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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第三章 真実とともに その6

 その日の夜、妻が帰った後にモバイルパソコンを開く。そこで羽賀さんからもらったマイクロSDの情報を見ようと試みた。
 モバイルパソコンは妻に自宅から持ってきてもらった。
「あなたって、仕事の鬼よね」
 そう皮肉を言われてしまったが。確かに、自分の家族が安心して暮らせる社会をと思ってはいるものの、家族のために時間を使うことが少ない。せめて入院している時くらいは仕事を離れて、というのが妻の言い分なのだろうが。
 ともかく、今はこの情報を入手しなければ。その思いでパソコンの画面を開いた。
「なんだ、これは?」
 入っているのはテキストデータ。だがそれはただの数字の羅列でしかない。一瞬、バグかと思ったがそうではないと確信した。羽賀さんがこんな間違いを犯すわけがない。
 しばらくその数字を眺めていたら、あることに気づいた。
「そうか、意外に単純かも」
 私はその数字を十六進数に変換。これはエクセルで簡単にできる。その十六進数に変換したものをASCIIコードに変換。
「ビンゴ」
 そこにはちゃんとした文章となったものが表示された。ごくごく単純な暗号化であり、専門家が見ればすぐに見破られる程度のものである。が、普通の人が見てもなんのことかわからないので、むやみに情報が漏れることはない。
「どれどれ……」
 私はそこに書かれている文章に目を通した。
「えっ、まさか、そんな……」
 それはジンさんの調査結果だった。まず羽賀さんから伝えられていた二人の石塚さんの件。その主だった意味が書かれていた。
 石塚さんが無くなる前に私たちがハッキングで入手しようとしていた情報。これを得るために石塚さんがやっきになっていたことは私も知っている。が、ハッキング先からデータを入手した時間には石塚さんはなんと家族と一緒に買物をしていた事が判明。つまり、ハッキングをしたのは石塚さんではなく別の人と考えられる。
 なるほど、それで石塚さんが二人いるということになったのか。では誰がもう一人の石塚さんだったのだ?
 ジンさんの調査結果を読み進めていくと、さらに深い疑問点が湧いてくる。
 なんと、石塚さん普段の仕事の時から、ハッキングの肝心な場面になると必ずと言っていいほどどこか別の場所に姿を現しているのだ。
 いくつか例が掲載されている。これは私も記憶にあるものばかり。というか、私と直接対決をした事例ばかりじゃないか。ジンさんはこの情報を一体どこから入手したのだ?
 私と直接対決をしていたであろう時間に、石塚さんは打ち合わせと称して外部の人間とカフェで目撃されていたり、車を運転していたり、果ては温泉に旅行に行っていたりしている。
 では私が対決したのは誰なんだ? どう考えてももう一人石塚さんがいるとしか思えない。その二人の石塚さんがロシア側とリンケージ側に別れて、それぞれに情報をリークしていたということなのか? これはまだ推測の域を出ることはできなかった。
 石塚さんに関しての情報は今の時点ではここまで。羽賀さんが別れ際に言ってくれた「二人の石塚さんの謎が解けそう」という言葉に期待しよう。
 そしてもうひとつの情報。これは誰が石塚さんを陥れたのかということ。これについては私以外の他の三人のメンバーについての調査結果が掲載されていた。
 まず最初に出てきたのがリンケージ・セキュリティの大磯。私が今一番疑っている男だ。
 大磯については意外な事実が判明した。大磯は十五年ほど前に事故で奥さんと幼い子どもを亡くしている。独身だとは聞いていたが、そんな過去があったとは。
 しかもその事故は航空機事故。つい先日羽賀さんが巻き込まれたあの事故に似たことが十五年も前に起きている。その犠牲になったのか。
 あの事故は何かがエンジンに追突をしてトラブルが起きた、というのが一般的な見解である。が、裏では北朝鮮かロシアによる破壊工作ではないかという説も囁かれていた。あの事故が起きたときには、そういったゴシップ記事が三流週刊誌に連載で掲載されていたのを今でも憶えている。
「ひょっとして大磯は十五年前の事故と今回の事故のケースが酷似していることを感じているのかも。だからといって石塚さんを落とし入れなかったという理由にはならないが……」
 次は石塚さんの同僚で川崎という男。実は私は彼には一回しか会ったことがない。まぁそれは当然のことだろう。何しろ相手は私たちの敵である会社の人間なのだから。メールの連絡でしか川崎の人となりを知ることはなかった。
 この川崎、めっぽう正義感が強いみたいだ。といっても、その正義の考えには偏りがあるようだが。ようは自分が信じたものに関してはとことんはまり込むタイプということだ。
 信和商事でロシア側のスパイ行為をやっていたのも、今のままでは世界の軍事バランスが崩れてしまうという信念からということ。だが今はロシア側に加担しすぎると逆にバランスを崩してしまう。だからこそそのバランスを保つために今回私たちのミッションに参加した、ということだ。
「なるほど。となると石塚さんを陥れる動機になるえるものはあるだろうか」
 その私の疑問については、次の一文が答えてくれた。
『正義感の強さ故に、周りに対しての疑心暗鬼が絶えない性格であると分析される。場合によってはその原因を排除する傾向がある』
 そうであるならば、この川崎が一番怪しいことになる。二人の石塚さんの行動、ロシア側とリンケージ側に情報を漏らしていたことをこの川崎が知ったら、真っ先に不信感をいだき、それを排除しようとするだろう。となると、この男が裏切り者なのか?
