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コーチ物語 クライアント19「女神の休日」その8

 程なくしてしずちゃんがエターナルにやってきた。到着するなり、石井さんはしずちゃんに責め寄る。
「牧原、正直に言ってくれ。今回のはるみの一連の騒動、お前が関係しているんだな」
 しずちゃんはいきなりそう言われて、伏し目がちになってしまった。その態度が石井さんの質問に対する答えであることは明らかだ。
 エターナルにしばらく沈黙が走る。その沈黙を破ったのは羽賀さんであった。
「石井さん、牧原さん、まずは落ち着きましょう」
 そう言葉をかけた矢先、しずちゃんが言葉を発した。
「私だって、私だってちやほやされたかったのよ。私なんか女扱いされなくて、いつもはるみの影に隠れて、誰も私のことなんかみてくれていなかったじゃない。だから、だから……」
 そう言って泣き崩れるしずちゃん。まさか、私のことをそんなふうに見ていただなんて。
 私がしずちゃんに駆け寄ろうとしたとき、私よりも先に動いた人がいた。
「そんなことはねぇっ。オレはいつもお前を見ている。お前の頑張りをいつもちゃんと見ているんだよ」
 石井さんである。石井さんはしずちゃんの肩をしっかりと掴んで、そして大きな声でしずちゃんに言葉をかけた。
 石井さんの言葉はさらに続く。
「オレはお前とコンビが組めて、毎日が楽しいんだよ。でも仕事の上では上司と部下だ。だからお前に冷たく当たったり厳しくしたこともある。でもな、オレはお前を単なる部下として見てたんじゃない。オレは、オレは……」
 しずちゃんが顔を上げる。石井さんとしずちゃんの目が合う。石井さんは真剣な目でしずちゃんを見つめる。そして……
「オレはお前のことを女として見ている。他の誰よりも、お前のことを大事に思っている。オレはお前のことが好きだっ」
 まるでドラマの一場面を見ているようだった。けれどそれは決して架空の物語ではない。今目の前で起きている真実のストーリー。
 思わず涙がこぼれてきた。石井さん、しずちゃんのことを思っていたんだ。
「でも……でも、私はこんな格好で、こんなブサイクで、こんなことしでかして……」
「オレがいいって言うんだからいいんだよっ。オレはお前のことが好きなんだから。だからもういいっ。今回のこともオレがもっと早くお前に自分の気持ちを伝えていれば起きなかったことなんだから」
「石井さん……」
 石井さんはしずちゃんをギュッと抱きしめる。しずちゃんもそれに応える。二人の間には上司と部下を超えた心の関係が築かれた瞬間だ。
「石井さん、ありがとうございます。そして牧原さん、おめでとうございます。さ、二人ともこちらへ」
 羽賀さんは二人を一旦席へと案内した。マスターが気を利かせてコーヒーを二人に運んできた。
「すいません、なんかこんなことになっちゃって。オレがもっと早く牧原に自分の気持ちを伝えていれば、こんなことにならなかったのに」
 石井さんはそう言ってみんなに頭をさげる。しかしちっとも申し訳なくない。むしろうれしいくらいだ。
「ごめんなさい。私が悪いんです」
 しずちゃんも気持ちが落ち着いたのか。ようやく今回の一連のことを話し始めた。
 今回のことについては私たちの推理通りだった。私に対して嫉妬の気持ちを持ったしずちゃん。そのことを精神科の叶医師にカウンセリングで話したそうだ。そのときに私への嫉妬の気持ちもい喋ったということ。そこで叶医師からこう言われたそうだ。
「その根本原因を断ち切らない限りは、いくら治療しても今の状況がまた出てしまいますよ。そうだ、私がお手伝いしますから長野はるみへその気持をうまくぶつけてみましょう」
 しずちゃんが言うには、叶医師のカウンセリングではいつも頭がポーッとなった状態だったとか。そこで叶医師の言うことはなんでも受け入れていたという。
「なるほど、彼は牧原さんに暗示をかけていたようですね。おそらく割と最初の段階で牧原さんがはるみさんと関係していることを掴んでいた。それをうまく利用して、なんとかはるみさんに近づこうと策略した。こう考えて間違いないでしょう」
「となると、悪いのは叶って医者か。ったく、自分の都合のいいように患者を操るなんて。羽賀さん、なんとかならないですか? このままじゃ腹の虫が収まらないですよ」
「そうですね。確かにこのまま野放しにしておくわけにはいかないでしょう。かといって、暴力的に出るわけにもいかないし。刑事的に訴えるのも難しいし。なにかいい手はないかな……」
 このとき、私の頭の中でピンとひらめくものがあった。
「もう一度、その叶って医者とデートしてみるってのはどうかな?」
「はるみ、どういうことだ?」
「それはね……」
 私はとある計画を提案してみた。
「それははるみを危険な目に遭わせることになる。そんなことはさせられない」
 石井さんは猛反対。
「でも、催眠術は相手との信頼があって効くんでしょ。それに今回はみんながついてるし。私も叶ってやつにガツンとやってやりたいし」
「羽賀さん、大丈夫なんですか?」
「そうですね。では保険として一つだけ仕掛けをしましょう。今回も牧原さんが一緒にいることになると思います。端から見ていてヤバいと思ったら、彼女に外部から刺激を与えてもらいます。その仕掛けはこちらで用意しますので。牧原さん、協力してくれますよね?」
「私にそんな役目を……はるみ、私でいいの?」
「何言ってんのよ。この役目ができるのはしずちゃんしかいないじゃない。私はしずちゃんを信頼してる。だからぜひしずちゃんにやってほしいの」
「はるみ……」
「よし、そうと決まれば早速作戦決行だ。田坂のやつはまだ局にいるよな。木下も呼んで作戦会議を開こう」
 石井さんの舵取りで私の提案の作戦が進められることになった。なんだかワクワクしてきちゃった。

