」
「うん、さくらがこんなにちっているの、めずらしいから」
そう言って石田さんは自分の作品作りにとりかかる。今とりかかっているのは、その写真をモチーフにした大きな絵画。障害者なので一つ一つの動作がどうしても手間取り、時間が僕たちの何倍もかかってしまう。けれど、作品に向かう石田さんの姿はまさにチャレンジャー。僕も見習わないといけない。ここに来ると、いつもそんなことを思い出させてくれる。
「おっ、今日も来ていたんだね」
「あ、羽賀さん!」
そう言って現れたのは、コーチの羽賀さん。ここで出会ったのは全くの偶然だった。聞けば羽賀さんはこの施設のスタッフ教育に関わったことがあり、それ以来時々ふらっと顔を見せてくれるとのこと。
「石田さん、桜の絵はすすんでる?」
「うん、いさおのおかげで」
「そうか。ボクもイサオくんの旅の話を聴いて、桜が散ることが次へのチャレンジなんだっていうことにとても感銘を受けているんだよ」
そんなふうに捉えてくれるとうれしいな。実はここにいるミーシンも、予備校入学直後にたまたまその話をしたらすごく感銘を受けてくれて。以来のつきあいとなったんだ。
「オレさ、イサオがそばに居てくれると、なんでもできそうな気がするんだよなぁ。なんか心強くて」
「えっ、そうなの?」
ミーシンからそんなこと言われたの、初めてだ。しかも突然に。
「あはは、ミーシンは前からそう言ってたよね。大学を落ちた時はかなり落ち込んでいたけど。すごく勇気が出る友だちができたって喜んでいたからね」
慎一さんがそんなことを言ってくれる。僕は羽賀さんの顔を見る。羽賀さんは黙ってにっこりとうなずく。
そうか、そういうことだったのか。僕はミーヤンを探して自分の心の支えを見つけようとしていた。けれど今は逆。僕がミーシンの心の支えになっている。僕も同じ。ミーシンがいるからこうやってこの施設に足を運ぶようになったし。勉強もやる気が出てきたし。
人は支えあって生きている。なんか昔のテレビドラマにそんなセリフがあったよな。でもそれは間違いない。思い出せば、ミーヤンを探す旅に出た時に出会ったおばちゃんたち、そしてミーヤンのお父さん、さらには僕の父さんに支えられていた。もちろん、母さんにも、そして他の友だちにも支えられている。それをあらためて感じている。
今まで、僕がだれかを支えているなんて感覚は今までなかったな。そうか、そうなんだよ、僕が僕であるためには、僕も誰かのためになって動いていくことが大事なんだ。
「イサオくん、また何か気づいたことがあるかな?」
「はい、羽賀さん。よかったら聴いてくれますか?」
「もちろん」
桜散る季節に出会った思い出。そして今。僕は人として育っていくために大切なことをたくさん学んだ。そしてたくさんの人と出会った。今度は僕がたくさんの人の支えになる番だ。
僕の未来。それはまだはっきりとはしていない。けれどチャレンジは続けていく。思いついたことをとにかくたくさんやってみる。そしてたくさんの人と出会っていこう。
「イサオ、これからもよろしくな」
「もちろん」
ミーシンと固い握手を交わし、その想いを強く胸に抱いていく。死んだミーヤンの分まで、悔いのないように人生を生きていこう。そこから道は開かれるのだから。
<クライアント29 完>
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