コーチ物語 クライアント30「ハイヒールをはいて」その4
突然羽賀さんに誘われた。別にデートに行こうというわけではないのはわかっているけれど。でも、男性にそうやって声をかけられるなんていつ以来だろう。いや、仕事の上では似たような声をかけられることはある。でも、相手を異性として意識なんてしたことがなかったし。
「あ、お忙しいですか?」
羽賀さんのその言葉で我に返った。
「い、いえ、大丈夫です」
「じゃぁ、コーヒーでも飲みながら。外の喫茶店にでも行きましょう」
「は、はい」
なぜだか緊張してしまう。私が相手のことを意識しているせいかもしれない。きっと羽賀さんは私のことをそんなに意識はしていないはず。うん、間違いなく仕事がらみで私に時間をとらせたに違いない。でも、こういう気持ちも悪くないな。
羽賀さんと行った先は近所にあるコーヒーショップ。大手チェーン店のものだ。私もよく商談でここを使うことがある。他にも、一人で考え事をするときなんかも。オフィスで考え事をすると、どうしても行き詰まることが多くて。そんなときは外に出るに限るからな。
「お時間とらせてしまってすいません。三枝さん、でしたよね」
あらためて羽賀さんから名前を呼ばれるのは多分初めて。
「はい」
「三枝さん、今度立ち上がるWプロジェクトでリーダーをやっていただけるんでしたよね。これにあたって、社長からぜひ三枝さんのお手伝いをしてほしいと頼まれまして」
やっぱり仕事がらみか。というか、当然よね。ここで私は背筋を伸ばしていつもの営業スタイルに立ち戻った。
「それはありがたいです。何しろ集められたメンバーを私がうまくコントロールできるのか、そこが不安で」
「ははは、コントロール、ですか。三枝さんらしい言葉だな。でもちょっと直感で感じたことをお伝えしてもよろしいですか?」
「え、なんでしょうか?」
「もし外れてたらごめんなさい。三枝さん、今、背伸びしていませんか?」
「背伸び、ですか?」
「はい。ビジネスウーマンとしてこうあるべきだって気持ちが強くて、本当の自分を覆い隠している。そんな感じを受けたんです」
「ど、どうしてそれを?」
羽賀さんの言葉があまりにも図星だったので驚いてしまった。動揺した私に対して、羽賀さんはこんな言葉を。
「いや、さっきこれから話をしようかと思ったらすごく構えをとったでしょ。背筋を伸ばして、急にキャリアウーマンって感じの顔になって。その顔と毎朝お会いしている時の顔があまりにも違いがあったので。だからひょっとしたら仕事の顔とプライベートの顔を使い分けているんじゃないかって思ったんです」
そうか、羽賀さんには朝のすっぴんの私を見られていたんだった。その顔と今の顔があまりにも違っていたのでそう思ったんだな。
「ボクは朝の三枝さんの顔のほうが本当の顔じゃないかって思ったんです。その方が自然だし、とてもいきいきとしている。今の仕事の時が悪いってわけじゃないんです。でも、あまりにも違いがあったからそう思っちゃって」
この人、私のことをすごく見てくれている。ほんの僅かな時間しか顔を合わせていないのに、ここまで私のことを見抜いているなんて。そう思った瞬間、なぜだか私の肩と背中の力が抜けてきた。同時に顔の筋肉も緩んできた。
「羽賀さん、すごいですね。こんな短時間で私のことをそこまでわかってくれるなんて」
「まぁ、商売柄沢山の人を見てきましたから。つい観察をしてしまうのがクセになっちゃって。で、三枝さん、ここから一つご提案なのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「今回のWプロジェクト。成功させるためには大きなコンセプトが必用になります。ターゲットを絞って、そこに向けてどんなメッセージを伝えるのか。そこを考える上で、三枝さんを始めとした四人の多角的なものの見方、考え方が必用になります」
うん、それはわかる。確かに誰をターゲットとした商品開発をするのかで、そこに込められるメッセージ性が違ってくる。これはマーケティングの基本中の基本だ。
「それで、提案とは?」
「はい、今回は私もWプロジェクトを裏で支えるメンバーのひとりとしてご協力させていただきます。だから、もっとメンバーのことを知りたくて。よかったらちょっとした懇親会、開きませんか?」
まぁ、それは私も考えていた。今回選ばれたメンバーは、私を含めそれぞれが深い知り合いというわけではない。そんなに大きな会社じゃないから、お互いのことは知っていても、そんなにふれあいというのはなかったはず。だから、これから一緒にやろうというメンバーの意思疎通を深める意味でもそういう会は必用だと思っていた。
「もちろん、それはやりたいと思っていました」
「よし。で、それにあたって実は私から企画のご提案です。懇親会って単なる飲み会で終わりそうだから、ちょっとした事をやりたいなと思って」
「ちょっとしたこと、ですか? 一体どんなことを?」
「それはですね……」
ここから羽賀さんは紙を取り出し、そこに懇親会の流れを書いて説明をやり始めた。ここで提案された羽賀さんの懇親会の内容、これは今まで聞いたことも体験したこともないようなもの。でも、ちょっとワクワクしてしまう。
「という感じなんです。いかがですか?」
「うん、なんだかおもしろそう。ぜひやってみたいですね。でも、ほぼ一日使っちゃいますけど、ご家庭を持っている方もいるから大丈夫かな?」
「そこは任せて下さい。実はこの案、すでに社長から了解をもらっていますから。業務として行っていいって。だから平日にやろうかと」
すでにそこまで用意周到であったとは。羽賀さんには驚きだ。けれどこれからちょっと楽しくなりそう。うん、うまくいけば気持ちも楽になるかな。なにしろ羽賀さんがついてくれているんだから。
私は日程を来週の水曜日に決め、早速メンバーに伝えることに。なにしろこのプロジェクトは来週の月曜日にはスタートする。さすがに初日にやるのは気が引けるし、翌日も業務の流れをつくるのに必用だと思ったから。だから水曜日に行うことにした。
「えぇっ、この日は私服でいいんですか? やったぁ、どんなの着て行こうかなぁ。楽しみだなぁ」
これが総務の宮原さんの反応。
「はい、わかりました。ではそのようにいたします」
うぅん、経理の飯島さんは型通りの反応だな。
「わっかりました。じゃぁ私、お弁当つくっていきまーす!」
張り切った返事は管理部の桐山さん。相変わらず軽いノリだな。
よし、これで準備OK! でもここで困ったことが。私はこの日、どんな服装をしていこうか。私服でいいといったものの、いつもスーツ姿だし。プライベートで私ってどんな服を着ていたっけ? トレーニングウェアか、プライベートの外出でもちょっと見栄を張ったパリっとした服しか着ていない。あれ、私ってどんなのがいいんだけ?
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