「はい、ではこの光をじっと見つめてください」
 次の日曜日、作戦は決行された。今、私の部屋には精神科医の叶がいる。そして私にまた催眠術をかけようとしている。私の横にはしずちゃんがいる。おそらく前回も同じように私に催眠をかけたのだろう。だが前回と違うのは、私がそれを知ってかけられようとしているところだ。
「今から十数えると、あなたはふかーい催眠に入ります。ひとーつ、ふたーつ、みーっつ……」
 やばい、意識がぼんやりしてきた。だがここで太ももと二の腕に刺激が走る。しずちゃんがスイッチを押してくれたんだ。そのおかげで意識を保つことができた。
 羽賀さんが用意してくれた仕掛け、それはスイッチを押すと体に軽い電気が走るというもの。そのスイッチをしずちゃんが握っている。私は痛みをこらえて意識を正常に保ち続けた。しかし、催眠にかかったふりをしなければいけない。あとは私の演技が重要になる。
「いいですか。これからあなたはとても大好きな人と外に出てデートを楽しみます。その大好きな相手は目を開けると、目の前に現れます。では今から三つ数えると、あなたの目は覚めます。いち、に、さん」
 パチン。叶の指を鳴らす音と共に目をパチリと開ける。なるほど、前回はこれで私は操られていたのか。だが目を開けても目の前に見えるのは叶の姿だけ。なんとか正気を保っているな。よし、そろそろいいかな。
「なるほど、そうやってこの前も私を操っていたのね」
「えっ、ど、どういうことだ?」
 叶はびっくりした表情をみせる。と同時に隣の部屋から石井さん、田坂さん、木下くん、そして羽賀さんが登場。
「君の催眠の様子はすべて見させてもらったよ。さすがは精神科でカウンセリングに催眠術を使っているだけあるな。だが、それを悪用してはいけないなぁ」
 羽賀さんが叶に迫る。
「な、なにを言っているのかな。私は今彼女に治療をほどこしていたんだよ」
 言い訳にならない言葉を発して逃れようとする叶。
「なるほどね。で、その治療というのはこのセリフが必要なんだね」
 石井さんが見せたのは、私を催眠誘導する叶の姿。これをカメラで撮影していたのだ。その場面をパソコンで見せる。
「これは催眠を悪用したという証拠になるなぁ。さて、これを警察に突き出すことにしようかな。そうすればあなたの医師免許も剥奪されることになるでしょう。さ、行きましょうか」
 羽賀さんはそう言って、みんなを外に誘導。みんなも羽賀さんについていこうとする。
「ま、待ってくれ! そ、それだけはやめてくれ! 悪かった、私が悪かった。もう二度とこんなことはしない。だからそれだけはやめてくれ!」
 慌てふためく叶。ここで再び石井さんがにんまりとした表情。
「はい、いい絵が撮れたねぇ。これでしっかりと自白したことになりましたね。今の言葉も録画させてもらいましたから。叶さん、あなたはそれなりの制裁を受ける必要がありますよ。このビデオは警察に提出させていただきます。あとは然るべき処置を受けてください。では」
 泣き崩れる叶。これで私たちの腹の虫も収まった。
「はるみ、本当にごめんなさい」
 しずちゃんがあらためて私に謝ってくる。
「ううん、もういいの。それに今回はしずちゃんもこの叶に操られていたんだから。それよりも、おかげでしずちゃんも大きな収穫を得たじゃない」
「えっ、そ、そうかなぁ」
 急に照れるしずちゃん。
「そうだな。石井、お前牧原のこと頼んだぞ。ったく、上司と部下から恋人同士かよ。これじゃミキサールームが熱々で入れやしねぇや」
 田坂さんが二人を茶化す。が、二人はまんざらではないという表情。
 とりあえず一件落着。
「羽賀さん、今回はありがとうございます。で、あらためて一つお願いしたいことがあるんですけど」
「ん、なんでしょうか、はるみさん」
「私に、どうやったらこの二人みたいにステキな男性が見つかるか、それをコーチングしてもらえませんか?」
 場は一気に笑いのムードに包まれた。でも、私は本気なんだから。いい相手を早く見つけて、楽しい休日をすごせるようにがんばらなくちゃ!

<クライアント19 完>

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