 だがそれも矛盾している。もともとの自分の信念を貫くためにはロシア側やリンケージ側に加担してしまうと意味がなくなるからである。目先のことを考えれば石塚さんを陥れることも考えられるが、本来の目的を考えるとそれは意味が無いどころか自分たちの行動を邪魔することになるのだから。
 そして最後は私の部下でもある兵庫である。兵庫のことはよく知っているだけに、今さら報告書を読まなくてもと思ったのだが。しかし目を通す必要はあるだろう。
「どれどれ、兵庫は機械系、特に電子系には強い。確かにそうだな」
 兵庫は開発を担当している。彼のおかげでいろいろな装置を開発しスパイ行為に役立てている。私はどちらかといえばプログラミングやハッキングといったソフト的なところが専門なので、ハードについては彼に任せている。
「えっ、どういうことだ?」
 そこからは私も知らなかった兵庫の実態が描かれていた。
 兵庫の父は右翼の人間で、今も政治活動を行っている。兵庫は幼少の頃はそういった父親の影響を受け、かなり荒れた生活を送っていた。しかし高校の時の恩氏のおかげで厚生。機械いじりがとくいなことをきっかけに大学の工学部に進学し、その技術を高めている。
 が、学生時代に再び父親の元に戻っている。そこで何があったかまではわからないようだが、一時期は父親と一緒に右翼活動を行なっている。
「でも、よくうちの会社がこんな人間を採用したな」
 ここでふとこんな疑問が湧いてきた。うちの親会社であるリンケージ・セキュリティの社長である佐伯孝蔵は、一部では日本政府を裏で動かしていたとの噂もある。そういった人間が自分にジャマな存在を排除するためには、右翼団体を活用することがある。もしかしたら彼はそのつながりからの縁故採用なのかもしれない。
「ということは、一番怪しいのは兵庫なのか……」
 私は盗聴されていることをうっかり忘れて小声でそうつぶやいてしまった。やばい。そう思ったがもう遅い。もし兵庫に今の言葉が筒抜けになっていたとしたら、彼は私をどうにかしようと行動を起こすかもしれない。今夜はここにいるとやばいな。私はあまり物音を立てないように外に出る準備をした。
 そして病院の通用口から外に出たときに、突然後ろから声をかけられた。
「坂口さん」
 えっ!?
 後ろを振り向くと、そこには兵庫の姿が。
「こんな時間にどちらへ? まだ安静にしておかないといけないはずでしょ」
「き、君こそこんな時間にどうしてこんなところに?」
「どうしてって、決まっているじゃないですか」
 そう言って私に歩み寄る兵庫。どんどんと暗闇の方へと追いやられる私。
「や、やはり君が石塚さんを……」
「さぁ、何のことでしょうか? 私は何もしていませんよ。ちょっと新しく開発した商品のテストはしましたけどね」
「な、なんだ、その商品とは?」
「ちょっとした軽い幻覚剤ですよ。冷静な判断を失わせるだけです。人体実験として石塚さんに試させてもらいましたけど。ははっ、こうもうまくいくとはね」
 この言葉で悟った。いくら事故に巻き込まれたからといって、そんな簡単に致命傷になるようなことになるとは思えなかった。だがあのとき、石塚さんが兵庫の開発した軽い幻覚剤を飲まされていたとしたら、自己の瞬間冷静さを失い、ブレーキを踏まずに突っ込んでしまったということが考えられる。
 やはり、兵庫が裏切り者だったのか。

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